【追悼】”カリスマ”の死!!-高橋幸宏(Y.M.O.三人)が私に遺してくれた膨大な”ラブ・レター”!!-“A Y.M.O. FILM PROPAGANDA”-ライディーン-“雷電”(RYDEEN)が燃え尽きたシーン!!
米国音楽業界の
最高峰の祭典である
『第65回グラミー賞』授賞式が2023年
ロサンゼルス、クリプトドットコム・アリーナ
(Crypto.com Arenaにて2月5日=日本時間の6日)
で行われた。
その式典において
逝去した音楽関係者に哀悼を捧げる、
イン・メモリアム(In Memoriam)のコーナーで
ある日本人男性の
アーティストの名があった。
2023年(令和5年)
1月11日午前5時59分、
"高橋幸宏"死去。
私にとって
"カリスマ"の
おひとりが
天に召された。
脳腫瘍により併発した
誤嚥性肺炎のため死去。
70歳没。
教授(坂本龍一氏)が
闘病されている最中、
胸を痛めていた私に突然の訃報であった。
教授(坂本龍一)は自身のTwitterにて、
灰色の画像を掲載した。
細野晴臣氏は何日も沈黙を続けた。
マスコミにコンメントが掲載される迄に
多くの日々が過ぎた。
↓↑会社の先輩が私に新聞記事の切り抜きを下さった。
音のない・・
強い喪失感が襲い初めているのを感じた。
平凡な日常をどんなに平常心を装い過ごそうとしても、
このままでは"私"は・・。
心の奥底に大きな
"穴"が拡大してゆくかのようだった。
この深い喪失感を埋め合わせる為に
自分はいま、一体何をすべきか。
悲しみを”志"にかえてゆく術に最善策はあるのか?
WEBサイトにて
"追悼"記事を書く前に
"私自身"が多くのファン
のひとりとして(ようやく私は
こうしてWEBサイトにて記事を記して
いる・・2023/02/25 19:35)
救済される方法は・・
"ユキヒロ"の音楽"にひたすら触れ、
氏の"ソロ名義のアルバム"を聴きまくり、
紙媒体の写真集に魅入り、
そして、
Y.M.O.名義の多くのライブを
観ることがまず先決だった。
幼少時代。
今から40年以上もの昔。
"イエロー・マジック・オーケストラ"
(海外圏: Yellow Magic Orchestra 、
アジア圏:黄色魔術楽団)
即ち通称"Y.M.O."は
私にとっての
"完全で完璧"な
"カリスマ"だった。
"カリスマ"の条件は
私にとって唯一
只ひとつしかない。
驚きと感動を
与えてくれるだけでなく、
戦慄を覚えるほどに"恐怖"が
五感と全身に
生じてくるような
圧倒的"存在"。
その"恐怖"は
やがて畏怖へとなり、
そのカリスマへの"畏怖心"は
年月をかけて"リスペクト"(尊敬)の精神となって、
いつしか音楽アーティストとして"雲の上の存在"
となっていった。
これが私にとっての、
カリスマ集団である、
細野晴臣、坂本龍一、
そして高橋幸宏という
傑出した
ミラクル(奇跡)な
トリオによる日本人だけの
集合体=バンドで
あったのです。
↓地元レコード店ではY.M.O.の特設コーナーがあった。
そこにホンモノの3人の
フィギア(増殖人形)があり、どれ程
"万引き"を
しようと"計画"を練ったか・・。
結局、その画策="盗み"は実現できなかった
少年時代の古き思い出となっている。
認知名度の
最大公約数を考慮し
あえて私はこの度、
ユキヒロ氏を偲ぶ楽曲として
"ライディーン"を選択しました。
↑A面頭からテクノポリス、次にアブソリュート・エゴ・ダンス、そして
3曲目が"ライディーン。〆にキャスタリア・・。
凄味のある楽曲と曲順は当時、少年だった私を
完全に圧倒した。
そして・・
"A Y.M.O. FILM PROPAGANDA"
の終盤に"凛然と"存在"する
この"高橋ユキヒロ"作曲の、
"解散"(散開ライブ)での
"本家"のオマージュとでも
いえる編曲=アレンジメントの
『ライディーン』※(後述)
"雷電"=RYDEEN
にて"Y.M.O."という存在が
陥落し果てる
炎のシーンを選択しました。
本作品(映画)のクライマックスです。
実際に解散ライブで使用された
ライブセット(1983年の日本武道館ライブで使用されたもの)を
使用した炎上シーンは
CGに依るものではなく、
千葉県の平砂浦海岸に組み立て直し、
実際に炎上しリアル撮影したもので
極めて迫力があります。
("Y.M.O."3人とその舞台が陥落する炎上を合成した
のみの編集となっているものと想定します)
しかし、
コアなファンの方々にとっては
このアレンジのライディーンを
"ユキヒロ"の追悼にあてるのは
不本意だと思われる方は
大勢おられる
かと存じます。
確かに、
この映画の
シーンでは、
メンバーを含め、
ユキヒロご本人がクローズアップ
される箇所はおそらく1分あるか
ないか、です。
それでもあえて私はこの
【A Y.M.O. FILM PROPAGANDA】の
ライディーンを選ぶ必要性がありました。
この映画のあらずじは、
ひとりの少年が軸であり
物語り(ドラマ)が
展開されてゆきます。
抽象的で
何度観ても
不思議な感覚を
覚え謎の多い
映画作品でした。
"昭和駅"に
降り立つ一人の少年。
そう・・
その少年像は
40年前の自分自身の
分身="化身"を垣間見る思い。
ユキヒロ亡き今、
改めて映画を見終え
そう思えたのでした!!
彼(映画の中の少年)は
取り憑かれたように
"寂れた街路"に
Y.M.O.のポスターを貼ってゆきます。
そして少年のゆく手を遮るかのような
巨大な高い塀が出現します。
"彼"(少年)は壁の穴から覗くと、
荒涼とした真冬の厳しい海岸に
軍議事堂を思わせるような
巨大なステージが
そびえ立っているのを
発見します。
闇に包また
ステージを凝視した少年は、
ついにYMO散開コンサートの
幻影を垣間見る
・・そんなストーリーです。
始終・・気高くも美しく、そして
決して笑うことも台詞も皆無の
謎の成熟した女性が登場します。
そして繰り返し、
映像に映し出される、
"ハイヒール"・・。
成熟したオトナの
"彼女"は・・
少年にとって(かつての私にとって)の
エディプス・コンプレックスの象徴?!・・
その答えは
・・未だ謎のまま。
そして
このライディーンの最大の特徴は、
肉声に依るメンバー達の
"ライディーン"
という連呼!に尽きます!!
(特に教授の声が大きく聞こえる気がします)
ボコーダーを排除し、
ハーモナイズ(和声エフェクト)のみの
"雷電"!!という連呼!!
従来の素晴らしい緊張感溢れる
ライブでの"ライディーン"とは毛並みの
全く違う"表現"なのが印象的です。
Yellow Magic Orchestra名義での
本当に最後のピリオド(.)と
なったライディーンです。
高橋幸宏氏を語る上で、
Yellow Magic Orchestraという
集合体は決して外せないが、
内実的には"Y.M.O."での
実質"リードボーカル"を務めた
ユキヒロの英語の歌は
後期作品において時に
"狂気"さえ孕んでいる程に
凄味のあるものが多かったのです。
↓NICE AGEの
幸宏のリードボーカルにおいても
凄味があった。
アルバム"テクノでリック"
(テクノデリック<TECHNODELIC> は
YMOの通算6作目のアルバム。
1981年11月21日にアルファレコードから
リリースされた作品であり、屡々
最高傑作と評価されることも多い)
でのユキヒロの声は、
最もインテリジェントな理性が
対峙する"狂気"というものを
見事に具現化できた表現と
謂っても過言ではないと個人的に
評価しています。
(低音部は主に細野晴臣氏が
担っている様に聞き取れる)
↓個人的に衝撃的なテイクは、
3. STAIRS/階段
4. SEOUL MUSIC/京城音楽
6. TAISO/体操
8. KEY/手掛かり
10. EPILOGUE/後奏
である。
↑↓初回限定版のジャケットである。
内部音源は
このアルバムジャケットの印象通り、
"狂気"に満ちた。このジャケットは
レコードメーカーに依り
メンバーの意向が無視されたものであり後年、
通常版に差し替えられた曰わく付きのジャケットである。
その他、数多くの
個人名義でのソロアルバムでは
郷愁感と哀愁の籠もった独特な歌、
歌詞、楽曲で一生涯聴けるアルバム作品は
数多い。
ここでは生前21作品の幸宏名義での
ソロアルバムの中で特に個人的に
推薦するものをあげさせて頂きたい。
単刀直入に独断で評価したい。
1位、
3rd | 1981年5月24日 | NEUROMANTIC ロマン神経症 |
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2位、
4th | 1982年6月21日 | WHAT, ME WORRY? ボク、大丈夫!! |
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3位、
5th | 1983年8月25日 | 薔薇色の明日 |
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4位、
2nd | 1980年6月21日 | 音楽殺人 |
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番外として、
1st | 1978年6月21日 | サラヴァ! |
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である。
特に1.2.3位は甲乙つけがたい。
以下の画像はNEUROMANTIC ロマン神経症
より抜粋。
さらに、
かねてから幸宏氏は
ドラマーとしても超一流でした。
↑自己所有する矢沢さんの音源。2023年。
一般的に入手不可能と思える程の
高値(中古相場2万5千円)となってしまっている。
かの矢沢さん(矢沢永吉)の
1976年7月に行った
伝説の
日比谷野外音楽堂での
ワンマン・ソロ・ライブ
(THE STAR IN HIBIYA)
では高中正義、
後藤次利と共に、
ソリッドでクールで攻撃的な
ドラムで"永ちゃん"を完全に
完璧にアシストした。
↑錚々(そうそう)たるバック・メンバーである。
この日の幸宏氏は白いYシャツ風のラフな
いでたちでアップテンポのナンバーから"A DAY"
に至るまで完膚に"永ちゃん"をアシストした。
"高橋幸宏"という
私にとって窮極的な
カリスマは・・
"洗練"され尽くされた
日本人男性アーティスト
であったと断言出来ます。
今回の映像(映画)に
登場する少年こそが、
私自身の少年時代を
見事に弁明して
くれています。
最後に・・
"彼"は
""忘れてしまうんだ""
とありますが、
実は人生の大事な
想いの真骨頂は
その真逆です。
ひとは忘れてしまう生き物と
して良い面もありますが、
決して忘れない(忘れられない)
ことも数多くあります。
こうして年齢を重ねてゆくに
従い、決して生涯忘れられない、
忘れない"存在"があることに
気がつく日々です。
高橋幸宏さんは
私にとって生涯忘れることの
ない方。
膨大な多くの作品を糧に
ほんの小さな"志"ですが、
生ある限り、
頑張ってゆきたい。
"幸宏さん"
お疲れ様でした。
そして本当に
ありがとうございました!!
※(後述)【楽曲"ライディーン"備忘録】
元々のタイトルは江戸後期の
伝説的な力士である
「雷電爲右エ門」から
『雷電』と表記された楽曲である。
坂本は「『雷電』には
東海道五十三次のような
浮世絵のイメージがあり、
浮世絵が世界に影響を与えたように、
自分達の音楽も世界に影響を与えることと重ね合わせた」と発言した。
しかし当初の教授(坂本)はレ・ミ・ファー・・となるメロディからも売れない曲と判断した。
後、細野の「アメリカで今『勇者ライディーン』というアニメがヒットしている」ので
「じゃあ、『ライディーン』にしちゃおう」という発言で
「ライディーン」となった。
ただし『勇者ライディーン』の
英語表記は"RAIDEEN"であり、
綴りは異なった。
無機的な表現とする為にあえて
抑制した楽曲となった坂本"教授"作曲の
「テクノポリス」に対し
「ライディーン」は逆に
盛り上がるように意図的に制作された。
また、細野は「遊びながら、当時の自分達では作れるとは
思っていなかったサウンドができ、
非常に楽しいレコーディングだった」と回想した。
映画『スター・ウォーズ』を
"黒澤明"監督が撮ったらどうなるかが発想の起点だった。
その為、途中で戦闘ゲームや
時代劇風の馬が走る音が挿入された。
このことは作曲者の
高橋幸宏が後年、著作で明かした。