“書痙”とは?!-手書き文字の魅力とその難しさ

令和元年11月9日~10日の週末の土日,
ようやく最近日本の本州の関東地方も
秋晴れの素晴らしい空が続いていました。

11月11日,そして翌日の12日の
日本の夕日(サンセット)は私は煙草を吸いながら
気分転換に空だけ見上げていましたが,
素晴らしいものがありました。
↓海辺にいた訳ではありませんが,気象条件が揃うと"湘南海岸"も凄い夕映えを見る事が出来ます。
今日の海岸はどうだろうと想像していました。このお写真は私が撮影したものではございません。

週末は,いつも稽古をしている公園を
行きたいと思ったり,散歩日和なのに,
私は自宅でずっと"篭りっきり"でした。

最近,私にとって色々な意味で連日"正念場"-"真剣勝負"の
日々が続いています。

この記事を読んで下さっているあなたは,
"書痙"という症状を知っていますか?

慢性的に職業柄そうなってしまうひと(職業病)と,
私の様に"一過性"の場合があります。

書痙【"しょけい"と発音します=英語:writer's cramp)】とは、
字を書こうとする時や,字を書いている最中に手が小刻みに振え(振戦)、
もしくは痛み(疼痛)が発生し、字を書くことがとても困難となる障害や症状です。
電子カルテではなく筆記の多い医者や文字通り文章のプロである速記者や
代書人、文筆家、直筆に熱心な教師にも多いと言われている疾患です。
向学心の高い学生さんや研究家にとっては深刻な課題です。

私の場合は今回,
非常に細かい文字を今週末20時間以上書いているうちに,
途中から強い症状が発生しました。

手が振えるというよりも,
体全体が小刻みに振えているといった状態でしょうか,
文字がまともに書けないのです。

3日後には"持参"してゆかないとならない書類なので,
少し焦りましたが,なんとか他の日本人の方には
読んで貰える程度には仕上げたつもりです。
(友人との"飲み会"を一週間ずらして貰ってよかった!)

想像以上に体力と精神力を含めて堪えました。
目が悪いので酷い痛みが生じ,"鎮痛薬"を打ちながらの作業となりました。
それでも痛みが増幅し,右側頭部の頭痛が置き,"鎮痛薬”を服薬しながら作業し続けました。

普段,活字には慣れており,
自分だけが読むノートは
たくさん文字を書いています。

自動車通勤途中でも,
信号待ちしている時も"走り書き"でメモします。

でも,私の記入している自分だけの"落書き帳"の文字は
"乱筆乱文"でとても大きいです。

日本には"作文用紙"="原稿用紙"というマス目の罫線のある紙が存在するのですが,
私は作文用紙の文字の大きさで普段,文字を書いています。

↑ 原稿用紙

日本人の女性で非常に小さい文字で美しい文字を書ける方が
いますが,"惚れ惚れ"しますね。文字が美しい女性は,内面もきっと
美しいのでは?と同じ日本人でさえ思う事が屡々あります。

今回"書痙"の症状になった原因は,
私にとっては"出来る限り小さい文字で記入する"(およそ2㎜から5㎜以内)
という過酷な条件下だったからと思われます。

与えられた紙はA4サイズの薄い再生紙,1枚。記入出来る欄の面積は非常に限られていました。
安易に自己判断で 別紙に"追記"しようかとも思いましたが,すぐに止めました。
相手側が示した条件内で"全力"を尽す,今回は筆記面でも自分に"試練"を課しました。

デジタル画像は接写しているので
筆記した文字は大きく見えますが,私にとっは非常に小さい文字で記入しております。

私は大きくはっきり文字を書く癖というかタイプなので,
思った以上に大変な作業になりました。原紙をコピーし,下書きし,複写する。
最終的に仕上げた原稿はなんと,提示された原稿ではなく,複写したコピー用紙だった!やり直しです。
つまり清書を2度行った事になります。清書の最中もさらに校正し,
何度も何度も"消しゴム"で消しては,書き直す作業の繰り返し。
"小さい文字"で記入するというのは"消しゴム"の消し方のテクニックも必要なんだなと改めて再認識させられました。

何事も"良い悪い","勝ち負け"のはっきりする物事は,
出来る限り"悔い"の無い人生を送りたいものです。
今回,苦手な作業中,何度もくじけそうになりました。
もう,途中で断念してしまおうかと思ったり(つまり棄権する),
今やっている事からもう逃げだしたくなりました。
それほどに眼精疲労と頭痛に悩まされました。
"頭脳労働"で辛くなった時,自宅に居る時は私は必ずといって良い程,
"尊敬"する方の書籍に触れます。部分的に見たり,読んでみたりするうちに
またもう一度だけ,もう一回だけ頑張ろうという気持ちが湧いてきます。

今回はつまり特殊な面接票(面談票)を作成しました。
一般的な履歴書とは"体裁"が異なっていました。
普段,"タイピング"に慣れた者にとって
"手書きに依る筆記"は
"書痙"の症状が起きるほど,とても大変なものでした。
仕上げた"原稿"は相手側の指示通り,最後に2枚複写しました。
おそらく複数人の面接官と面談するだろうと予測しました。

文字の筆記による "書痙" という症状,
これか!!と実感しました。
生まれて初めての経験かも知れません。
次の日まで文字を書いていた右手が細かく振える症状が続きましたが,
でもいまはもう,すっかり直っています。

余談ですが,
"恋愛"も同じかも知れませんね。
"悔い"があったり,
"妥協"しては"決して"よくありません。

字がきちんと,書けるか,書けないか,
文章が書けるか否かなんて,他のことに比べたら
ひとの人生にとってたいした問題ではないかも知れません。
ただこれがプロの方や向学心の高い学生さんだと話しは変ってきます。

手紙やひとの手で書く文章というのは,
そのひとの"鏡"といわれています。
そのひとの"心"のあり様を"映し出す"ともいわれています。

"そうした機会"は文字を書く教育がままならなかった
"明治時代"や"大正時代"と違い,現代の日本人ならば,
きっとあることでしょう。

ひとの筆記は,その"肉筆で綴られた言葉"は,
相手の心をゆさぶる,強いパワーが 秘められています。
これは,SNSなどの"ショート・メール"や"タイピング"とは明らかに違います。

"ひと"が"ひと"である故,
手書きによるレターや文章の力強いパワーは今後もこんな時代だからこそ
ずっと不動であり続け,変ることはないでしょう。

改めて強い印象に残る体験をしました。

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