追悼!!-供養とは一体なにか?!-“坂本龍一”(著作)-“ぼくはあと何回,満月を見るだろう”-“教授”最期のエッセイ!!-そして私が直感したひとつの仮説とは?!・・

"供養"とは
果たして一体・・
なんなのか?!。

私は本書を通じながらその
二文字の言葉を永延と
反芻しながら"本書"を
精読し続けてきた。

"此所"に色褪せた数枚の写真が或る。
今からもう既に30年以上が経過していた。

観れば'91 4もしくは
'91 6.4とフィルムに
日付が焼き付いていた。

この部屋は当時の"私の自室"兼
"仕事部屋"(ホームスタジオ)であった。
現在はもう誰も使用することがない。

19インチのアナログ機材群は既に処分か既に
"転居"済であるが、現在でもこの古い
オープンリールのレコーダーとアナログ・
ミキサーは当時のままこの部屋に置き去りにされたままである。

私は現在この部屋を全く利用しない。
(ほんのために部屋に入って、ぼんやりとこの室内で
タバコを吸うこと位である)

大事なのは・・
1枚の"肖像写真"に注目して欲しい。

木枠(特注)に納められた
非売品販促用のポスター。

これは・・現在、
世界に何枚残存するのか・・
分からないけれども、
映画"戦場のメリークリスマス"の
O.S.T(オリジナル
サウンドトラック)用の
大手レコード店の販促用
ポスターである。
(当時は当然、アナログLP版と
カセットのみであった筈だ)

↑私のYouTubeチャンネルでは再生ブロックされている(ヨノイ大尉を演じる"教授")

私は・・これから
"このひと"(この方)の
話を・・私なりに、
させて頂いたい・・

もう・・
亡くなって1年以上が経った今、
私は心の想いを
どうにか"刻んで"おく必要が或った。

本書はこれから
音楽家を目指す
若き学生達を含め、
もしくは決して最後まで諦めず
"あなた"ご自身が抱えた課題にたいし
不撓不屈の精神で克服してゆこうとする方々、
はっきり謂うならば
癌の闘病渦中の方々、
そして音楽リスナーや一般人総ての
者達への”テーゼ"に
なり得ると確信しています。

本書は"死んだ者"の単なる
遺書="アンチテーゼ"
では決してない。

そもそもこの「新潮」社
での本書内容の連載、
そして続編のエッセイは
理知を帯び、
どこかアイロニックでも
ありながらも
ユーモアのセンスがあり、
難解な点もあれば、
"学の希薄"(無学)なこの私でも
しっかりと通読することができるものです。

本書は、
この書は、
これからも
この私が"生きてゆく"上での開始
"始点"であり、これからの
"定位"となってゆくのは間違いないでしょう。

2022年昨日12月11日から
12日早朝にかけて計4回、
30の国と地域に向けて配信されたピアノソロコンサート
"Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022"。

私は決して"泣くまい"と
歯を食いしばって観ていた。

満身創痍でありながらも
全身全霊でピアノ1本で
演奏する世界のサカモト。
氏の演奏をストリーミング再生する際、
音響設備はこの私にとっての最高の装置を用いた。
(チューブ=真空管12AX7ステレオ2CHの
プリアンプのハイボルテージを
貫通させ脚色なくイタリア製SICAのフルレンジ
スピーカーにて大音量で視聴した)

それが氏の最期のコンサートとなってしまった。

もっと早期に書のレビューを
する予定であったが、
ある答えに直感し、
私自身、暫くの期間、
沈黙せざるを得なくなったのです。

坂本龍一氏。
2023年3月28日死去。71歳。
あれから1年以上が経った。
(その年に私は実父を含め多くの
極めて大事なひとを亡くしてゆく)

私にとって"教授"は小学生時代、
細野晴臣氏、ならびに
2023年1月11日に急遽した、
"ユキヒロ"=高橋幸宏とともに
3人は"雲の上の存在"だった。
(勉強ノート?にいつも挟んでいたYMO御三家の
ウィンターライブ<新宿コマ劇場>の下敷きフィルム)↓

"教授"が遺してくれた幾多の影響は
今なお計り知れないものがあります。

私が真剣に音楽家を目指した時期が
人生にあったことも"彼等"の影響
なくしてはあり得られなかった。
(私にとっては目新しい情報は少ないものの、
氏であるが為に出版された様なディープな書籍)↓

一部の方(日本人)に、
"教授"にたいして
誹謗とまではゆかなくとも、中傷
と思わしき言動を目にすることがあります。

特に"教授"の訃報の後日、
あとになって目に
あまる言動が多い気がする。
私が"センシティブ"
過ぎるのでしょうか?!
(↓この動画インプレは私が制作したもの・・・
再生した音楽があまりに素晴らしく、感動して、
混乱してしまった音響機材のインプレでした・・)

"教授"が遺してくれた凄みさえ
帯びたバラード群。

氏が手を抜かなかった
幾多の楽曲群は私にとって
恐怖を孕む程の畏怖心さえ生じさせます。

しかしながら、どうか英霊を穢す言動
くれぐれも慎んで頂きたいものです。

これは私からの
この場を借りた
"お願い"のひとつです。

確かに、
"環境問題"に関しては、
"教授"は専門家でもなく、
マニアックなご意見番ではなかった。

"素人"が余計な口を出すな・・という
アンチ"教授"派が少なからずいることは
私も理解していることです。

しかしながら一般人(私のような庶民)
にとって"教授"のような我々よりも
発言力のとても大きい方が、あくまで警鐘を
投げかけるということに関して間違ったこととは
決して思えない。日々の日常に麻痺した、そんな
私たちにも"気づき"を生じさる大事な
チャンスを与えてくれるからです。

例えば、
反原発よりも
"教授"が亡くなる日も
近くなった2023年初頭、
都知事への手紙(神宮外苑・再開発問題)
など、我々一般人が同様な手段で
書簡を通じて同じことを
したとしてもたいした波紋や影響がなくとも、
"坂本龍一"からの書簡、
とならば強い影響力を持つものです。

"供養"というものの本質とは何か?

私は"教授"の遺してくれた本書、
"ぼくはあと何回、満月を見るだろう"
を何度も精読しては
答えを見いだそうとしていた。

そんな昨年の秋、
あるバラードが発表されました。

曲タイトル名は、
"Relay~杜の詩"。

"サザンオールスターズ"名義であった。
私はラジオで初めてその曲を聴き、
リリース即座にサブスクを購入した。

桑田佳祐氏は、
"教授"にたいする鎮魂と、
同じ音楽家にたいするエールと、
"悼み"というものを見事に昇華し、
その類い希な非凡な才能で完全に
"偲び"、そして
"供養"に楽曲に代えていました。
其処には"神宮外苑・再開発問題"の
否定も賛同も、なかった。

"教授"が永眠してから僅か、
その数ヶ月後のことです。

私はこの曲を聴いて
思わず人知れず・・泣きました。

私は未だ至って
"供養"出来ずにいたからです。

そうした渦中、
私の中であるひとつの
わだかまりが生じ始めていた。

それは、
晩年の"教授"のあまりにも鮮烈で
厳しい癌治療(闘病)であった。

そんな?!まさか!!!

"放射能被爆"という
フレーズが脳を貫通した!

本書は、"教授"の遺した、
"Ryuichi Sakamoto: CODA"の
2017年作のドキュメンタリー映像に
完全に"sync"しています!!

本書をより深く理解したい方は
併せてこのドキュメンタリー映像
を観れば、非常に深く書を必ずや理解出来ます。

このドキュメンタリー映像では
自身のアルバム制作を含め、
2011年3月の東日本大震災以降、
被災地を訪ね歩いたり、
原発再稼働反対デモに参加するなど
多方面で精力的に活動してる
様子が記録されています。

2014年・・夏。
中咽頭癌が発露。

私は誰ひとり・・
公には述べられていなかった
1つの由々しき
可能性に行き着いた。

"教授"は"3.11"で
""被爆""したのではないか?!

鉛素材を使用した放射線防護服を"教授"は
装備していない映像が見受けられた。

真実は放射線に対する防護服などはない。
安全神話以外の何ものでもない。

いま改めて調査すれば、
"教授"は事故後に
何度も福島を訪問していました。

福島訪問時の被ばくが
発癌の決定的エピデンスはないものの、
その可能性は高いとしかいいようがない。
(※2011年の"戦メリ"を演奏した
地元のコンサートの会場=避難j場所では
空間線量が0.5-0.6uSv/hだったとされる。
これは発癌性が優位に人体に増える線量である。
軍であるならば兵士を撤退させるに値する汚染レベルとなる)
※0.5 マイクロシーベルト毎時(0.5 μSv/h)は
一年間では最悪でも 4 ミリシーベルトくらいの被ばくであり、
公式の考えではほとんど影響がない値とはされているが、
日本の基準値を超えている。

2023年・・。

私にとって去年の令和5年は
"悼む"年となりました。

今ははっきりと分かります。

"供養"とは"悼み"を"偲び"に変え、
故人の遺してくれた素晴らしい影響を
忘れずに実人生で"継承"し続けてゆくこと。

余談になるが、2023年12月29日に
私にとっては過分無上の実の父も他界しました。
死因は確定診断は避け積極治療するには
高齢で遅すぎた。"悪性リンパ種"で多臓器
の転移が見受けれた。

"教授"の遺してくれた遺書。
そして・・実父が遺してくれた日誌。
私の知らないことがたくさん書かれていました。

本書である、
"ぼくはあと何回、満月を見るだろう"
は、これからも私にとっての
バイブルとなり、
何度も読み直し続ける必読の
書籍となってゆくでしょう。

音楽家だけでなく、
一般人を含め、
老若男女、
どこからでも入り込める
"教授"のユーモラスな
お人柄を感じさせてくれる
名著となっている(ゆく)ことは間違いないです。

"志”・・。

どこから読んでも
心が洗われてゆく名書です。

何かに迷ってつらいと思った時、
是非、読んでみてくださいね!!

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