“お元気ですか!?”-オフコース-“心はなれて”!!-限りない喪失からの再生!!-“Off Course”という名の記号!!-“1981-1982年”の完全に蘇った追憶!!

数日後・・

私は自宅で"K"から借りたオフコースの"over"のアナログ盤を
床にあぐらをかいて手に取って"しげしげ"と眺めていた。

それなりに当時は大音量の出力の出来るオーディオコンポを所有して
いたけれど,予約して楽しみにしていたレコードや大事だと思う音源は
いつもまずはヘッドホンで聴くのが"癖"だった。

大事だと思うレコードはあの頃いつも自分がやっている"儀式"で
"レコード針を"洗浄"した。

A面(SIDE A)No1をターンテーブルにのせ,
集中して針を落とす。

カセットテープにはまずは録音せずに
再生される音に集中した。音量を上げた。

ストリングスの"インスト"が流れてきた。
耳に痛くなく,音量は大きいのに,"沁みる"。悪くなかった。
こういうコンセプトアルバムは当時から大好きになっていた。
海外の大物アーティストのコンセプトアルバムでもそうした導入はあった。
インストはharpの音で〆ようとしていた。2曲目の期待感が当然昂まった。

↑YAMAHA音楽教室厚木楽器オリジナルコースより転載

咄嗟に"d"メジャーだと感じ,明るいギターと電子音の混在する導入だった。
クレジットをみると"愛の中へ" とあった。作詞・作曲は小田和正。
良い曲だった。コーラスワークが見事だ。
"オフコース"の王道だと咄嗟に感じた。

これはアマチュアバンドのコピーでも
ウケルだろうなと思えた※。そして何よりも自分にも
なんとか保てる小田の歌のキーかもしれないとすぐに考えた。

※その後,この曲は"K"とのバンドで
候補にはあがったものの実際バンドでカバーする事はなかった。

中盤の鈴木のソロ(ギター)も良かった。
手数(音数)は少ないが,ちょっと切なくて,まず明るくて好印象だった。

ただ,3曲目の鈴木の
"君におくる歌"の曲と歌が始まるや否や,すぐに
私は退屈感を覚えた。聴いているうちに普段から寝不足の私は眠気を催した。

鈴木康博の曲は他にもっともっと素晴らしい(あくまで自分にとって)楽曲を知っていた。

4曲目"ひととして"は再び小田の声だった。
歌詞はなんとなく良い感じがしたが,
咄嗟に身体に電流が走る様な曲ではなかった。
サウンド自体は気持ち良いが,やはり眠くなる。

5曲目,A面ラストになってしまっていた。
"メインストリートをつっ走れ"はまたもや鈴木の声だった。
悪くないんだが,やはり眠い。そもそも曲のテンポが遅くないか?!
そもそもこの"硬派気取り"が鼻についた。

そもそも"俺"は'70年代からの"永ちゃん"=矢沢永吉の大ファンなんだぞ!!
"なよなよ"しやがって!ヘッドホンで聴いていると苛々してきた。
"K"から借りていなかったレコードでなかったら
裏面(B面)さえ聴かずに録音もせずに"返却"してしまったかもしれなかった。

↑当時少年だった私は,粗野で行き当たりばったりだった。
こんな感じ方に不快感を抱くコアファンの方もおいでかもしれないが,
このあたりの"少年時代の素直な当時の私の感じ方"に是非ともご厚情を賜りたい箇所です。

B面No2に裏返し1曲目を再生する。
またもや,シングルカットはまずされないような
"もっさり"とテンポの遅い曲だった。コーラスのハーモニーは
やはりオフコースならではでさすが!と思ったが,眠気は戻らなかった。

B面2曲目。
"おっ!”眠気が少し覚めた。
小田の声だった。コード進行がいい!
ヘッドホンで聞き耳を立てた。やっぱりいい!!
全体的に,オトナの男女の歌なのだ・・くらいは少年にも分かった。
クレジットを見た。"哀しいくらい"という曲だった。
ふと,思った。"悲しい"="哀しい"というフレーズがこのアルバムには
いくらなんでもあまりにも多すぎやしないか!!

2曲目が良かったので,
3曲目に期待を馳せたが,
またやけにのろいべードラの(ベース・ドラム)の
四部打ちの"谷底転落"?くらいの暗いバラードだった。A面はは交互で鈴木と小田が歌ったが,
引き続き,小田が歌っている。クレジットをみると※"言葉にできない"
というタイトルだった。また"哀しい"の連呼だった。曲がやたら
長く感じられ(シングル盤の実際は6分21秒であり私が聞いた
アルバム盤は6分24秒であるが当時10分くらいの長さに感じられた)初めて聴いた時,少年の私は
ただただ"面倒臭い"曲だった。

※"言葉にできない"は本記事内容でにもあるように"over"通算9作目の収録アルバムの翌年
1982年2月1日に発売されたオフコース通算23枚目のシングルとなった。
【"Off course Concert 1982 “over”】の最終公演の1982年6月30日おいて小田和正は涙で声を詰まらせ
歌うことが出来なくなった。一面に広がるひまわり畑のシーンがスクリーンに投影され
ひまわり畑に"“We are”, “over”, “thank you”"というテロップが"黒文字"によって投影された。
当時のファンにとって,また日本音楽史上において,この楽曲とその歴史は
"言葉にできない"程に深い意味と感慨のある楽曲として21世紀の現代でも極めて高い評価がなされている。

3曲目もようやく終わり,もう,あとはアルバムの最後の曲な筈だった。やれやれ・・
"K"の趣味性の問題でつきあわされる羽目になった。
どうやらこのアルバムは私の好みとは違う様子だった。

↑YouTube上に現在ある貴重なオリジナルのリソースである。

いきなりアコースティックピアノの"調べ"がヘッドホンを両耳に
掛けた私に唐突に入ってきた。ドラムもベースもサポートする
パートが一切なかった。それは10秒以上は続いていた・・

"ふい"に声がきこえたように感じられた。
"吸い込まれるような感覚"を受けた。

小田の声だった。

突然,少年の身体が硬直した。緊張感を感じた。
金縛りの様に全身に電流のようなものが走査した。
手にしていたアルバムジャケットがすり落ちた。
歌詞は男が女性に向けたそれこそ"言葉にできないくらい"の想いを綴っていた。
しかし決して"それだけの意味"ではないものだとすぐに"直感"した。

目を開けていたが何も見えなくなってきていた。
目を瞑りさらに音に集中した。
すると目の前に"白い雪景色"が突如として現れた。
この部屋以上に冬の凜とした凍てつくような寒気が身体を突き抜けた。
少年の私は素直に,小田の声とこの音楽にただ身を任せた・・・

中盤にオープニングのストリングスの調べが
入ってきた。私の肉体への電流の流れはさらに
激しくなっていった。

それは"哀しみを超越した透明感のあるバラード"だった。
私は新しい日本の不屈の名曲がまた誕生した事を知った。

いつの間に,
あっという間に曲は終わっていた。
そしてアルバムは完結していた。

レコードが針が内輪を暫く滑ると,
自動的にアームが戻った音がした。

アルバムジャケットを拾おうとしたが,
手が震えた。

手にとり・・表紙を再び見た。

"K"の私に伝えたかった事が
なんであるか・・・どうにか自分にも理解出来たようだった。

数日後・・"K"に
借りていたレコードを返すときに,
”どうだった?"と訊かれた。

”あまりぱっとしなかったけれど,
最後の曲だけがもの凄かったよ”

と私は答えていた。

”もう・・・・・終わるのか?”
・・と付け加えた。

粗野な少年だった私でも"K"に多少の気遣いをして
そう尋ねた事を今リアルに想い出している。

彼はオフコースのデビュー当時から全ての
音源(レコード)を所有していた。

"K"には歳の離れた兄や姉がいたから途中までは
兄弟が手に入れたものであった様子だったが,
いずれにしても私とは比べものにならない程に
"オフコース"を知っていた。

"ファンクラブとかには入って
いないからほんとは分からないけど,
解散か活動休止か,とにかく
"今でのメンバー"では終わるんじゃないかな”

そう彼は言ってさらに私に尋ねてきた。

"おまえさ・・"over"の意味をおまえはどう思う?"

"・・超越するとか,越えるって意味だろ?違うのかよ!?"

"それはあくまで俺達が英語で習ってるような表面的な
あまり"意味"のない"意味合い"だよ。もっと,深いんだ。overって・・
これから先もおそらく始まりすらない・・永遠の
そんな完全な終わりのことも意味するんだ”

私は返答出来ずにいた。

"おまえこの前このアルバムの色(ジャケット)の事言ってたよな。
なんでこんなに色あせているんだってさ。俺達はまだ若いだろ。
ひとが何十年も生きてさ,何か大事な事を思い出すとき,人生を
振り返ったとき,その時どんな色になると思う?”

私はなにも返答出来なかった。

"このアルバムのジャケットは"心象風景"だと思う。
何十年後になって当時を思いだした時,思い出される色は
・・それはすごく"褪せて"いるんじゃないのかな・・”

私は黙っていた。
格好つけで黙っていたのではなかった。
"K"の言っていることが"身体"で理解出来ていた。
もうあの曲・・"心はなれて"をあれから何度もなんども聴いていたからだった。

"K"が続けた・・

"突然,鮮明に映し出される過去の記憶っていうのもあるかもしれない。
好きだった相手の笑顔だったり明るい表情だったり。鮮明に突然蘇る事もあるだろう。
けれど,本人にとってほんとうに大事な思い出に限ってなかなか思い出せない。
たとえ,思い出せたとしても,その景色や相手の表情は・・すごく色あせて見える
んじゃないかと俺は思うよ”

その通りに違いなかった。私達は少年だった。
あの頃やその昔もまるでない少年の私でさえも
親友である彼="K"の言っていることはおそらく間違いないと感じた。

こんな大事な記憶さえ私は29年もの間,
全く思い出せずに生きてきたのである。

当時,大好きだったクラスメートの彼女の"影響"なんかでは
決してなかった。

結局,"K"の言う通りになってしまった。

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