伝説の”少女漫画”-“ホットロード”とは?!!-“和希”が愛した”本物”の”ハルヤマ”(春山洋志)の真の実像に迫る!!!

↑2021年9月21日撮影。"中秋"満月

【ご挨拶】

2021年9月初旬。
私はひとつの決断を下した。
本記事内容はおそらく
・・相当な長文となる。

↑"Fさん"("ハルヤマ"の実像)に
可愛がって頂いていた頃の私。
自分とは到底思えないが

紛れもなく"自分"であった↓

--読者の皆様へ--
本テーマの記事構成は
【宣誓】
【序文】
【本文】
【結文】
という4項目に分ける。
誠につたない文章でありながら、
【宣誓】と【序文】の校正をある程度
終えましたのでまずは記事投稿いたします。
残りの本文は徐々に推敲し掲載します。
画像掲載及び入れ替え作業は順次行う予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。

【宣誓】

これから・・
本当にとてつもなく永い
記事になると思うが、
ずっと後に掲載する
【本文】においては
"ハルヤマ"の
"真の実像"に迫る。

これは国内の
あらゆるメディアや
ウェブ上においての
過去30年間おそらく一度も
公言されることのなかった
紛れもない"新事実"となる
ことかと思う。

こうして
ご縁の遭った
"あなた"にだけに
その真実をしっかりと
お伝えしたい。

下段に記す
"列記"事項は昇順・降順に
信憑性の重さというものを
考慮しているものではない。

今はランダムに
思いついたことを
"メモ"として今後"校正"
するための"念頭"として
記載させて頂くことをお許し
いただきたい。

もしもこれらに
関する事実を
可能な限り"あなた"に
お伝えできたならば、
本記事投稿で
苦心苦慮した私の
念願はきっと"成就"する。

【本文】にて
懐述(述懐)する私の
内容は以下となると思われる。

///////////////////////////

1."Fさん"は"手広"に住んでいた
("戸塚P"時代の14歳~17歳位迄
"ハルヤマ"と完全一致)

1."戸塚P"で
"ヘッド"(頭)の時代がある
(16歳~17歳前後)

1."17歳"で不慮の事故に遭遇する
("ハルヤマ"とほぼ完全一致)

1."事故"の内容が一致
(単車=バイク事故による
極めて重篤な事故に遭い
脳外科手術および
後遺症として左手足麻痺がある)
※後年"左腕"はほぼ完全に"寛解"

1.壮絶な"リハビリ"療養が完全一致
(作品では詳細は一切述べられてはいない
あくまで"和希"の視点で描写されている)

1."ハルヤマ"の生まれた場所ならびに活動地域が
"Fさん"さんと完全一致
(ヨコハマ"H"台"戸塚P"等)

1."オンナ"の好みが
ほぼ同一人物と思われるほどに
"ハルヤマ"と同一

1.言動が類似
(深く愛している女性にたいして
"ブサイク"、
"ドブス"・"ブタ”・・
"オレなんかより・・"等・・は
後年になっても合致)

1.ハンサムで"猛烈に"
"空恐ろしいほど"
"オンナ"に"モテル"タイプで
"ハルヤマ"と一致

1."10代の頃"
("ホットロード"時代)の
"Fさん"の過去写真は
"ハルヤマ"の像にあまりにも類似
(髪型・輪郭・極限までに痩せたシルエット等
第一巻から三巻まで及び

特に"絶版書"では4巻目以降が顕著)

1."著者"紡木たく"の
地元(生まれ育った地域)と
"Fさん"は同地区であり完全一致
("Fさん"は著者より3歳年齢が若年)

1."ホットロード"の
連載期間(1986年~'87年)と
"Fさん"の"実人生"とは
2年間の差あり
(つまり"Fさん"の実人生は
2年後の連載時期と
一切として被(かぶ)ってはいない。
"Fさん"にとって
様々な過去の出来事である
(作中の"”実話”"は"所詮"
過ぎ去った過去のものである)

1.最も大事な
主要因として
"Fさん"は作中の
"ハルヤマ"らしく
自分を決して"ハルヤマ"であると
自称(公言)することが一切なかった。
("ホットロード"を"Fさん"が実際
既読していたと思われる言動は
一切なく"私とおつきあいのあった
期間"ではこの作品が話題になる
ことはあってもご自身が"自認"することは

"ゼロ"=皆無であった)

1.作品と
"Fさん"の過ぎた過去の
実人生においてほぼ総ての
あらゆる点において
"時代背景"と"拠点"
即ち活動場所が完全一致

1."ハルヤマ"と
"Fさん"の
"10代当時の職業"が
完全に一致("GS"店員、
夜の商売=水商売等であった)

・・・etc..もっと
あったような気がする・・


////////////////////////

以上、
"ハルヤマ"に関する
新"事実"を
【本文】では可能な限り
"あなた"にお伝えできれば
幸いである。

それから
ほんのすこしだけ"実像"の
"和希"さんについても
お話できたら最高だ・・

------------------
"夜明けの
蒼い道
赤い テイル ランプ
去ってゆく 細い
うしろ姿

もう一度
あの頃の あの子たちに 逢いたい

逢いたい……"
------------------

本書の
・・冒頭文である。

その作品はきわめて
タイトで制約の多い
"連載"であった。

しかし、
徹頭徹尾、
首尾一貫として、
その情熱や信念、強固な理念、
そうつまりは真の"無償の愛"の"伝承"は
余すことなく表現され
最後の1頁まで緻密に計算し尽くされていた。

1964年(昭和39年)8月2日生まれ、
著者、紡木たく(つむぎたく)、女性。
当時僅か20代の前半でありながらも
その紛れもなく繊細に
"紡いだ"本作品の影響力は
21世紀現代でも絶大な
影響を及ぼし続けている。

当時まだ20代前半の女性作家が
不世出で類例のない傑作を
文字通り"瞬きもせず"に
誕生させてしまった。

今の私が
ある"決断"をした
その顕著な理由は、
正直告白すれば心の中に生じてくる、
ひとつの胸騒ぎと不安や怯えを
軽減するためにある。

しかし、
この私の言葉がいつしか失速し
拡散し意味のない言葉の羅列に
なってしまうのではなかろうか。

"あなた"に果たして
上手に巧くお話ができるのだろうか。

それは喩えていうならば、
ほんとうに愛している女性に
心の本音をダイレクトに伝えるのに等しい。

心の奥で確信している
ことが紛れもない
"真実"であると
しても、いざ何か
伝えようとするとなかなか
思うようにはいかない。

そんなもどかしさや
不安や焦燥感に似ている。

今回の記事は、
常に文字の羅列がいつしか
まるで意味をもたぬまるで
"うわごと"のようになってしまうような
可能性を孕んでいる。

しかしながら私は、可能な
できる限りの精一杯の事実を、
"あなた"にお伝えすることを決意した。

信じる信じないは、
総て"あなた"にお任せする。

私は"総て"の箇所において
本文において"虚実"を行わない。
つまり"偽証"を一切としてしない。

どうか、
信じてほしい。

でも信じる、信じないは、
私の話す内容と行間を埋め尽くしてゆく
言葉の合間から"何か"をご察して
頂ければ幸せ(本望)である。

それは嘘を真実として
歪めてしまうような行為は

一切として行わないことを意味する。

この私の記憶が曖昧である点は
どうかお許し願いたい。
しかし、その点においても
しっかりとその旨を"あなた"に
お伝えしたい。

そしてはっきりとした根拠のない物事に
関してはそのことをしっかりと記したい。

これから本文で述べるお話は、

そう"和希"が
命がけで愛した
"ハルヤマ"・・
つまり"春山洋志"についてである。

私は過去、
"四半世紀"の間"ふたり"だけを
除いて一切として"公言"しなかった。

その"ふたり"とは
この"ホットロード"の絶版書を
何も語らず差し出し、
この私に読むことを
誘って(いざなって)
くださった女性(ひと)であった。

↑2021年9月21日撮影。

・・・。

今(この)の時代・・

"傷付いていない人"なんて
"いない"と思う。

しかし、普段からそのことに"無自覚"であれば
人をかなり傷付けてしまっているかも知れない。

何かあったにせよ、
挨拶もせず相手を無視したり、
目さえ合わせすことさえできないひとがいる。

やさしさはひとの心を
つなぎ止めておく力である。
またまわりのひとの心に平安をあたえ、
楽にしてくれる作用がある。

そうしたことが普段から振る舞えるひとは
どこにいっても圧倒的に人気がある。

自分の傷の痛みを抱えながらも必死で
常に相手との関係性と
相手と自分とが生み出す
"将来"を真っ先に優先しているからだ。

私は"あるひと"から、
人生にとっては
とても短い期間だった
かもしれないが、
そのことをしっかりと、
本当にしっかりと、
学ばせて頂いた。

これから"あなた"へ
"その方"の話をしようと思う。

"その方"に
この私は・・
=この世に"奇跡"は
ほんとうに存在するということ=

をしっかりと・・・
"直"に教わった。

そして・・

"奇跡"は・・
ときにあまりにも残酷で
"意地悪"で・・

時にはほんとうに
"気まぐれ"で・・

命懸けで"ホンキ"で
"信じた"者にしか訪れない
ということも・・


"その方"にしっかりと
その"生き方"から
教えさせて頂いた。

それは私にとって・・
一生涯の眩しいくらいの

"TREASURE"=宝物となった。

私は・・

そう・・

"ハルヤマ"に・・
"ホンモノ"の"春山洋志"に

私はとても大事な
"真実"の多くというものを・・
しっかりと学ばせて頂いた。

しかしもし仮に
""そうしたこと""柄に
囚われて強い罪悪感を覚えてしまうと、
あるひとは積極的に生きられなくなる。

たとえばある環境下で
虐げられた育ち方をした人は
幸せになること自体に
深層心理的な抵抗を
抱えてしまうこともあるだろう。

ほんとうに幸せになることに
ブレーキを踏んでしまう。
表面上でやっていることと、
心の奥にあるほんとうの
自分の感じ方と思いにずれ・・
"差"(矛盾)が生じてきてしまう。

この作品="ホットロード"に
登場する者達の大多数は、
幸せになるために懸命に生きてその渦中で、
身や心さえ削り落としているかのように映る。
特に主人公は大きく傷付いている。

だからこそ、
真っ先に心の傷を抱えていて
幸せに積極的に生きることが
"困難"になっている人の目には
この作品はあまり魅力的には映えずに、
批評されたりすることもあるのだと思う。

私は"とある罪悪感"を多分
常に抱えながら生きている。

だからその感じ方や思いは、
なんとなく汲み取れ、
気持ちは理解できる。

しかし順序はどうであれ、
ひとはどんなに傷付いても
幸せになることが出来るのだと
本作品が"猛烈"に謳歌していることが
どんな作品よりも逸脱し群を抜いており、
それがあまりに凄くて寛容で
圧倒的に優れているのだ。

↑呼吸が乱れればすぐに
ファインダーから姿が消えてしまう。
私はあえて"月"を

固定(三脚)では追わない。

""生きたにんげんに
真っ向からぶつかる勇気と
チャンスを与えてくれる""

そんな気勢のあるメッセージはそう多くはない。

↑2021年9月21日20時台。

この作品は時代を超えても決して
色褪せはしなかった。

傑出した作品は時代を超越し、
その物語は不動の神話となり
伝説化し、そしてひとりひとりの
読者の心と実人生の中で育(はぐく)まれ、
やがて"独走"していった。

【ご挨拶】

目の前に4冊の書籍がある。

"ホットロード"全4巻。

紡木たく(つむぎたく)著作。

"集英社"が発行していた
女性向けの漫画雑誌
"別冊マーガレット"に
1986年(昭和61年)1月号から
1987(昭和62)年5月号まで連載された
"少女漫画"と呼ばれる書籍である。

"少女漫画"に関した
記事はこの私の生涯においては,
これが"最初で最後"となるかと思う。

目の前に映る
この書籍は単行本全4巻。

既に"絶版書"である。

後年この書は、
文庫版全2巻、そして
完全版全3巻が刊行された。

大分後になって
ようやく2014年には映画化され"実写化"された。

映画に関していえば
"あえて"私は観ていない。

しかし映画化されたことにより"何もしらない"
新しい世代の女性が再び原著に触れるきっかけ
になったことはとてもよいことだと思う。

全4巻の絶版本の内容は全て
2021年現在でも
電子書籍という媒体にても
簡単に入手することもでき、
始まりから最後まで誰もが
いつでも"読破"可能である。

"ホットロード"は
様々な分野の学識者から
表現の"頂点"と評価される。

"伝説"のそして
恋愛(純愛)作品の中でも傑出した、
不世出の"金字塔"・・とも称され、
旧来からの読者だけでなく
今のこの国の21世紀現代おいても
圧倒的な支持と影響力を保持する。

つまり"伝説の"と称されるに値する日本の
"漫画"という表現手法を用いた
まことに大変に奇特な書籍である。

連載当時だった
昭和61年の"この国"の
日本は"イマ"(21世紀)のようには
便利なインター"ネット"も
携帯電話さえ当然なかった。

本書でも登場人物が度々"電話"を掛ける
シーンがあるが"非常事態"を含蓄した時すら
"公衆電話"という媒体のみでしか
"SOS"を"発信"できない。

この4冊の書籍から得ることとなった
当時の女性読者達の"心の動き"は
そんな生身の女性達である声によって
瞬く間に"話し言葉"で流布され
"ひとからひと"へと伝搬されて、
"集英社業績記録"最速で100万部を突破、
唯一"全四巻"ながら累計700万部という
売上げ実績を吐き出した。

"不良"少女達が既読して、
そんな影響を与えた訳では
決しなかった。むしろ逆だった。
普通に生活していた女性たちの
心をおおきく、そして
激しく揺さぶった。

デジタルでのネット
拡散の"PR手法"など皆無の時代。

"書籍"という表現手段の
計り知れない影響力の凄味は
その数字だけでも端的に
物語っているといえよう。

しかし、
この書はそんな数字に
留まることはなかった。

2021年現在。
今日までこの"書籍"がどれだけ
影響を与え続けてきたことだろうか。

どれだけの人々に"本気"で
"愛され"続けられてきたことだろうか。

今から遙か34年も前に
完結したある意味
ただの書籍にしかすぎないじゃないか。

それなのに、
"和希"と"春山"そして"トオル"や"宏子"に、
どれだけ勇気付けられた者達がいただろう。

先述した累計700万部というのは、
今から"四半世紀"以上も前の出来事である。

旧来の読者のなかには一年に一度は
大事に"精読"しそして機会あるごとに
何十回と連綿と"紡ぎ"=読み続けられた
読者自身の"人生"と共に
一緒に歩み続けてきた
そんな"書籍"でもある。

こんな愛され方をする
文芸書は稀少すぎる。

この"少女漫画"はいつしか、
そんな女性達にとって最も大事な
"男性"へも継承(受け継がれ)された。

やがて日本人の中では
数人にひとりは必ずこの書を
読んだことがあるという統計的には
桁外れな読者数(数)となった。

おそらくこの書が
最後まで読み尽くされた回数(実数)は
現在まで優に"数千万回"に達していると
想像に難くはない。

書籍が放った"ひと"の
"心のありよう"となる
その影響力の凄味は、
日本の"総人口"と比較すれば容易い。

もしも今うら若き
"あなた"にとって本書が
未踏(未読)である書籍で
あったとしても・・

会社でも学校でもよいから
"ホットロード"について
誰かにもしも尋ねたならば、
いずれきっと必ずや
熱心な読者に遭遇するだろう。

日本語の故事で
"三度目の正直"
という諺がある。

私にとってこの書籍は、
およそ漫画という狭き
部類(ジャンル)分けではなく
"文芸"(術)書といって過言ではない。

ここであらたまってあえて謂おう。
この書籍は・・
間違いなく"ホンモノ"である・
・。

私は三度目の本書の
"精読"を行うこととなった。

2021年9月。

解決の糸口さえ見えず
"Covid‐19"は世界的に
多くの犠牲者を生む深刻な状況の最中。

そんな渦中にベットや
いつも手の届く範囲の
目の前にいつも置いてあったのが、
"ホットロード"4冊の絶版書であった。

随分と本書が気になりはじめていた。

しかし"不必要な多忙"も含め、
なかなか読む機会に巡り会えなかった。

先日私は"巷"=世間よりは
少々早めの"2度目"の
ファイザー製薬製の
アンチ"Covid‐19"のワクチンを
摂取したことがきっかけとなった。

12時間後の副反応のひどさは
ファイザーの副反応(副作用)の添付文書通りの
"オン・パレード"と化した。

発熱し、
意味不明な奇っ怪な
倦怠感と骨や筋肉の痛み。

2時間おきの"カロナール"(沈痛解熱剤)
を服用しながら眠れぬ夜を幾晩か過ごした。

後の金属的な頭痛は
他のスケージュルを
全て延期する羽目になった。

"漫画"だったら
体調が悪くてもたぶん
きっと"読める"だろう。

そう思い、
ベットに仰向けになり、
"頭痛"は酷かったが
ついに第一巻から
飛ばし読みなどせず
頁をめくり始めていた。

・・・。

3度目の筈が・・
あたかも新書に触れたように
圧倒的に"新鮮"だった。

一巻から三巻まで
一気に"精読"した。

残りの四巻(完結)はあえて
数日後に時間をおいて、
一気に読破することにした。

自分が歳をとったせい、
"それ"はあるとは思う。

けれども、
人生で2度読んだ頃よりも、
遙かにこの書から、
多くのことに"気付"かされた。

再び私の心が激しく
大きく揺れ動きはじめていた。

ずっと若い頃から
記憶力の悪い私は、
本書の内容においても随分と
とても大事なたくさんのことを
見落とし、そして忘れていた。

主人公"和希"が最も大事にしていた
遊園地の"チューリップ畑"の"手"の
温もりが・・なんと!!
"鈴木君"の手だったなんて・・。

このあたりは主人公"和希"に
とって極めて重要なシーンである。

にも関わらず、私はすっかり
忘れてしまっていたのである。

前回本書を読んだのは確か、
20年以上前の"出来事"ではあったが、
自分の記憶力の悪さを
つくづくと思い知らされていた。

しかし
出会う"画"は
以前と変わらず
どれも印象的で、
あまりにも新鮮で清々しく、
そのかすれたような絵は
あまりも、せつなすぎた。

いつしか私は、
体調の悪さを一切忘れ、
どこに登場者の傷があるのか、
どっちが殴られたのか、時に
よくわからなくなるような
それこそかき消されそうな
そんな掠れた"この作品"の
画の一コマひとこまを
丹念に指先で触りながら、
必死で懸命に追いかけ初めていた。

登場する人物達。

登場する人物全ての人々が、
生き生きと躍動感に溢れ強烈な活気を感じる。

そう、
すべての"若者"達が
生々しかった。

身も心も傷付く主人公達。

細かな台詞・・。
名もない大勢の登場する人物。

すべてにおいて、
完璧といえるほどに、
恐ろしいほどそこには
"リアリティー"があった。

"和希"の母親。2021年現在、
"オンナ"にとって35歳という年齢は
"おばさん"と呼ばれるのは失礼な時代である。

今になって歳を取った自分にとっては、
母である前に、成熟した女性であり、
ひとりの"オンナ"だった。

そして不倫相手の"鈴木くん"。

"和希"の親友の絵里。

胃痛を我慢しながら"和希"と必死に
接見し頑張っている女教師"佐々木"。

""黒目""すら描かれることが
少なかったが強い信念や情熱を
決して欠いてはいなかった
"和希"の最終学年担任となった
メガネの男性"教師"である"高津"。

"黒目が描かれた時"に放つ
"教師"の"和希"に
放つ痛烈な言葉。
しかし・・・
"高津"は最後まで・・
決して最後まで・・
"高津"は・・
"和希"を見捨てたり
はしなかった。

"リアル"以外の
なにものでもなかった。

そして、
"和希"が
深く愛したヒーロー
"春山洋志"。

"彼"の友人や先輩たち。

対立する"東京の族"のチームでさえ
この書籍の世界の中の人々は
忌み嫌う人物など今の私には
もはや"皆無"だった。

誰もが・・
"愛おし"
すぎた。

"徹頭徹尾"、
全篇に"ほんものの"
愛に満ち溢れていた。

それは"著者"の
あまりにも"濃密"な
深い"愛"を改めて
感じ取るに至った。

私は"三度目の正直"で
完全に"気"が変わった。

これから私が紡ぐ【本文】の項は、
紡木たく(つむぎたく)のファンや
"ホットロード"読者の方々から
大きな反感を買うかもしれない。

30年以上前に著者が世に問い、
後に伝説の金字塔とも称される
"不動"の影響力を及ぼし続ける
"傑作"書であるが故に"新説"が
非難されることは覚悟と承知の上である。

しかし私の話をしっかりと
寛容に受け止めてくださり、
"やっぱりそうだったんだ!"
と納得したり実感して
下さる方もきっと
おられると信じる。

なぜか・・。

この物語は絶対に
"フィクション"じゃないと
ずっと確信=
"信じてきた"方が大勢いることを
この私は、知っていたつもりであったが・・
本記事を投稿するための徹底的な
WEB上の調査でその圧倒的な
女性達の"声"は
眩暈(めまい)を起こす程であった。

あまりにも・・
"リアル"すぎるからである。

これは"徹底的な取材"だけでは得られない、
"ホンモノ"の匂い(臭い)が巻頭から巻末まで
濃厚に漂い、徹頭徹尾に渡り
非常に細かく描かれているためだ。

だからつい近年まで著者は
"当時を体験"した
実は男性なのではないかと
いう噂まであった。

当時を文字通り"リアル"に経験した、
男性作家によるものではないか・・と。

しかしながら、女性の視点で描かれているのは
確かであろう。紛れもなく女性誌に連載された
"女性作家"=紡木たく(つむぎたく)
によるものである。あらゆる登場人物にたいする
きめの細かい繊細な"配慮"は女性特有のもの、
と私はオトコとして直感で"独断"している。

また"画力"において"線が細すぎる=弱い"
と一部で批評されることも屡々あるが、
非常にタイトな"連載"という渦中での作でありながらも、
流すところは流し、

緩急をわきまえ、
何度も何度も入念に
"深く筆を降ろしている"箇所が随所にある。

女性作家でありながらも
"族の群衆"や"クルマ"に
"リアル"を追求している描写は
きわめて異色であり非凡だ。そこにも

想像だけでは無理な箇所が随所にある。
"その場"にいなければ絶対
描写できない"リアリズム"を読者に与える。
参考に作中の一部を抜粋する。

また・・
"将来"もしも何かのご縁で
この記事が目に止まることとなって、
"ハルヤマ"と"和希"が生まれ育ち、
そして出会い"ふたり"が生きたこの街
""湘南""という界隈で、
同じ時代の"あの頃"を
全力で過ごされた方のなかに
"おまえ!よくいってくれた!!"
と誉めて下さる先輩諸氏がおられたら
私にとってこれ以上の歓びはないだろう。

これから話す内容は
先にも申し上げたが、
私が"30年間"一切として
"公言"しなかった紛れもない
私にとっての真実・・
"あなた"にとっては
新"事実"となるに違いない。

"公言しなかった理由"は、まず
それはつまり"ある方"にたいする
深い"リスペクト"と
"敬愛心"のほかの何物でもない。

そして・・
他人に公言することを
憚れ(はばかれ)た最たる理由には、
壮絶な"事故からのあまにもリアルな
再生"の段階="課程"を私は少なからず
"詳しく"知っていたからに他ならなかった。

今はこの身勝手な
私の不安や胸騒ぎ、がはやく
少しでも払拭できたらと願っている。
"体調"や精神衛生上によくなかった。

絶版書の4冊を全て読破した夜。

私は初めて
その"その方"の検索を開始した。

時代は1975年まで遡り、
神奈川や湘南地方の
暴走族歴代総長から
正攻法で丹念に調査し始めていった。

しかし、
1980年代中期になると、
ネット上の情報では
"失速"が感じられた。

求めている"ひと"に全く
といって辿り着けない。
後述するがその調査の際、
""春山浩平""という人物に突き当たった。

私は気持ちを改め直し、
今度は"逆引き"を開始した。

つまり"ホットロード"
から事実を
割り出してゆく手段に転じた。

"ホットロード"に
関しては新しい記事では
映画を中心に
多くの記事が
ネット上に掲載されていた。

そして"ハルヤマ"の
モデルや実像についても
短時間ではすべて読み切れないほどに
非常に多くの記事が見受けられた。

当初は安易に目当ての
情報に辿り着けるものと
たかをくくっていたものの、
実際ネット上で探せばどうしてもその
"ある方"="本人"に
関した情報が全く見当たらない。

次第に焦りが生じていた。
ついに、ご本人の実名を入力して
Googleの検索エンジンに頼った。

そんな矢先、Googleの
"もしかして"・・の欄に
その"実名”は浮上した!

私は画面に飛びついた。

私は驚いていた。
私はその方の名字でいつも"・・さん"
と呼んでいたために、
下の名前の実名の漢字を
完全に間違って記憶していたのだった!

"好きなオンナ"だったら
下の名の実名の漢字すら
いつまでも覚えている癖に・・

記憶力のない私はなんて
馬鹿な人間なのだろうとつくづく思った。
そして、本当に失礼な人間だと恥じた。

画面の目の前に浮上した
グーグルが訴えている
"もしかして"のその"実名"こそが本当の
私の探している"ある方"の本名だった!

下欄の記事に飛びつき、
勇み足でマウスクリックしリンク先へ飛んだ。

しかし・・有用な記事は
何一つとして存在してはいなかったのである。

Googleは果たして何を私に訴えたのだろうか。

21世紀現在・・。
我々=”世界"にとって、
Googleは"神の分身"と化した。

有能なひとびとがGoogleを誕生させたが、
もはや、"ひと"の手に終えない存在と化した。
Googleはひとの"偽り"を

赦さない厳しさを秘めている。
どんなに狡猾にGoogleを欺こうとしても・・
"神"に近づいてしまったGoogleはやがては

その"偽りの行い"を完全に見破る。

Googleは決して嘘をつかない。
たとえ嘘をつくことがあっても、
何か大事なことを"暗喩"する。

・・・。

私以外の第三者が
私と同じ探している方の"実名"を
おそらく検索し続けた、そんな痕跡・・。

その回数はおそらく数百回単位ではない。
数千回から数万回は及んでいた筈・・・。

Googleは確実に"なにか"を記憶していたのである。

そしてその"ある方"の有用性のある記事が
WEB上にかつてはあった可能性も高い。

"Covid‐19"ワクチンの
まだ残存している
強い副反応の激しい
頭痛を再び感じ目を閉じて
こめかみを強く押した。

再び目を開け
しばらく画面を見ていると、
目頭が熱くなった。

その瞬間、
私は猛烈な強い胸騒ぎを覚えた。

自分も
大分歳を取り
少しずつ、
"死生観"に
明らかに大きな変化が生じていた。

私は30年近く
"ある人"に関して
自身で誓った"黙秘"という
戒律を守り続けてきた。

でも・・もういいだろう。
わたしは・・
いろいろかかえているみたいで・・
近年だいぶ疲れてしまっているようである。
だから"あなた"に話すことで
少しでも気持ちがふいに楽になれたらとねがっている。

ついに・・
破る決心をした。

私はこれから
"あなた"にと
"ある仮説"を話す。

その仮説は私にとってたとえどんなに
非難否定されることがあったとしても、
私の心がこうして事実を
心の底から確信している以上、
そう簡単には"その認識の誤り"を
認めることはないだろう。

"""あなたは誤解なさっています。
"ハルヤマ"は実在する人物ではなくて本当に
架空の人物です"""

もしも万が一、ずっとずっと将来に
私のつたない記事をみつけて下さり、
ほんとうにもしも著者である、
紡木たく(つむぎたく)さんが
そんなコメントを寄せてくださったとしても・・

この私のずっと抱き続けた不動の思いは
"不可侵"(決しておかすことのできないこと)
であり、
"今"夜でさえ
"心の奥"から込み上がってからくる
この感じ方は・・
紛れもなく
"ハルヤマ"が"彼自身"なのだと
それが事実=真実だと・・
溢れるように激しく強く訴求される。

それ程に"強固"なものである。

私はその思いを秘めたまま、
30年近くの月日を過ごした。

この記事の【本文】は、
おそらく文字ばかりの
長文となりある読者にとっては
つまらなすぎて、
最後まで読まれることは
ないかもしれない。

私にとってはある意味、
大変失礼になるが・・
この記事に関してだけは
通りすがりの"一般読者"を完全に
"ふるい"にかけたいと・・している。

紡木たく(つむぎたく)さんを愛し、
"ホットロード"を愛し続けた旧来の
本気のファンの方々のなかの
ほんの一握りでもいい、
もしも最後まで本文を読んでくださるなら、
私の願いはすべてきっと叶う。

"ホットロード"
に関する情報では
本投稿記事は
おそらく日本国内において過去
最大規模の情報量を提供することとなるだろう。

"どんなに現実が
厳しい事実内容"だったとしても・・

"あなた"が愛し続けてきた
"和希"のように・・・。

"このあと"・・

そう・・
"このあと"・・もずっと
"生き続けた英雄"に
"あなた"が愛し続けてきた
"ヒーロー"に再び真剣に対峙し、
どうか目を背けないで
"ホンモノ"の本当の
"ハルヤマ"に・・

真正面から
ぶつかってきて欲しい。

そう・・

"ハルヤマ"・・
"春山洋志"は実在している人物である。

【序文】

"ホットロード"は
学識者からも表現の"頂点"と
評価されているのは
前章で既に述べた通りである。

そして長年の間、
日本というこの国にとって
数人に一人は必ずこの書を
読んだことがあるという並外れた
桁外れな読者数を誇る作品である。

だから色々な意見があって当然で、
そうした事自体、私は、
とてもよい事だと思う。

賞賛する声とは別に、
この"漫画"は単なる
"ヤンキー"や"大昔の族"の
漫画本(不良漫画)にしか過ぎない"
という意見がある。

表面的な側面は当たっているが、
私は重要なことをお伝えしたい。

この書は本文である【宣誓】
の項目でも述べた通り、
真っ先に心の傷を抱えていて
幸せに積極的に生きることが
困難になっている"人の目"には
作品自体あまり魅力的には映えず、
批評される嫌いがあるのだと
感じさせる一面がある。

一方、作品の中に登場する
母親も教師も鈴木も
含めた多くの"オトナ達"もそのことに
気がついている"事実"では、
"ホットロード"に登場する若者の大多数は、
"幸せになるために懸命に生きて
生身や心さえ大きく傷付いている"
ということに尽きる。

そうした若者にたいしての作中の
"オトナ"達は常に
"自分のいのちを大事にしてほしい"と
"警鐘"を投げかけていたりもする。

ここで
社会学者の"宮台真司"氏や
民俗学者の"大塚英志"氏らの
"ホットロード"に関する
引用孫引きはあえて避け、
私なりの稚拙な言葉で換言するならば、

"恋愛だってスポーツだって
勉強だってバンド活動だって暴走族
だってなんでもいいから格好ばかりを気にせずに
出し惜しみなど一切しないで必死にもがいて
"何か"を必死にやってきた者達にとっては
非常に強い共感と感動(心の動き)
が生じる"作品である、
ということである。

または"そんな生き方"=人生を
これから"スタート"しようと
決心している者にとって
これ以上に勇気付けられ、
ダイレクトな"エール"を感じさせてくれる
"複音書"はそうざらにはないと謂える。

さらに素晴らしいのは
この作品の終盤における、
顛末(てんまつ)の集約が非凡では
なく平凡な日常へ帰着してゆくことにある。
鳥肌が立つほどの強い感慨を読者に与える。

日中の江ノ島の大橋を
必死に自転車をこぐ"ハルヤマ"・・

作中の"和希"は高校生でありながら、
少女から成熟した寛容で深く、
他人(ヒト)の痛みの分かるホンモノの
"オトナのオンナ"になりつつあった。

そんな最中
この作品は強い
余韻を残したまま
瞬く間に結末を迎えた。

"和希"の変貌は、
運命的で必然的な
"春山洋志"との出会いがもたらしたことは
言うまでもない。

やはり私のみの戯文だけでは
説得力に欠けると思い、
あらためて批評家の大塚英志の
後押しである力(弁)を
ここで拝借してお伝えしたい。

-選ばれし存在の主人公が外界へと旅立っていく
展開は作品制作の上で容易(たやす)いことだが、
 凡庸(ぼんよう)の中に帰着させる展開は難しい。
紡木はそのことを可能とした例外的な作家である。-

凡庸とは"すぐれた点がなく平凡なこと。
また、そういう人。凡人"という意である。

さらに、
私の弁を追補しておきたい。
最も肝心な点である。

""この作品は、
絶望的な喪失感からの再生の
"力"を見事に描いている"”

さらには、
この時代の80年代中期から末期においての、
"春山洋志"がストリートで
"散った"=族の引退模様は、
この時代の暴走族の
終末(終焉)をも描き切っていた。

事実、後暫くの間、
"ホットロード"が終わって、4冊の書籍が
世に出揃った頃から少なくとも80年代末の
湘南海岸沿線の国道134号や
江ノ島界隈はまさに
あれはもう完全に"混沌"=カオスと化
していたといっても過言ではない。

私は当時、
"リアル"にその光景の真っ只中にいた。

週末ともなると・・
もう"滅茶苦茶"だった。

ナンパされるオンナ・・・
軟派な男・・改造車・・・
あれは軟弱というよりも一帯が
"軟体"な世界と化していた。

"ハコ乗り"した旧来の渋めの額には
"豆絞り"した"ハチマキ"で、
上半身裸の族っぽいクルマも
たまに見かけたが、つまりは
"正当派"の族がきっちりと仕切る
江ノ島や134号線ではなくなってしまった。

小学生の頃に習う諺に
"帯に短し、襷に長し"
(おびにみじかしそでにながし)というのがある。

つまり"ホットロード"は
のちの時代の族の終焉をも予言し
描写していたのだ。

"次郎にも太郎にも足りぬ
"そんな中途半端な
連中や改造車で134号湾岸線は
"カオス"と化した時期があった。

かくいう私自身も・・
"次郎にも太郎にも足りぬ"中途半端で
そんな改造車に乗っていた時期であった。

↑かくいう私も
"次郎にも太郎にも足りぬ"

そんな中途半端な改造車に乗っていた。
フカシ(空ぶかし)ばかりコくために
タービン類は全撤去(ノン・ターボ)、

タイヤばかりが丸坊主となった。

そして私にとってはその"時期"の
終止符を完全に打つような"事件"が
江ノ島でおきてしまった。

つまり"片瀬江ノ島駅前暴走注意事件"である。

片瀬江ノ島駅前暴走注意事件
(かたせえのしまえきまえ
ぼうそうちゅういじけん)は、
1989年4月17日、神奈川県藤沢市で
暴走族の暴走行為を注意しようとした男性が、
注意した少年らに暴行を受けて
死亡した事件である。

被害者:吉野正弘さん(当時56歳:
毎日新聞論説室顧問)

犯人:山上正(当時25歳)
   石井徳久(当時24歳)

以下当時の新聞より抜粋。

神奈川県藤沢市片瀬海岸二の一五、
小田急片瀬江ノ島駅前ロータリーで、
同所二の三の一六、
毎日新聞東京本社論説室顧問吉野正弘さん(56)が、暴走族風の男二人に殴る、
けるの乱暴を受けて意識不明となり、
同市内の病院に収容されたが、
十八日午前三時二十八分、外傷性ショック死した。
男二人は白いフェアレディーで
国道一三四号線方面に逃走、
藤沢署は、傷害致死事件として調べている。

・・・である。

現代もたいして変わらないかもしれないが、
改造車や爆音の排気音はどれもがみんな
"暴走族"の仕業という"一般人の合点"がある。

なんでもかんでもストリートで悪いことをするのは
"暴走族"なのだと世間は当時も昔もたいして
変わらずあの当時も猛烈に非難された。

この事件の真相においては、
そもそもバイクで空ぶかししていた"輩"と
車(犯人)との違いも生じた決して
"あってはならない"
悲劇的な事件となってしまった。

以下は"ホットロード"連載が終了した
翌年の"この事件の後の経緯"である。
----------------------
1989/4/18
毎日新聞記者が神奈川県藤沢で、
暴走族風の男2人に殴られ死ぬ。

1989/4/20
警視庁は、毎日新聞記者が乱暴を受けて
死亡したことで暴走族対策強化を決定した。

1989/4/22
警視庁は引き続き、
全庁規模の暴走族総合対策委員会を開いた。
-------------------------

のちの神奈川県警は威信を賭けて捜査を励行した。
まさに地を這うようなローラー作戦=
(県内所有者の"Z"3000台の洗い出し)
であったことと思う。

ついに私の自宅にも
目つきの鋭い(悪い)
ふたりの"刑事"がきた。

当時の私は
フェアレディー(L型28のS130)
を所有していた。

捜査線上にあがったのだ。

捜査に協力してほしい・・と。

しかし、
私の所有するクルマは
銀と濃紺のマンハッタン色の
ツートンの"Z"だった。

"いつの形式のを探してんですか?!"
刑事に尋ねたことを記憶しているが、
無論なにも答えてはくれなかった。

多分すぐに私は捜査線上から外された。

おそらく型(Z)が異なった
(Z31型系の白が"黒星"
だったのか?)のだろうか。

私への任意出頭の要請はなく、
暫くして犯人が逮捕された。

・・・これらを機に
あの'80年代末の"混沌"もまたある意味
"終焉"を迎えたと個人的には感じている。

その後の
"改造車"は次第に"走り仕様"と化してゆき
山間部の峠をノンスリ(ノンスリップデフ)
をかましてドリフト走行を極める輩や、
地元では横浜の"大黒ふ頭"にて
"0-400"(通称ゼロ・ヨン)メートルを
フェンダーを突き破るほどの野太いタイアと
カスタムチューンしたマシンで激走する仕様車、
箱根では乙女ラインや
三島近辺での"フル・メカ"や
中高速にセッティングされたのターボ車、
国1号線では低中域仕様のメカ・チューン車、
首都高速では高級車による
コンピューター制御による
最高速仕様車と"細分化"され
所謂"走り屋"と呼ばれる時代に突入してゆく。

しかし、
世間一般からみれば
すべてが"暴走族"
となるのだろう。

・・・。

"ハルヤマ"の実像についてお話する前に、
この【序文】の項目では
まだお話ししたいことがある。

せっかくここまで読んで"ついてきて"
頂いた読者の方にはついでにこの"私との"
"情報の共有"として"おさらい"をかねて
是非一読して頂けたらありがたい話題がある。

ウェブ社会となった2021年現在、
"ハルヤマ"="春山洋志"に関しての実像に
関する情報、つまり
巷ではどう解釈されているか、である。

私は、本文を掲載する前に、
従来の"ハルヤマ"に関する
"都市伝説"を丹念にひとつづつ、
否定してゆく。
そうしないと【本文】を語る意味がないし
そうした課題を棚上げ=無視した
ならば事実は"生かされて"はこない。

しかしおもしろいのは"春山洋志"に関しては
30年間色々なことが噂されたり
情報が流布されているにも関わらず、
なぜ"和希"(主人公)の実像"が
"ハルヤマ"以上にそれ程人気がないのか?

"春山洋志"に関しては、
様々なことがネット上で散見できる。

つまり実像に関しては大分昔から
"春山洋志"は実在するモデルが
存在しているのではないかと
ずっと騒がれ続けられてきた。

ネットでの情報は、
やや混沌としている感じがするが、
よくよく整理してみると
どのサイトも元データの引用か
孫引きで、"ハルヤマ"の実像は
"数人の方"々に絞られた。

独断と偏見を交えて、
"否定"してゆきたい。

最も可能性の低い順で
"ハルヤマ"の実像にまつわる
"都市伝説"の否定を記してゆく。
------------------------------
"ひとりめの人物"は、
<藤井郁弥(藤井フミヤ)説>である。
これに関してはいささか申し訳ないが
"失笑"してしまう。

チェッカーズのリードボーカルとして
デビューしたのは1983年である。

たぶん誰かのツィートから拡散したのだろうか。
どう考えたってこの話題("ハルヤマ"="フミヤ")は無理である。
いったいどこが似ているというのだろうか。

↑お若い頃のフミヤ氏をあえて引用させていただく

"春山洋志"のモデルが"フミヤ"であると
本気でそう信じ込んでいる方は
フミヤやチェッカーズの
コァファンだけではないのか?

リスペクトがまず逆である。
チェッカーズ(フミヤ)が
"ホットロード"を敬愛しているにすぎない。

リスペクトに関していうならば、
"紡木たく作品をこの世で
一番理解しているのは俺だ”と述べる
氣志團の綾小路翔(あやのこうじしょう)氏
の方が遙かに上だろう。

藤井郁弥氏の場合、
あまりにも
"ハルヤマ"の実像との食い違いがある。
著者である紡木とフミヤは
同じ世代で一緒であるものの、
フミヤ氏の生まれ故郷、
福岡県久留米でどんな暴走族を
やっていたというのだろうか。

画中(作品)でも"春山洋志"の像と
フミヤは違いすぎる。
"フミヤ"は格好いいが、
"ハルヤマ"とは全くカリスマ性が違う。
私にとっては完全な別人だ。

但し著者が
"ハルヤマ"の表情や顔つきを
描写する過程において、
"フミヤ"をモデルにしたというならば、
納得はできる。
ただ、個人的にはそこまで、である。

藤井フミヤがこの漫画を読んで
インスパイヤーされて
"Jim&Janeの伝説"(1988年6月29日発売)と
いう曲が生まれたというエピソードは
確実と思われるが、"フミヤ"をどうやって
"ハルヤマ"の実像と結びつけられたのか私には
それこそまるで理解できない。

------------------------------
"ふたりめの人物"で
<故・"尾崎豊"氏がモデルであるという話>である。

この説は、フミヤ説よりは
遙かに有力ではあると思う。
音楽アーティストとしてデビューした年は
1983年末である。

"OZAKI"に関しては、
著者である"紡木たく"ご本人が
ファンであることが
伺い知ることができるという。
(漫画の中でも"和希"の部屋に尾崎豊氏の
ポスターが貼ってあったりしていたという)

私は今回の記事を記すにあたり、
"4度目"の精読(精査)にあたった。
今回はなんと"拡大鏡"を使用して
"ホットロード"の主に画の精査を行った。

ネット上の情報は嘘が多いので、
実際に自分で確かめないと気が済まない。

それ(OZAKIらしいポスター)はあった。
しかし、それは"ハルヤマ"と出会う前の時期の
第一巻の最初に一度あるのみである。
(私の視力=PRK手術後の私は
極度な遠視で事務処理には
不向きで見落としている可能性はある)
それ以降は、ない。
画像掲載の通り。

そして"ホットロード"の書籍に関して
尾崎氏の親族(兄)が
"高校時代の豊の肖像に近いものを
ある漫画で見つけた"と
著書"弟尾崎豊の愛と死と"
(1994年4月1日発行) で表現され、
それが本書である"ホットロード"であることから
"和希"の愛した主人公(ヒーロー)である
"春山洋志"が実は尾崎豊がモデルになっていると""定説化""した。
(実写映画の"ホットロード"の主題歌が
尾崎氏のバラードに決定したのは
ファンである"著者の意向"であると考えるのは
妥当であろう)

確かに、尾崎と"ハルヤマ"は非常に似ている面が随所にある。

まずは、シルエットや表情(特に目)だ。
体型や表情の繊細さと、
死も恐れない凶暴さといったらよいか、
"ハルヤマ"を描く上で様々な場面で
モデルとなった可能性は高い。

尾崎には多くの写真がデビュー頃から存在し、
イメージを描く上で著者が参考とした
有力な有名人のひとりではなかったか。

しかし、
"ハルヤマ"の実像と実際の
尾崎豊は全くの別人だ。
実像と遠く離れているといって過言ではない。

似ている要素はたくさん散見されるが、
違う要素の方があまりにも多すぎる。

私自身、音楽アーティストとして
尾崎豊をリスペクトしているから
その違いは一般の方よりは少々詳しい。
そのいくつかのエピソードを述べたい。

確かに"尾崎豊"はデビュー前、
かなり相当な"不良"であったのは事実だ。
未成年時代の喫煙も酷かった。
余談になるが歌手として
"のど"も安定していなかった。

一般的に知られていない尾崎の実像だが、
武道家として鍛錬もしており、
剣道初段、躰道("たいどう"と読み、
日本の伝統空手武道の一種=
"玄制流空手")は五段という相当な
武道家の側面があるということである。
掲載画像参照。(帯は黒ではなく師範クラスの
朱="赤帯"である)

極めてタフで精神性も高い人物である。
そのあたりは"ハルヤマ"と"かぶる"。

尾崎の場合はさらに、
教養が高い。実際、
家族においても優秀な兄、
父は防衛庁事務官であり、
親同士、家族とも円満な家庭で育ち、
高校は青山学院高校へ進学している。

↑おそらく10代の頃に精読されたであろう、
"OZAKI"の蔵書の一部。

普通の中学・高校生では
まず読破できない類いの書籍である。

その前に、極めて狭き門である、
少年工科学校(防衛大の下位学位)の
採用試験も突破している。
その試験は非常に難易度も高く競争率は高い。

尾崎の将来は
音楽アーティストになるだけではなく、
他に2つの選択肢が
10代の頃に既に少なくともあった。

ひとつは武道家の道を歩み、
道場を経営すること。
それは仲の良い兄とビルを共同で経営し、
上の階はすべて兄の経営する塾などに任せ、
1階を自分の道場にするという夢。

もうひとつは、
少年工科学校から
自衛隊の中堅幹部になるという道。

・・・。

著者は生きた"ハルヤマ"描くために、
画のディティールで尾崎の肖像を
参考にした可能性は感じられるものの、
"生き方"言動、生涯を含め"春山洋志"の実像とは
すべてにおいて"別人物"と私は判断する。

但し、死をも恐れない・・
と感じさせる人物像は
あまりにもふたりは
一致共通しているといえよう。

------------------------------
"さんにん目の人物"で
俳優として活躍されている、
<"宇梶剛士"がモデルという説>がある。

↑若かりし頃の宇梶剛士(うかじたかし)氏

1980年前後。

宇梶剛士(うかじたかし)氏は
日本最大組織とされた
"ブラックエンペラー"の
三多摩地区の"ヘッド"から後に
7代目名誉総長となり、
数多くの武勇伝のある事実、
族の構成員であった方である。

1対1では喧嘩の後には
和解することが多かったそうだが、
卑怯な手段を講じた
相手には容赦しなかったとされる。
その事実は"鬼のように恐ろしい存在"として
現代でも語り継がれている。

では"宇梶剛士"という方の実像と、
"ハルヤマ"の像は同一人物(もしくはモデル)なのかどうかだが、
個人的にはやはり否定せざるを得ない。

まずイメージの像が全く違う。

"宇梶剛士"氏を"ハルヤマ"と思っている方は、
実際の作品(原著)をしっかりと
"読み込んで"はいないのではないか?

女性からの
視点で描かれているといわれている
"ホットロード"であるが、
"ハルヤマ"と宇梶剛士氏とでは
顔も背丈や体格も全くといって似ていない。

宇梶剛士氏はどちらかというと
強面の格闘家といっても過言ではない
すごみのあるオーラがある。

"ハルヤマ"はどうか?
どちらかというと
表面上きゃしゃ(華奢)で
体格線が細く、顔付きもまた、
宇梶剛士氏とはまるで似ていない。

この説は春山が総頭を務めた"NIGHTS"が
"ブラックエンペラー"がほぼ間違いないモデルで
あるという理由から生じた、
"錯誤"であると思われる。

↑作品中"ハルヤマ"がヘッドとなった"ナイツ"の旗

著者はほぼ間違いなく、
超がつくほどに有名な暴走族である、
"ブラックエンペラー"
を作中の"NIGHTS"の土台とした。

(ロゴマークの類似点や数百人規模ではなく、
敢えて"2000人超"と設定して
あることからも作品内の
NIGHTSのモデルとして
"ブラックエンペラー"をモデルにしたと
巷で断言されている所以である)

あえて、"そうする必要性"があったのだ。

つまりは、
当たり障りのない、
誰でも周知の有名な暴走族をモデルにすることで
事実を架空化する必要があった。

その"課題"だけでも
著者の気持ちは痛いほどに伝わってくる。

"ホットロード"を
"実話"として伝えることを
なんとしても避けるためだった。

------------------------------------
"よにん目の人物"に
<"春山浩平"という人物の説>があった。

WEBでの"ハルヤマ"の"実像"の調べは
まるでネット中毒のオタクのような
様相を呈する調査ではあったが、
自分にとって真新しい発見のひとつとなった。

以下は孫引き引用文となるが、
そのママ掲載させていただく。
そのほうが"伝わりやすい"と判断した。
私の"弁"は先頭に☆マークをつけさせて
いただく。他引用は誤字脱字含め全て、
そのままである。

+++++++++++++++++++++++++++++
"ホットロード"の春山は戸中の出身で、
初代浮浪のメンバーで、 本名 春山浩平(41)
作者は憧れていた 
その実際の春山氏をモデルにしただけ
たまたまツッパリで族もやっていて

江の島が盛り上がっていた時期
なので和希やその他のメンバー、

族の抗争や春山の事故までは実在は不明
あとは出身校の戸塚中学と金井高校の風景、
湘南の地名や風景はリアル 作品を造るうえで

当時色々と取材で回ったこともあり
『自称ハルヤマ
が多いのはそれが要因かもね

ちなみに、ホットロードの原作者である
紡木たくさんの出身も横浜市。
こんなことからも、『紡木たくさんが実在した春山氏をモデルにした』という可能性が

かなり高いようです。
(公式にはこのことについて言及されていません)

++++++++++++++++++++++++++++++

☆この話には正直、
"色めき立った"。

何故ならば、
私の不可侵と信じてきたこと(ひと)を
完全に凌駕する新事実が
もしあるとするならば、
それはそれでとてもよい事だと思うし、
ある意味私にとって
安堵感にも繋がるからだった。

実際に"浮浪"(はぐれ・・と読む)という
暴走族は実在する。

他のネット上での記事ではこう記されていた。

++++++++++++++++++++++++++++
春山ひろし本名春山浩平は実在してました。
正和37年産まれ。
戸塚
の浮浪ハグレと言う名前の暴走族。現在離婚して長距離運転手だそうです。
詳しくはネットで

[匿名さん
+++++++++++++++++++++++++++++
これ実話みたいだね。
神奈川の不良の所に書いてあったよ。ナイツ=はぐれ
春山洋志は族のあとヤクザになり今は

堅気になって普通に働いてるみたいだよ。
+++++++++++++++++++++++++++++

☆私はそうした情報の
根本的な"発信源"を探し続けた。

+++++++++++++++++++++++++++++
(・・略)
冷たく突き放す一方、
惚れた女が本当に危ない時には

ちゃんと守ってやるのが、春山です。
男気があって、最後まで女に手を出さない

春山に、胸をときめかせる
女の子が数多く出ました。
「ホットロード」の世界は

実話をもとにしているという噂が流れたのは、
そうした
憧れの為せる技です。

「ホットロード」が実話をもとにしていると、
原作者の紡木たくさんは話していませんが、
春山洋志には実在するモデルがいたという

噂が広まっています。
実在するモデルとして名前が挙がっているのは、
戸塚の暴走族「浮浪(はぐれ)」の

初代メンバーです。
ネットに広まっている名前は、

「春山浩平」です。

実在の春山さんは、その後、
重機トレーラーの運転手や長距離運転手になったと言われて
います。

++++++++++++++++++++++++++

☆根本的な"発信源"は、
今回の独自調査で
やがて発見された。
おそらく以下↓
これであろう。
引用は少々長くなるが、
大変興味深いレスポンスであった。

+++++++++++++++++++++++++++

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横浜戸塚ってどんな町?

☆(1-70・・・略)

71 :名無番長:04/04/08 10:01
ホットロードの春山の町

72 :名無番長:04/04/08 10:03
>>71
ホットロード春山って戸塚?!

73 :名無番長:04/04/08 10:19
ホットロードの春山は戸中の出身で、

初代浮浪のメンバーで、
本名 春山浩平(41)
当時、春山に憧れていた2コ下の女の子
つむぎたく[本名 田所]
が、春山をモデルにして描いた

漫画であり彼女の作品には友達をモデルにした
作品も多くみられます。

74 :名無番長:04/04/08 10:28
>>73
藤沢かと思ってました!

75 :名無番長:04/04/08 10:35
ホットロード大好きでした!戸塚なんだ!初耳…今何をしてるんでしょ?知りたい。

76 :名無番長:04/04/08 10:36
春山さんの近況が知りたいです。

(・・77-97中略)

98 :名無番長:04/04/09 23:54
残念ながら春山以外に漫画の中では実在の人物はいませんがそれにあたる人はいると思われます。
  田所は、S39生まれなのでその頃の戸塚中の人に聞けば分かると思いますよ!

99 :名無番長:04/04/10 23:04
春山さんが実在すると知ってうれしいです。

もっと色々知りたいです。
+++++++++++++++++++++++++

☆しかし残念ながら
あくまでこの私にとっては、
"春山浩平"氏に関する"ハルヤマ"説は、
"決定的"な情報の不足と信憑性に欠けていた。

上記した
引用を超える、
もっと確実な事実と感じ取れて、
"確信"できる情報源には
とうとう辿り着くことはなかった。

しかしこれは
私の直感というか
雑感となってしまうが、
どうやら少なくとも作中では
"ハルヤマ"のことを後輩たちは
"春さん"と呼んでいるが、

"春山"という方は実在している
人物のような気がする。

引用は差し控えさせて頂くが、
この"春山浩平"に関する
大量の調査を"それなり"に私は行った。
実は4人の"ハルヤマ"説の中では最も
"ホットロード"に
影響を与えているような気がするのだ。

"この方"が事実、
実在すると仮定して
私の妄想というか
邪推を最後に記させて
この【序文】の項を
〆させていただきたい。

"春山"という名字は実は少ない。

私は日本人の名前に関する
仕事していた時期があった。
佐藤・鈴木・高橋・田中・伊藤・
渡辺・山本・中村・小林・
吉田・山田・佐々木・・
下位順位では大森・大村・大林・小島・・
などに比べても"ハルヤマ"さんは
多くない。たとえば、"大森"に対し
"小森"さんはかなり稀少で、
(大林<小林または大島<小島の場合もあり、
大村=小村はほぼ同じ"数"の場合もあるが)

"春山"はある面"独立"=孤立した"氏"であり、
圧倒的に少ない(珍しい)のである。

つまり"ハルヤマ"という
名字は"対"がなく、
かなり珍しいのである。
(例:"秋山はあっても"春山"の対となる
"冬山"という名字は極めて珍しい)

"春山浩平"氏が実在する人物で、
"浮浪"(はぐれ)に所属していた
時期があったとするならば、
同じ地元でしかも同世代である著者にとって、
その人物のことをよく知っている可能性は高い。

なにせ徹底的に
"リアル"を追求する著者である。
どの作品をみてもそれは顕著だ。

それどころか"ふたり"は
面通しや面識させお互いに生じても
全然おかしくはない。

著者が"その方"を昔
"憧れていたって"
全然おかしくはない。

誇大妄想をさらに膨らませれば、
著者が"和希"で"春山浩平"氏が当時の
彼氏("ハルヤマ")であっても
おかしくはないのだ。

ここまで来ると(カレシ・カノジョの関係)
それこそなんの根拠もありはしないし
完全な私の膨張しきった"誇大妄想"と化すが、
"春山"という名字は何か著者にとって
特別な存在であったの
かもしれない。

同姓同名にしてしまえば限りなく
"実話"となってしまい、
本物の"春山"さんに迷惑が掛かる
可能性もなきにしもあらず。

ここまで影響のある作品になるとは、
著者もゆめゆめ連載中は思っても
いなかったことであろうが、
実名を使わなかったことは
"功を奏した"といえよう。

"春山浩平"を"春山洋志"とした。

"春山浩平"氏のWEB上での情報は、
女性にとてもモテたらしいが、
"ホットロード"の"ハルヤマ"と
はやはり私のなかでは
どうしても結びつかなかった。

主観を避け、可能な限り、
客観的に冷静に判断した上で、

別人物・・つまり違う人物のような気がする。

これが私の現時点での様々な著名人に
たいする"ハルヤマ"の実像とのズレと、
"春山浩平"氏に関する感じ方であった。

都市伝説の
総括(まとめ)をする。

私は今回"よにんの方々"の
"ハルヤマ"説を独断で
"あなた"にお話しした。
この4人の方々は
・・著者にとって多かれ少なかれ、
影響のあった人物であったかもしれない。

しかし私の
"4人の像"の共通の
"否定"的意見として
明白な根拠すなわち事実を述べたい。

つまり"ハルヤマ"のように・・
文字通り"生死を彷徨い"
不慮の事故からの生還=
"喪失からの再生"は
四人の方々のキャリア(人生)において
皆無(ゼロ)である。

事故や怪我はたくさん遭われたかもしれないが、
"四肢障害"なく活躍なさっている。
(尚、故・尾崎氏においては
"ホットロード"連載終了後の後年、
すでに他界しているが、
作品にその死が影響することは
連載開始から終了までの年代を

考慮すると絶対にあり得ない。
尾崎豊のことはよくご存じでない
若い世代の方に
以前私が作成="朗読"した

尾崎氏の紹介動画がYouTubeにある。
ご参考にして頂けると幸いである)

つまり先述した
"四人"の方々は直説"ハルヤマ"像
とは"直結"してはいないと判断できる。

"ホットロード"においての結末(完結)での
"喪失"からの"再生"は
きわめて重要であるし
絶対に避けて通れない。

つまり全員の方々が
私にとっては完全に
"シロ"(("ハルヤマ"の
実像では決してないの))である。

--------------------------------
なにはともあれ、いざ
実在する人物のことを
記すとなれば、それは
問題と悩みは尽きなかった。

登場人物は現在社会で
活躍なさっている方々が
大勢いるのだから、
いつ何かの拍子に
この私の戯文でどんな迷惑が
かかってしまうかわからない。

軽率な発言は絶対にできない。
最初からするつもりも毛頭ない。

そもそも、
実在する"ハルヤマ"とは
既に四半世紀も
"お会い"できてはいないのである。

つまり私は
"ある方"にきちんと承諾を得ていない。

つまり実在する私にとっての
"ハルヤマ"にこの記事を記す
"承諾"を得てはいないのだ。

1番問題となる人物は当然ながら、
この記事の主人公である
"ハルヤマ"についてである。

これから述べる本文は
ある面極めて現実として、
辛辣で過酷な深い内容となることも予測され、
もしも実名が"バレ"てしまうことで
多大なご迷惑をかけてしまう畏れがあることと、
ある意味、ほんものの"ハルヤマ"の
名誉を毀損する行為にもなりかねない。

前の項目でも記したように、
私は"ハルヤマ"の実像にまつわる
WEB上の"都市伝説"を否定していった。

↑"Fさん"と親しくして頂いていた同時の私

私は"ハルヤマ"を特定の人物として
実名を公表することが目的ではない。

"ハルヤマ"が実在する人物であると
いうことをただ強く感じ取って頂けるだけで
私の念願はすべて叶うといっても過言ではない。

ではどうしたら・・
"あなた"へその真実を、
ダイレクトに
お伝えできるのだろうか。

まず問題となるのは
"暴走族"が社会通念上
"悪行”であるという認識がある以上、
実在する特定の方を公表することは
絶対にあってはならないということだった。

もう既に何十年も前の話・・ではあるが・・。

しかし、もし何もかも
事実を明確に記すとなれば、
それには
本文で登場される
お一人、
お一人の承認が
まず必要となる。

とは一旦考えたものの、
それが荒唐無稽な夢物語
であることをすぐに悟った。

上(先輩やOB)の方が
下(後輩や下の世代)を
探したりすることは割と簡単である。
しかし、逆に下の者が上の方のことを詮索
することは容易ではない。
わかる方にはこうした上下関係の
厳しい世界のことを分かって頂けることと思う。

実名と実際の団体を名指すことは、
当事者の方々にとって不利益を被る
可能性はゼロとはいえず無視できない。

個人名を絶対に
"控える"=守秘する必要がまずあった。

ではどうやって
読者の方へ伝えられるのだろうか。

例えは適切ではないかも知れないが、
"裁判所"ではまず
"おとぎ話"にしかならないような
体裁の記述の仕方を用いる。

それは"イニシャル"しかないと思った。

しかし実名や実際の組織や団体は全く
同じ発音の"イニシャル"とする。

英語のイニシャルを用いることによって、
実在する各組織、そして実在する人物は
英語のローマ字のイニシャルで留めれば、
"事実を特定"する(した)ことには決してならない。

わかる方には"一発"でわかってしまう一方
・・一読した位ではよくわからない、
そんな曖昧な内容になってしまう嫌いがあるが、
しっかりと調べてゆけば、およその検討がつく、
そんな新しいメッセージになれたら本望である。

そんな体裁の文章になって
しまうがどうか・・
お許し願いたい。

しかし数十年前の話を
ひとに伝えられる言葉にすることは容易な
作業ではなかった。

インターネット上の情報があてにならない事
を知った私は、さらにあてにならない
私の曖昧な記憶力に頼るしか
もはや手がかりはなくなった。

"ハルヤマ"という
存在は圧倒的に
凛然(りんぜん)として今も強く輝いていながら、
詳しい時期を見込んでしっかりと
想起(思い出す)ことはあまりに厳しく、
難航していった。

↑30年前"Fさん"とおつきあいのあった頃の私。
真夜中の写真だったが時計の針が止まっていた。

"あの頃"に比べれば、
私は大分歳をとってはいるものの、
いまのところはまだ、
隠居生活で"スローライフ"をエンジョイ(謳歌)
しているわけではなかった。

↑曖昧な記憶を辿り・・
"Fさん"に辿り着けそうな可能性の
ある資料をさがしつづけた

大昔の写真や手紙を出して
"しげしげ"と懐かしんで普段から
見ることなど過去一度もなかったが、
この曖昧な記憶から
少しでも"脱出"する手段は
あの頃の自分を今一度しっかりと本気で
見つめ直す必要性があった。

1980年後半から1990年初頭にある、
幾多の焼失してはいない手紙や写真をもとに
"決して失ってはいないだろう筈の記憶"を
再び蘇らせる努力をはじめた。

何はともあれ、
"論より証拠"が絶対的に
足りていなかった。

あるはずだった写真がない。
フォトアルバムに収納していない
写真の束をひっくり返していた。

捨てたはずのない
手紙や"招待状"
を見いだすことができなかった。

何もかもが・・ただの
思い過ごしだったのだろうか・・

大量の手紙から
鮮明な記憶が蘇る
"手がかり"を探した。

いつしか
残存する
30年以上前の
大量の写真ネガを
白色LEDに照射し肉眼で
そこに"焼き込まれた"ものを見定めていた。

""ハルヤマ""先輩のことを
少しでも知るきっかけを作るために、
あの当時の記憶を復活させるために、
私は寝る間も惜しんで
いつしか躍起になっていった。

↑丁度"Fさん"と出会ったころの私

これから述べる
【本文】の内容はあまりにも
出来過ぎた"嘘"と感じられるか、
信じて頂けるのかは、
すべては"あなた"次第となる。

"あなた"に
何もかもすべてをゆだねる。

それから、
はじめから断っておくが、
私の話す事柄が"あなた"にとってどんな
感じ方を与えたにせよ・・

"あなた"が愛した"ホットロード"を
凌駕(超越)することは決してない。

"あなた"が愛し続けた
"和希"と"ハルヤマ"は
私の話す事柄="現実"が
超えることは絶対にない。

つまり"あなた"の"愛"情を
"この私"が超えられることは
絶対に"あり"得ない。

私は最初からそのことを確信し
ここに本文内容を記す決意をした。

【本文】の項では
実名のお名前の名字が"F"そして
名が"T"のイニシャルであることから、
"ハルヤマ"先輩のことを今後は
"Fさん"と記述する。

私が知っている"ハルヤマ"は
そう、あの"最後"の結末から
およそ3年後!!の"実像"からとなる。

"Fさん"とのはじめての出会いも
いつもはっきりと鮮明に思い出せる。

何もかもが痛烈に鮮明に脳裏に
刻まれている。

あとは・・
可能な限り時系列に
この追憶をどれだけきちんと
"あなた"に説明できるか、となった。
------------------------------------------------

【本文】

"Fさん"と初めて出会ったのは
果たして"いつ"だったろうか。

"Fさん"
との思い出はそれこそ
いつだってたくさん
思い出されるというのに、
いざそうした"出来事"が
何年の何月・・となると
その事実を"あなた"に明白に
お伝えできるかといえば、
まるで私には自信がなかった。

前項でも
お話したように
私は確かな記憶を
呼び醒ますために
30年も昔の過去の
"ネガ"や写真や手紙の束を
引っ掻きまわしては
"Fさん"の手がかりを
探し出すために
"躍起"になっていた。

しかし30年前の私は
"いま以上に相当いい
加減な性格"
だった様子で、
どんなに
大事なものでさえ
杜撰(ずさん)な管理で
"木箱"に放り込んだまま
封印していたままだった。

きちんとフォトアルバム
に収納された写真だけでなく
女性や友人達から
貰ったと思われる写真は
"当時のまま"・・つまりは
"封筒に入ったまま"
でさえあった。

幼少時代の小学生の頃の写真は
"いつ""誰"に"どんな時"に
と鮮明に思い出されるというのに、
中学・高校・大学・・そして20代に
なってゆくに従い、記憶はどんどん
不鮮明になっていた。写真に残る
女性たちの下の名前はおろか、
名字させ・・そのほとんどが思い出せない。

手紙や便せんの隙間に
多くの写真が紛れ込んでいて
メチャクチャな有様であった。

"Fさん"から頂いたと
"思ってきた"筈の
"お祝いの招待状"は
結局最後まで
発見できなかった。

"それ"から年月を逆算して
"あなた"にできるだけ
"リアル"をお伝えしたいと
そう願っていた大事な
"招待状"であった。

そもそも・・
"貰っていなかった"
かもしれない。

それほどに
"Fさん"に
親しくして頂いていた私。

しかし、
1番探していたものが
どうしても
見当たらなかったことで・・

私は混乱しはじめていた。

そんな矢先・・。

"Fさん"から頂いた
"年賀状"が少しずつ
見つかっていった。

四半世紀経っても、
全く色褪せない、
ほんとうに素敵な、
"ご家族の写真"だった。

その美しい葉書の右下
の"エッジ"(端)に
その当時の
年月が刻印されていた。

この投稿記事においての写真
掲載は"その箇所のみ"でどうか
"ご了承"いただきたい。

この話は
ある程度詳しく
後述するが、
そう・・
ホンモノの
"ハルヤマ"は後年
ご家庭を築き育み、
とても幸福な人生を
過ごされていた。

"あなた"にとっても
"肝心"な部分で関心
の強いこと
だと思うが、
この写真の"全体"を
"掲載"することは
私にはどうしても
できない。

実存実在している
ほんとうの"ハルヤマ"の
写真を掲載することは
私にとって"不可侵"
(侵害を決して許さないこと)
以外のなにものでもない。

心から敬愛する方に
"モザイク"や
"マスク"処理をする
ことは私には
絶対にできなかった。

どうかこの
わたしの思いが
"あなた"ならわかって
頂けるだろうというご厚情に
肖かって(あやかり)この先の
長文となる本文を
綴らせてゆきたい。

もっと時間を割いて
徹底的にアナログの
ネガフィルムや写真、
葉書や便箋の手紙等、
その総てを洗いざらい
"調査"してゆけば
"Fさん"を話す上で極めて重要な
発見がみつかるかもしれない。

しかし今の
この生活の
私にとっては、
荒唐無稽ともいえる、
かなり時間を要する
課題であった。

"隠居生活"を
謳歌できている
身分ではない。

日々自由な時間は限りなく
閉ざされており、
有限でタイトな生活を
強いている。

本文を綴る上で
決定的な"出来事"と
呼べる"後ろ盾"は
なんと奇っ怪な!
"妙な写真"が30年ぶりに
出没した瞬間に生じた!!

"スクラップ"(廃車)同然の
事故車(両)の写真だった。

残された写真の"ネガ"には
おそらくなかった画像。

その数枚の写真を観た瞬間に
もう二度と思い出したくはない、
"封印"していた筈の"苦い記憶"が
完璧に"フラッシュバック"し
一気に鮮烈に思い出され
総てが覚醒されていった!

曖昧模糊であった
"Fさん"="ハルヤマ"
との出会った時期を含め
あらゆる"点"と"点"が
まるで"瞬きもせず"に
一気に太い"線"となり、
全てが完全に一直線となって
連結されていった!!

その私の個人的な
事故の経緯は直接的には"Fさん"とは
一切関与していないものの・・

それも後述するが、
"ハルヤマ"である
"Fさん"には
この私の"事故歴"は
"共有"していただいた
内容でもあるので
またしても前置きが
長く恐縮の限りだが、
この事故の顛末は
"あなた"にきちんと
お伝えしておきたい。

------------------------------------
1987年10月秋。

私はタイトな
S字カーブで
"ドリフト"に失敗し、
"横転事故"を起こした。

私のキャリア(生涯)に
おいて
それなりの
重大事故となった。

その記憶は数枚の廃車同然の
車輌の写真を見た途端、
鮮烈に"当時"の出来事が
フラッシュバックされた。

おそらく
"修理見積もりを
計るため"
インスタントのカメラ
媒体によって
"退院"後に
私が撮影したものだ。
(結局、当時の私は
事故車両を垣間見た途端、
修理することを断念した。
仕方がないので"記念撮影"
したものである)

クルマ(車体)は
TOYOTA"TE-71レビン"。

当時私が所有していた
クルマである。

私の駆っていた、
そう所有していた
このタマ(クルマ)は・・
"化物"だった。

21世紀現代。

"AE86レビン"の前期である
この"71レビン"もまた
名車として讃えられている。

2021年現在の私は
それこそ非力でおもちゃみたいな
改造しかしていないクルマを運転
しているが・・当時
オーナーとして
"71レビン"をとても愛したが、
私の所有する"71"(ナナイチ)は
ドリフト走行用に改造され、
自分の手に負えない
"化け物"になってしまっていた。

オーナーは私の代で
3人目だったと思う。
初代のオーナーは腕利きの
一級整備士でこの車体の"2-TG"(エンジン)
を一旦バラし、
再度組み立てることによって
心臓である"2TG"を"別物"に仕上げた。

私の所有する"71"のエンジンは他の
当時の"セリカ"や4枚ドアの"カローラ"に
搭載されていたエンジンと比較しても
明らかに別物であった。

猛烈な"アクセルフィール"だった。
どのように内部の"ポート"類を
研磨すればああなるのか・・
メカニックとして素人の
私には今も理解不能だが、踏み込むと
瞬時に回転数はレッドゾーンに入った。
ノーマル(エンジン)とはとうてい思えない
相当に速いレスポンスであった。

凄腕のメカニックがノーマルエンジンを
バラし再度組上げるだけで
数十馬力もエンジンが
変化(へんげ)する・・等の噂は
都市伝説でしかないと思っていたが、
このタマ(クルマ)を所有して
その考えを完全に改めた。

排気系統はフジツボ社製の
4発のタコ足を噛まし、
同社のストレート管
(マフラー)で
突き抜けるような
爆音となり相当にうるさかった。
↓細かいチューニング(改造)箇所は異なるが
YouTubeにて同志の方の動画(※"ジムカーナコース"での同じ
マシンでの走行シーン)がアップされていた。
お時間の赦せる方は是非
ご覧頂けたら嬉しい限りである。
(尚、私の駆っていた当時の
71の排気音はもっと甲高くうるさかった。
※ジムカーナ(絶対的な馬力よりもコーナリングや
ブレーキングが相対的に重要となる単独ラップタイムレース。
サイドターンなどで小回りな旋回を求められる低速セクションや
中速でのコーナリングや切り返し、
高速からのハードブレーキングやそれらを滑らかに繋ぎ
タイムロスを防ぐ走行ラインの取るなど、
ひとつのコースであらゆる走行技術と戦略を必要とされる高度な
自動車レースの種目のひとつである。
パイロンを用いることでドライバーの
重大事故に繋がるケースは少ない。尚、コースの
レイアウトは大会の都度変化し
レーサーにとっては当日にならないと分からない)

私の所有する"71レビン"は当時
ショックや足回りはメーカーを
忘れてしまったが、タイアは
ポテンザのRE71でタイア幅は
フェンダーぎりぎりの
図太い205サイズを選択していた。

"RE71"のタイアからのストリートの
インフォメーション(情報伝達力)能力は
さすがに"日本製"が世界で初めて
認知されたタイアだけに(ブリジストンが
威信を賭けて開発しポルシェ959の認証タイア
となった)抜群であった。

マシンは完全な
ドリフト走行仕様だった。
当然AE86の親の代とあって、
当然ながらFR(後輪駆動)車である。

さらに私の所有するレビン(71型)は
"4ピニ"のノンスリ(ノンスリップ・デフ)
=Non-slip differentialを搭載した。

若い世代の方だと
"ノンスリ"と謂われてもピンとこない
かもしれないが、
LSD(リミテッド・スリップ・デフ)=
"ノンスリ"と思って頂いて
たいして相違ないし差し支えない。
私のように古い人間は相変わらず
"ノンスリ(ノンスリップデフ)"と言ってしまう。
つまり専門用語では
"差動制限機能をもったクルマ"の
"デフ"機能のことである。

じゃぁ"デフ"ってなんだよ?
とお叱りを受けそうだが紙面の都合上
詳しいことは述べられないが、
もの凄く簡単に説明すれば、
道路のコーナーを走っている際に、
"内側と外側の車輪はかなり旋回半径の違いが
生じて曲がりにくくなる"ので、
その差をなくしましょう・・
ということでディファレンシャル装置を備える場合がある。
(現代の高級車には進化したよいものが搭載されている)

30年前の当時の私の場合は
ドリフト専用仕様車
であったため、3種類くらいは
あるそうした装置の機能のうち、
"デフロック"を極端に生じさせる
4ピニの"ノンスリ"
(差動が生じたときに左右輪を完全にロックして差動をなくすもの)
を噛ましていた。
ノンスリを噛ます場合、
ピニオンシャフト(デフの内部の構造パーツの一部)
の数は2ピニから4ピニになるに従ってタイアの
ロック力が増大し、ハンドリング(運転)はより
シビアになるという代物であった。

"71"はMT(マニュアル)
であるため、1速で
やや気を抜いて
少しアクセルを踏み込んだまま
回転が上がった状態で急ハンドルを
切ってしまうと、
仮に"ガソリンスタンド"から道路へ出る
時ですら後輪が滑り(スピンする)
テール(自動車の後方)が見事に
流れてしまうほどであった。

ウェット(雨天)や初めて走る
ストリートではまるで初めて触れる
"オンナの肌"のようにデリケートな
"操作"を常に訴求された。

つまり1速ギアで
アクセルにて
回転数を上げ
(7000rpm以上のレッドゾーン)
てハンドリングを鋭角に
切るだけでその場で駒のように
(通称マック・スターンと呼ぶ)
クルマが"くるくる"と360度
回ることが出来るマシンだった。

暇をみつけては、
この71(クルマ)で
横浜の誰もいない夜明前の埠頭へ
仲間を乗せて行けば、
駒のようにクルマを
回転させて遊んだ。

そして・・
あえてひとり単独では誰もいない
真夜中の埠頭にて"サイドターン"の
練習などをたくさん行った。

100キロ以上のスピードで直進し、
サイドブレーキを一気に切って、
ステアリング(ハンドル)操作で
クルマを急旋回し"逆走"する
手法の研究にも
私は没頭した。

防波堤も何もない誰もいない
真夜中の埠頭でたった一人で
FR(後輪駆動)の挙動や"最悪の
状態"を想定した
危険回避方などを
模索するのは・・あの頃の私
にとって
猛烈に楽しかった。

埠頭の先の
真下は漆黒の
海底だった。
クルマごと落ちれば終わりだ。
助けにくるものなど誰もいない。

イメージ通りのポイントに車体が
急旋回出来ずに埠頭の
断崖僅か3メートル
付近で停止した際は、
いつも大量の冷や汗を掻いていた。
しかしそんな夜は、
しょっちゅうの出来事だった。

10代の頃は、
私は"危険"なオトコだったと思う。
自分の命を粗末にして生きていた。
つまりは自分の命を大事にしない
人間はひとの命なんか絶対に大事
にできないような人間だったこと
を意味する。

しかしあの頃が1番、
クルマの"改造"熱も凄かったが、
クルマのスポーツ走行というものに
熱狂的になり一生懸命だった。
友人たちもそんな奴ばかりだった。

↑ヤビツ峠頂上付近の"展望台"(非常に有名である)

しかしさすがに、
"イニシャルD"で
全国的に有名になった
丹沢奥地の
"ヤビツ峠"へ
"真夜中"に単独でその
"71レビン"でドリフト
走行する勇気や度胸はなかった。

↑有志のサイトから引用画像(青が裏ヤビツ・赤が表ヤビツ峠)

当時の私がいつも考えていた峠は
"裏ヤビツ"のことを指す。
"裏ヤビツ"とは神奈川県下きっての
本当に恐ろしい"険道"である。
真夜中の場合は後悔して後戻り不可
な完全な"閉塞ゾーン"が随所にある。
崖だらけの険道でコースアウトし、
ドリフトに失敗すれば
転落死する。落石や崩れた道路のエッジは
あの当時多数散在していた。
その"闇"がヤビツ峠山頂まで延々と20km以上続く。
"71レビン"でもしも真夜中に本気で
走り込んだら・・
崖底に墜ちて自分が転落死するのが
目に見えていた。("イニシャルD"は
オモテ="表"ヤビツが舞台であり、
林道のほうのウラ="裏"ではない)

↑昼間の裏ヤビツ

今思えばあの頃の
私はとても大事な
ことを欠いていた。

私のやっていた
"ドリフト"は、
真の"スポーツ"でも
なんでもなかった。

事故や怪我を
予測回避し命の安全
を保持した上での
高度なレベルの
運転がまるでできて
いなかったからだった。

"71レビン"での
あの横転事故。

私は3ドアハッチバックの
"71レビン"の後部座席に
友人2人を乗せ、
直線道路をいつものように
猛スピードで疾走していた。

↑2021年10月現在(同じ道路撮影)

友人の兄貴が
鉄仮面(6代目スカイライン"R30系")
で亡くなったストリートをいつものように
猛烈なスピードで通過していった。

鉄仮面"R30系"スカイラインRSターボ (参考画像)

そんな道路は
私にとって相当に
"走り込ん"できた
ストリートだった。
自分よりこの
道を知っているものは
誰もいないと自負していたくらいに
大量に"走り込んで"きた道路だった。

1987年秋の夕方。
枯れ草が少し風で舞い、
西日が差しこみ、
天気はよかった。

4輪のRE71(タイア)から
入ってくるインフォメーション
(情報)はいつものように的確で何の
違和感もなかった。

しかし・・
いつもとは完全に違う、
私には甚大なミス="欠損"を生じさせながら
"死に向かってのドライビング"をしていた。

私はこのクルマを
本気で操縦する際には、
多くの改造車の
オーナー達と同様に、
車体純正に装備する3点式の
シートベルトではなく、
他社製(自分の場合はシュロス製)の4点式
シートベルトで身体を完全に"ロック"
固定していた。

↑参考画像

あの日、
私はなぜか
シートベルト装着は3点の純正のみであった。
私の改造した"71レビン"には課題があった。
運転席シートは"純正のシート"であったことだ。

フルバケット仕様のレカロ製の
シートの見積もりをしている最中であった。
従って、かなりきつく4点式シートベルトを
装着して普段の私は常に激しい走行をしていた。

強烈なスピンや
制動を伴う行為においては、
強烈な"G"(地球の重力加速度のこと)
を伴うことにより、
しっかりと運転性シートを
ロックする競技用のシートベルト装着は
必須条件であった。

車検対応においては
3点式の装備は大事
(常時上半身固定は
車検対応は許されてはいない)
であるものの、
凄まじい"G"力に
ドライビングポジションを
維持する為には通称
""ランドセル""と呼ばれる
4点式以上のレース競技用
シートベルト着用は
必須であった。

若気の至り・・
気の緩みからか・・
あのときのその理由は
30年経過しても
未だに判断できない。

友人二人を後部座席に乗せていながらも、
なぜか私はいつものように"SCHROTH社製"
の4点式シートベルトで身体をしっかり
"ホールド"していなかった・・。

今になって痛烈に理解することは、
あの時、4点式シートベルトでホールド
していれば事故は起きず回避できた
かもしれない。

しかしもしも回避できずに
"4点式シートベルトを装着"したまま
同じ横転事故であった場合、
私の首の骨は瞬時に折れ、
即死であったということである。

つまり重大事故において
助かった顕著な理由は・・
激しいタイトな走行では
ただの"飾り"にしかすぎない
3点式シートベルトであったから
私は助かった、という事実である。

さらに、あの時、事故が回避できたと
しても、いずれ、同様レベルの事故に
遭遇したともいえる。

さらに、当時の私の
所有する"71レビン"は
車内を"ロールバー"=ロールケージ
(オートレース競技の悪路走行にて
クルマが横転事故などを起した際、
重大クラッシュで車体が潰れるのを
防ぐ補強材)、つまり
鉄パイプやアルミ補強剤で車内
を補強してはいなかった。

あの時、私はいつものように
タイトなS字カーブの左コーナー前で
時速100キロ前後で2速におとし、
一気に突入した。
左に切った角度はいつものように
正確でアクセル量(回転数)も月並み
だった筈だった。

!!・・。

その瞬間・・
私の上体(上半身)は右側に大きく逸れた。
次のカウンターを当てるタイミングは
おそらく百分の5秒以上遅延し、
そのハンドル角度はあまりにも浅かった。

↑2021年10月撮影

いつものようなマシンの
"パワーロス"が生じなかった!!

二人の友人を乗せた1トンの
"71レビン"の"棺桶"は
高速(時速100キロ弱)の速度の二乗に
比例するとてつもなく増大された
"運動慣性力"を制御することが
不可能となった。

コーナリング最中、
フロントタイアのスリップ・
アングル(車輪の角度と進行方向のずれ角)
は4ピニのロックシステムの
スライドより過剰となり強烈な
"アンダーステア"の状態で
反対車線の縁石目がけて直進し、
車体右の"前・後輪"がほぼ同時に激突した。

クルマ("71レビン")は一瞬、
宙を舞った。

そのまま、
真っ逆さまとなり、
その"衝撃"力が
運転席屋根を潰し、
やや左に横を向いて
シートからずれ
仰向け状態の私の
右の頭部を激しく強打し、
横転し逆さまとなった

車内の天井を
"右片手"で全体重を
支えようとした瞬間に
右手首は粉砕骨折した。

クルマ("71レビン")は
もはやひとの手に負えない
"運動慣性力"を保有したまま
横転(逆さま)の状態で10メートルもの
枯れ草ばかりの土の上の空き地を
猛烈な速度で横滑りしながら滑走していた。

ひとは事故や怪我で
意識があった上で死ぬ前、
目の前の場面(シーン)が恐ろしいほどに
スローモーションになるという・・
あの話は事実で本当だ。

ずっと後になってから
"とび職"の職人の方で転落事故に遭い
九死に一生を得た方と酒の席でそんな
話をしたことがあったが、
私の感じ方と全く同じだった。

横転しながら、
バカな私は・・、
まだ"運転"を諦めては
いなかった。

"起死回生"を諦めなかった。
"千載一遇"のチャンスを祈った。

粉砕した右片手で天井を押さえ
全身を支えながら、
左手でハンドルを切り、
アクセルはまだ踏み続けていた。
クルマが逆さまになっていても私は
まだ"運転"をしていた。

不思議なのは、
ほんとうにひとは"死"に近づいた時に
もしも意識があった場合、
かなり冷静になれる、
ということだった。
そして時の流れ(時間)が・・とても
"スロー"に感じられるという
ことであった。

私は逆さまになったまま
"運転"をしながら、
しっかりと車内の
"ルームミラー"を凝視していた。

自分の命よりも二人の友人の
命のほうが遙かに尊かった。

その命だけは是が非でも
助けなければならなかった。

"ルームミラー"を見た
瞬間に私は"安堵"した。

その二人は
重大事故に関しては
危険回避能力の
"猛者"だったのである!

二人とも"横転"の最中、
天井を両手でしっかりと
支え"逆立ち"してくれていた。

全損したガラスが飛び散る中、
空き地の土や枯れ草が車内に
おびたたしい量が砂埃となって
舞っていた。

それでも・・
"ふたりは絶対助かる!"
ハンドルを握りながら、
私は咄嗟に"安堵"した。

その"二人"の友人は、
高校時代からの友人で
100キロのワインディング走行で
単車から身体が吹っ飛ばされて、
垂直コンクリートに"Araiのヘルメット"
ごと頭を強打しても首の"むちうち"で済む
ような強者だった。(その"助かった見込み"判断力
と咄嗟の行動は
バイクから離れ空中を飛んでいた際、
両手を思い切り伸ばしていたから助かったという?!)
また、そいつは自動車での横転事故においても経験上
"先輩"?で車は大破しても何傷ひとつなく生還した。

もうひとりはRZ(単車)の
ボアアップ(排気量上げの350ccエンジン)
した単車を激しく乗り回し、クルマは
当時のRX-7(ロータリエンジン)を駆り、
どんな点火タイミングがずれるとこんなに
火花が散るのか未だに不明だが・・バチバチと
マフラーから"バックファイアー"の
激しいクルマでかなり酷い?走りをいつもしていたが、
身体を怪我したことなど皆無の
"事故"回避の天才=猛者だった。

あの日、搭乗していた友人がそんな
事故にたいする完全な賢者="猛者"(もさ)で
あったことをイマでも心底感謝している。

ふたりの安全は確信した
次は自分の"番"だった。

スローモーションな時の流れの中で、
"この悪夢"が早く終わればいいのに・・
とどこか他人事のように感じていた。

おそらく1.数秒後に
逆さまに横転し
土の上を"滑走"していた"71レビン"
は最後には岩のような地面の巨石を乗り越えた。

再びクルマは跳ね上がり
回転し、元の状態(天井が上)となって、
停車した。

"うしろ"にいた友人二人の安否、
それには"私"は興味が薄れていた。

兎に角"ふたり"は助かる。
安堵感で一杯だった。

クルマの
運転席のドアが
開かなかった。

腹が立ち、右足で
思い切りドアの内側を蹴り抜いた。
どうやら足腰は健在の様子だった。

開いたドアからフラフラと
よろめきながら歩き出だした。

大量の油(クルマのオイル)を浴びて
いると思った。しかしすぐにそれは
自分の血液であることを知った。

滝のように血液がズボンから
とめどなく地面に流れ落ちて
いるのが垣間見れた。

右半身が血まみれだった。

どうも、頭から血が噴き出している様子だ。

粉砕骨折した右手で
咄嗟に右側の頭部を触った。

右手の触覚はまだ失っていなかった。

"豆腐"のようなイヤな感触の物体に触れた。

どうも頭蓋骨が割れて、
"脳みそ"が少し外に
出てしまっているようだ。

"もうじき・・自分は死ぬ"。

・・とっさに悟った。

"帰ろう”・・と

咄嗟に思った。

"どこ"に?!・・

帰るあてなどまったくなかったが、
早く帰らないと(支度をしないと)
本当に帰れなくなると感じていた。

あの頃・・の私の"恋"は
全て完全に終わっていた。

"彼女"はいなかった。

でも兎に角、帰らないと
ほんとうに"帰れなくなる"・・・
そう感じてふらふらよろめきながら、
歩き出した。

背後で"大声"がし
耳鳴りがした。

たぶんふたりの友人の声であった。

強い力で肩や体を押さえつけられた。
私は歩き続けることができなくなった。

その瞬間に
私は"失神"した。

目が覚めたのは、
搬送中の救急車の中だった。

いつか、幼少の頃に
観た光景と同じようだった。

幼少の頃の交通事故もまた、
"加害者"に一切の非のない
私の身勝手な信号無視によるものだった。

あの時の事故のほうがこの"横転事故"
よりも身体的には深傷=重傷であった。

父が作ってくれた木製の野球バットは
粉々に折れ、私はクルマに撥ねられ
数メートル空を飛んだ。前歯は全損し、
左鎖骨を含め数本骨折し、3ヶ月以上
上半身をギブスで覆う生活を強いた。
小学校の同級生はみんな"ロボコン"
みたい!といって笑ってくれ、自分も
"ロボコン"そっくりだと思って生活した。

"ロボコン"と
"横転事故"との決定的に違うことは、
幼少の頃の事故は即座に意識を失う
事故(失神)を伴っていた。
つまり、死ぬことを意識する余裕は
全く皆無のあっという間の
事故体験であった。

・・・。

救急車のサイレンが
兎に角うるさかった。

どうせ自分は死ぬ。

いろいろと手当をして
くださっているみたいで
ありがたい気持ちだったが、
あとどれくらいかわからないが、
自分は死ぬことを理解し、覚悟
していた。

・・・。

しかし私は結局、
"死なな"かった。

大勢の見舞い客は、
全員"男ばっかり"だった。
でも、すごくうれしかった。

何十日間も入院生活を余儀なくされ、
様々な検査が行われ、けがの回復は
おおむね順調だった。

"飛び出した"と思っていた、
自分の"脳みそ"は血塊となった
自分の"髪の毛"であったらしい。
髪の毛も頭部の手術の為にばっさり
と切られてしまった。

何十針か縫合し、
折れた右手首はギブスが施された。
そのギブスはのちの退院後、うっとおしくなり、
早晩自分勝手に叩き壊してしまった。
最後まできちんと治療しなかったために、
いまでもこうして画像掲載の記事を投稿する際にマウスを
使い過ぎたり、文字を書きすぎるだけで猛烈に痛みが走る。

やがて回復が順調で
私は相部屋へ移された。

左隣の男はN大のラグビー部の
キャプテンで試合中強いタックルに
見合い、膵臓が少し破裂してしまい
入院3ヶ月目だといった。

その頃自分は大学1年生であったが、
落第しても全部で8年は猶予がある。
文系の大学なんて"楽勝"だと思った。

気長に直すしかないと思っていたが、
あの頃の私は
どこか"空し"=虚しさがつきまとった。

その病院に美人の看護師(当時の看護婦)
がいた。20代前半くらいだったと思う。

私よりずっと年上だった。

いつもそのひとを見るときは、
ベットに寝ていたから見上げるだけの
ひとだったが、私の"鼻"を優しく触れて
くれる時が何度もあって、決まって、
"きれいな鼻がぶつからなくて本当に
よかったね・・"
そう言ってくれた。

"形成手術ってほんとうに大変なんですよ"
と笑顔でそう言うと立ち去ってしまった。

そんなこと・・百も承知のつもりだった。
バイクの事故で"三途の川から戻って"、
形成手術の後、

顔が全くの別人になった友人達を
自分は何人も知っていた。

でも・・なぜか・そのひと(看護師)のことを思うと・・
もう一度元気になって早く退院したいと
思うようになった。

退院する当日、
その看護師の女性の姿を私は探した。

お礼がいいたかった。
どうも"非番"だった様子であった。

結局、お会いできなかった。

今でもその方に
お礼が言えなかったこと、
ちょっと後悔している。
そんな自分がいること・・
あの方の美しい笑顔を覚えている
そんな自分を今回発見し、
とても驚いている。

・・・。

そんな
恥ずかしい限りの
"事故"の顛末を、
私は"ハルヤマ"の
実像である"Fさん"に
"サシ"で飲んでいた
ある夜更けに
詳しく話をした。

ひとの
"事故死"=突然の死には
ふたつの死に方がある・・・
ということを
私はお伝えしたかった。

"意識して死んでゆくことができるならば、
ひとはたぶん・・
""帰る""=""還る""ことができる。

当時の私は"帰る=還る"という
その意味を
"Fさん"に巧くは
伝えられなかったと思う。

そして意識できなかった場合は
ひとは"帰ること"ができなくて
死んでゆく場合もあるのでは・・と。

私は勿論、
"死んだことはない"から、
ほんとうのことはわからない。

"Fさん"は
そんな話題の最中
始終一切として、
何も言わなかった。

軽快で愛情のこもった
いつもの"辛辣"な
"突っ込み"の発言も
全くなかった。

何も喋らず手酌し、
ウィスキーを飲みながら
グラスを傾け水割りを
"くゆらせ"ては、
そんな私の話を最後まで
ずっとしっかりと
"傾聴"してくださっていた。

夜の帳はかなり落ちて
いた頃だったと
記憶している。

目の前の私に
一切として視線を
合わすことはなかったが・・

そう・・
"ハルヤマ"は
憂いのあるあの瞳で
どこかずっと・・
遙か遠くを・・・
見据えていた。

あんな厳しい"まなざし"
は"Fさん"とおつきあい
のあった中で・・
その晩で
最初で最後であった。

私は何かとても
"悪いこと"をしてしまった
のではと後悔したが、
"Fさん"には結局、
"謝りの言葉"を
述べる勇気がなかった。

ご自身の・・あの事故の
壮絶な"リハビリ"を思い出されて
いたのかもしれない。

または親しい友人達の
事故や死について、
思い出され何かお考えに
なっていたのかもしれない。

それとも・・

今の私にとっては、
ホンモノの
"和希"さんのことを
あの時"Fさん"は
憶い出していたの
かもしれない・・

今の私には・・そう思えた。

"Fさん"にとってはもう
とっくにそんなことは
お忘れになっているかもしれないが、
私は今でもあの"Fさん"のあの
蒼く厳しい"眼差し"を
鮮烈に思い出す。

こうして
私の事故の顛末における
スクラップ車両の写真を
30年ぶりに再び見ることに
より、時系列に"Fさん"
との記憶が深く太く
整理できることとなった。

"ハルヤマ"の実像に関する
本文はまだほんの少しだけ
始まったばかりである。

推敲次第、本文を
掲載したい。

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