“お元気ですか!?”-オフコース-“心はなれて”!!-限りない喪失からの再生!!-“Off Course”という名の記号!!-“1981-1982年”の完全に蘇った追憶!!

いつしか,私は生きるために,
生き抜いてゆく為に,記憶を"改ざん"し,
塗り替え,"彼"との記憶を"放置"し封じ込めて生きてきた。
"K"のあのとき言ったとおり・・
彼との思い出もまた"over"のジャケットの色彩と同じように
色あせてしまった。

それを思うと,
あまりにも
哀しすぎる。

私と"K"との"over"のジャケットを巡る
話は,結局彼の"予言"通り,翌年の昭和57年
の武道館ライブで決定的となった。

今となっては史実であるが"オフコース"という名の記号は
1981年から"解散"の噂は絶えなかった。
しかし"K"に関しては当時からあまりマスコミの
話題には興味がなかった筈だった。部活のバスケも
多忙だったし,彼には音楽もあった。学力も首位であった。

彼は音楽そのものから感じたただの"直感"だけで,
またしても予言を的中させた。
"over"のジャケット話でグループ解散をすでに予言していた。
未曾有の日本武道館10日間連続公演。
日本中のファンが抽選の葉書=手紙によって
応募されたその数は50数万通。移動体通信機器も
インターネットもファクシミリも普及していなかった時代であった。

今となっては周知の事であるが,
あの公演は決して"解散コンサート"ではなかった(史実は解散ではなく鈴木 康博氏が脱退)。。

多くのコアファンであった
女性の熱狂的なファン達。

彼女達もまた"K"と同じ心境だったのか。そんな思いを馳せながら
コンサートに願いを込めて応募したのだろうか。

事実,このコンサートをもって何年もの期間
"オフコース"という巨大な"集合体"は以後コンサートをすることはなかったのである。

↓以下に当時の貴重な日本音楽シーンの遺産とも呼べるリソース映像がある。

私にとって当日のセットリスト"15曲目"の"I LOVE YOU"が極めて重要である。
日本屈指の"I LOVE YOU"というタイトル名のバラードは現在の私にとっても2曲しか存在しない。
1曲は尾崎豊作詞・作曲の"I LOVE YOU"。そして本曲である。
是非とも,観て頂きたい。この"I LOVE YOU"には"凄み"がある。哀しみを越えた
この小田和正の透明感は・・"心はなれて"と同格と感じられる。
個人的にはレコーディングされた原曲よりも遙かに評価している。間奏以外ではフリースタイルにて
小田和正がピアノのみの伴奏で溜めに溜めたうえで会場に声を放っている。
有志の方のこの動画上では5分50秒付近である。再生箇所のリンクが外れてしまう場合はお手数ながら5:50秒からの再生にシフトしていただきたい。私は初めてアルバム"NEXT"でこのテイクを知り,その後10代の頃このライブを機会があってVHSにて動画を観る事があった。この曲を観たその時,咄嗟に日本にも"エルトン・ジョン"のような存在が居ることを知った。声も世代もお国柄も異なるアーティストだが歌詞のストレートさや訴えてくるものは私にとって同じ存在に感じられた。私はいつしかオフコースを完全にリスペクトしていた!
Elton John - Your Song (Top Of The Pops 1971)↓

1982 OFF COURSE Concert "over"
1982.6.30 日本武道館最終日セットリスト
心はなれて(インストゥルメンタル)

  1. 愛の中へ
  2. メインストリートをつっ走れ
  3. 君を待つ渚
  4. 思いのままに
  5. 哀しいくらい
  6. 夜はふたりで
  7. さよなら
  8. 僕のいいたいこと
  9. 心はなれて
  10. 言葉にできない
  11. 一億の夜を越えて
  12. のがすなチャンスを
  13. Yes-No
  14. 愛を止めないで
  15. I LOVE YOU
    # I LOVE YOU(テープ)

昨年(1981年)の風潮やアルバム"over"にたいしては
前作となる8作目のアルバム"We are”のアルバムタイトルと今作を繋げれば
“We are over”=我々は終わりだ"と読めるが故、
暗に解散を伝えるメッセーであるのではと噂が広がったが
小田和正は当時のインタビューで
"自らを超えていくことを“over”のタイトルに込めた"と答えた。
それは"虚言"ではなくそのこと自体は本心=ご本人の願望
(小田氏個人的にはあくまで解散は否認していた)であったと
今の私は個人的には捉えている。

しかしながら熱狂的な女性ファン達は
私が"K"から借りて聴いたアルバムである
"over"を"受信"してまずは"ただならぬ何か"を感じたに違いない。

"そのたたならぬ何か"!とは
最後の"心はなれて"で決定的になったのではないのか?
こんな私でさえ感じたように・・

あの曲がもし挿入されていなければ,
そこまで危機感を感じなかったのではないか?

"K"がいたから"外野"の私でさえ"終わり"を察知出来たが,
当時の日本の音楽シーンの"頂き"に立っていた"オフコース"に
何か異変が生じてしまっていることは
コアファンであったならば誰もが充分に感知していたのかもしれない。

オフコースの別の楽曲の話にシフトしたい。

オフコースの"外野"で"隠れファン"であった私にとっても
"YES-YES-YES"という曲はロックテイスト溢れる大好きな楽曲であった。

この曲自体は私と"K"との思い出とは直接的な関連性はなかったものの,
この曲も武道館の10日間のライブコンサートの30日とも密接に関係する。

そしていつしかこの楽曲はのちに心霊=怪談話が生じ,騒動となってゆく。
中盤に差し掛かった際,都会の雑踏の音(SE)が入るが、
バスのクラクションとマージ(重なる)する箇所に,本当にかき消えそうな
ほどの小さな声で"ねぇ、私のこと好き?"または
"私に聞かせて"という女の声が聞こえるというのである。

実際当時少年であった私にもその"声"というより"ささやき"は
ヘッドホンと出力したスピーカーの"左側"からはっきりと聞こえていたが,
とくに興味はなく怖いとも思わなかったが,
コアな女性ファンはもの凄く気になった様子である。

当時の"K"もさほど気にしていない様子だった。しかし
その声はあっという間に死んだ女の幽霊の声だと周囲で大騒ぎになっていった。
その楽曲"音楽"を崇高と思えばこそ,そう感じてしまうものかもしれない。

さらに真偽は分からないが,
どこかのラジオで小田がこの声の主にたいして"付き合っている彼女の声を入れた"
と冗談で?話したというからさらに大騒ぎとなった。

この課題においては,現在明白な"裏"が取れている。
猛烈に短期間で制作されたこの楽曲"YES-YES-YES"は同じ録音スタジオを使っていた
“レモン・トリー”という日本人の男女デュオの女性である"合沢尚子"の声で
あくまで楽曲の演出として挿入されたものである。

あたかも亡霊のような
小さい声で"ねぇわたしのことすき?"となり,
聞く者によっては,"わたしにもきかせて"とその"ささやき"は解釈された。
その後の小田の歌は"もっと大きな声で"と続く
ことからほぼ間違いないだろう。

ただ制作側の意図的なこのアイディアが,
あの"かぐや姫コンサート"の"あの声"のある意味
"オマージュ"となると薄気味が悪いというか,少々趣味が悪い気がするのは私だけだろうか・・

本曲に関しては当時の"ギターブックGB"(ソニー・マガジンズ社)の記事で述べられているとされるが
私は所有はしておらず,かつ内容を確認出来てはいない。
だがおそらくこの本であろう。

パンチ力のあるドラム,躍動=ドライブ感のあるメンバーの
演奏には勢いがあり,
あたかもライブ録音の様に非常に空気感があり見事に演奏が結実している。

さらに後年に分かった事は
オフコースのメンバーに依る唯一のミックス音源であるという事だ。
元々メーカーサイドではシングル化する予定はなかったものの,
メンバーの"強い訴求"によってこのナンバーはシングル化された。

つまり専門のプロフェッショナルな※優秀な
レコーディングエンジニアに依る2トラック迄の工程を経た
作品ではないという面においても他の楽曲と逸脱している。

※本来は世界的に著名なビル・シュネー(Bill Schnee)に
ミックスして貰う予定であったが来日に間に合わなった。

いつにも増して小田の歌が突き抜ける様に鋭く木霊する。
実際,古今リリースした楽曲で最もハイトーンとなった。

少年であった頃,私はこの楽曲はあえていつもヘッドホンで
大音量で聴いていた。大好きだった彼女も同じ様に聴いて
いるんだろうなといつも考えながら・・

そんな事を考えると,熱狂的な女性ファンにとってこの
楽曲は凄みがある。とりわけ素晴らしいのは小田の歌が
"・・・手を離さないで・・あなたを・・連れてゆくよ・・”
と絶叫で,それが後半になりさらに"転調"し"連れてゆくよ・・"
の"よ"がフラット(音程が若干下がる)に"崩れて"ゆく箇所がある。

その歌のキーの"崩れ"は小田がファンのたったひとりの"彼女だけ"を
まるできつく抱きしめながら飛翔するというよりも,あたかも
愛という深淵の奈落に二人だけで堕ちてゆくようなシーン=錯覚を彷彿させ,
これが女性ファンであったらさぞや"たまらない"だろうなといつも
想像=感じていた記憶がある。小田の声はリバーブ(音響用語)=残響を完全に
掌握している。↓数十年経った今でも決して色あせぬ日本の傑出したロックテイスト溢れるバラードである。

2020年9月現在。
以下↓貴重な有志の方のアップを掲載させて頂きたい。

中盤からのライブ模様(1982年6月30日ラストの有志による
日本武道館公演)の会場の音のオーバーダビング版のアップは
YouTube動画では唯一でありとても貴重だ。

その日コンサート終了のアナウンスバックで"ひととして"↓に続きこの曲が流れ

https://www.youtube.com/watch?v=875Glu4gRis

スタッフ陣営によるステージの後片付けも開始したころ、PAから流していた
テープ音源が聞き取れないほどの観客の大合唱となる。
その音源をミックスしたテイクはアルバム"NEXT SOUND TRACK"の10曲目に収納=収録されている。

音質はYouTubeである為に決してよくはないものの,中盤の都会の雑踏の音(SE)の中で
かき消えるほどの小さな女性の声も"あなたにも"聞き取れるだろうか。

主役達は去り全ての演奏を終えた筈なのに"彼女達"は帰ろうとしなかった。
"YES-YES-YES"はこの年の急遽6月の初旬にシングル盤としてリリースされていたが,
まだ1ヶ月も経過してはいなかった。

彼女達の多くはもう既に何百回もいやもっと繰り返し聴き暗唱していた。
メンバー達は既に楽屋におりながら"全身全霊で歌う彼女達の叫び"を感じとったという。
21世紀現代。真の"リスペクト"とは何か?真摯で
近寄りがたい程に"哀しいくらいの透明感"をもった深いリスペクトがこの曲には刻まれている。
リスペクトの精神は格好つけの流行言葉でも"紙芝居"でもない。
"尊敬心"とはただ心の中で思い慕うだけではなかった。たとえ響かなくても,叶わなくても,
立ち上がり,それは叫びとなり,声援となった。それがいつの間に絶叫に近い数千人の大合唱になった。
日本の音楽史上,極めて貴重なリソース=遺産である。

Off Course YES-YES-YES next version

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