“お元気ですか!?”-オフコース-“心はなれて”!!-限りない喪失からの再生!!-“Off Course”という名の記号!!-“1981-1982年”の完全に蘇った追憶!!
【ご挨拶】
この記事の内容は40年も前の話となります。
正確に明記すれば日本の年号である昭和56年末から昭和57年の話となります。
この話は当時
日本音楽シーンの頂点に立った"オフコース"というバンドの話です。
若いひとでさえ相手に"ごめんなさい"と素直に謝れた,
その"ひと言"で仲違いしていたお互いがもっともっと深い仲になりあえた,
そんな当たり前な勇気のあった実直な時代のお話です。
あの頃は携帯電話もインターネットも軍用以外では全く存在しない時代でした。
パーソナルコンピューターは誰の手元にもありませんでした。
1985年(昭和60年)日本は通信の自由化により通信事業が民営化され,磁気カードである
使い棄てのテレホンカードが利用できるカード式公衆電話が登場しました。
電話機は既に一家に一台はあった時代でしたが,
留守番電話機能や子機(当初は"親子"電話と称された)
やファックス機能などを搭載した電話機が普及するのはもう少し後になってからの事です。
音楽業界ではご周知の通り,1970年~1980年代は
日本の音楽も21世紀の現在より遙かに活気のあった時代です。
アイドル歌謡曲には重鎮と称される作曲家や作詞家の方が惜しげもなく新曲を提供していました。
一方で国内でも多彩なジャンルのバンドが誕生した時代です。
ロックではヘビー,ハード,パンク(当時はハードコアと呼称されてはいなかった),プログレッシブ,
百花繚乱の数のバンドの音源が次々にリリースされ,フュ-ジョン
バンドやテクノなどの歌のないインストも評価されていました。
好奇心旺盛なリスナーさえ受け入れる事が出来れば,素晴らしい
とっておきのバラードや激しいパッションのナンバーを得る事が出来,音楽は
生活そのものだと痺れる程にリアルに感じられた,そんな時代でした。
'80年代の日本を代表する"カリスマ"=遠藤みちろう氏。当時の不良達にとっても本物の"カリスマ"でした。
この場だけでなくずっと・・ご冥福心よりお祈り申し上げます。↓
14曲のナンバーは15曲目(本動画では29:00分)の”ワルシャワの幻想"に集約され完全に燃え尽くされてゆく!
多感な少年時代を過ごした私もまた"音楽漬け"の青春時代を過ごしました。
寝る時間を惜しんで国内問わず,徹底的に音楽を愛しました。
通っている学校はそもそもレコード音源の"宝庫"でした。
2者間での友人同士の又貸しなどまだまだ甘いくらいに
誰もがたらい廻しに自己所有している音源は貸して,
レコードが学生の間の中で常に駆け巡っていました。
学校の登下校では女子も男子も当たり前の様に"LP"を脇に抱えていました。
1960年代と違って,私の学生時代である’79年から1980年代の学校側は全て"容認"の時代でした。
そもそも教諭側も音楽を愛し,理解のある人たちばかりだったのです。
みんな気前が良くて,カセットテープにダビングしてくれるか,
レコードそのものを貸し借りしてゆくうちに,どんどん
驚くようないろんな音楽に出会える事が出来たのです。
不良も優等生も誰もがみな同じ情報を共有していました。
レコードという存在には優劣のない,
つまり音楽はあの頃はまだ,
偉大で崇高で深く"リスペクト"される圧倒的な存在だったのです。
私はレンタル業界では※"黎紅堂"="れいこうどう"に大変お世話になりました。
良い事情があって私はほとんど無料で多くのレコード音源を借りる事が出来た事は
"私自身を形成する"かけがえのない貴重なリソースとなりました。
※1980年(昭和55年)東京都三鷹市でLPレコードをレンタルするサービスを
当時立教大学の学生であった大浦清一が開始した。
その屋号を"黎紅堂"(れいこうどう)という。13社のレコード会社に提訴されたが,和解協定を成立させ
日本のレンタルビジネスの礎(いしずえ)を確立した。
1981-1982年。
読者の方には
まだお若くて生まれていない方もきっといることでしょう。
そんな方にも是非"感じて"頂けるように努力します。
そのために多くの"有志"の方々の動画や画像や音をリンク掲載させて頂きました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
また当時の"オフコース”の熱狂的なファンの方,
現在も大ファンの方もいずれ
この記事を読んで下さる機会もあることでしょう。
ただ冒頭に申し上げますが,
"オフコース”という唯一無二の日本のバンドに関して,当時
40年前の私はレコードさえ一枚も持っていない"外野"の人間でした。
"外野"という表現は適切ではないかも
しれませんが,少なくとも40年前のあの頃の
私はオフコースの熱狂的ファンではありませんでした。
CDの時代になってからようやく自分で"オフコース"所有し,
その高い音楽性を本当にリスペクト出来る様になるにはずっと先の事でした。