“黒い犬”が一度も現れなかった数十回目の講演準備期間!!-原作【宮本輝】著書-【是枝裕和】監督映画”幻の光”!!を紹介できなかった!!-”人生の処世術”!?-その言葉”(フレーズ)”がいつも言えないのは何故!?-“あなた”だけに全てを伝えます!!

2022年9月27日(火)。
数十回目となる講演を終えた。

その日は
既に大分経過するものの、
強く感じたことを
記しておきたいと思う。

今回の講演での
準備期間において、
私の心の奥の内部に
未だ支配していると意識している
"黒い犬"が一度も猛威を
ふるうこともなく姿を見せ
なかったことに驚いた。

"黒い犬"=ブラック・ドッグ
とはつまり世界的に
"鬱"病や強い鬱状態を象徴的に
示す"アイコン"である。

ひとはそれなりに永生きをすると、
人生、楽しいことや
よいことばかりではなくて、
辛いことや哀しい出来事にも
遭遇するのが"さだめ"というもの。

それは長生きするものたちに
等しく課せられた
ひとつの掟のようなものです。

古今世界広しといえど誰もが皆、
同じような体験をするものです。

私のようにたまたま運がよく?
ある程度こうして長生きをすると、
辛い出来事もそれなりに多くなり、
自分なりの処世術が生まれてきます。

愛を失ったり、
つまり失恋したり、
または愛するひとを
喪失してしまう実体験という
ものは実は誰もが
皆がするものです。

本当に辛い出来事は、
なかなか忘れ難くて、
そして辛い日々が
ずっとこの先も
続くのではと思いがちだし、
暫く気分が滅入ってしまいます。

大事な読者の方に向かって、
とても大事な私からの処世術の
ひとつを述べさせて下さい。

このフレーズは数十回に及ぶ、
私の講演でも一度も言葉に出来なかった
言葉=フレーズとなります。

""すべての哀しみと
 苦悩と困難からの
 回復の
 糸口とは
 理性ではなく、
 "多忙"に尽きる・・""

以上です。

これが私の
実人生経験から学んだ、
とても
大事にしている
人生を生き抜いてゆく、
ひとつの処世術です。

ひとは誰もが皆、
辛いことや
哀しいことがあると、
つい
そのことを忘れよう、
忘れたいと願いがちです。

その出来事は
とても辛いから
無理もないこと。

また頭の良いひとほど、
理性という頭脳で何事も
考え込んでしまい本当に苦しく
なってしまう。

失恋や片思いは
誰でも、辛い。

男女も年齢も
関係ありません。

深く愛し合った
男女同士の別れはさらに
辛辣です。

つまり理性ではとうてい
及びのつかない世界だと
いうことは実は
誰もが周知の出来事がある。

さらに最も辛いのは、
愛するひとの喪失(死)
と人生で真向かいあうことです。

または自分の能力では
とうていあがないきれない
課題が生じた際にも、
ひとは誰もが自分を不幸や
なんて自分は運のない人間だと
感じてしまいがちです。

かつての私もそのひとりでした。

いずれにせよ、
長生きをするとひとは誰もが皆、
辛い経験もするのですが、
そのなかなか辛い出来事を
忘れよう、忘れたいと思っても
忘れられないものです。

いくら酒や睡眠薬に耽溺しようと
その辛さから逃れられないことが
屡々あります。

だから、
わたしは
"忘れること"を
人生で早々と
"断念"しました。

そう、
"忘れられないこと"は、
絶対に
"忘れない"ようにした、
のです。

""すべての哀しみと
 苦悩と困難からの
 回復(リカバリー)の
 糸口は
 理性ではなく、
 "多忙"のなかに或る""

文字通り、
悩みとはまるで関係のない
世界に身体全体を
ゆだね浸かり、
浸りきることです。

躰を動かしたり
して汗を掻いたり、
たとえば
残業でたくさん仕事をしたり、
仕事がなければ
趣味にひたすら没頭し、
兎に角なんでも
一生懸命に
なることです。

多忙になればなるほどに
困難から救済される日は
間違いなく早まる確率が
高まることでしょう。

悩みや哀しみに
どっぷり浸かって
しまう日々は、
実は末永き人生ではある意味
大事な期間である側面もありますが、

しかし場合によっては
ひとによってそれが、
何年と・・
5年10年と数十年とその
苦しみを"ひきずって"しまい
人生を終えることさせ実際に
よくあることです。

私もまた、
人生において
きわめて不本意な、
数年間のブランク期間の
経験があります。

それを越えて
実体験として
得た処世術が、
先に述べた言葉(フレーズ)です。

"多忙"は決して、
"あなた"にとって
かけがえのなかった
運命的なリスペクトした
相手を完全に
"記憶から消去"する為の
手段=方法ではありません。

事実(多忙にすること)はあくまで
対処療法的であるものの、
"考え"抜く、
その過ぎた
真摯な"あなた"を一時的に
救済するための唯一無二の
人生での行動パターンです。

経験上、
その行動を意識的に行使
できれば、
実際最も絶大な威力を発揮します。

しかしながら
5年も10年も
"立ち上がれず"に
いる人達がどれだけ
多くいることか・・
を私は知っています。

今回の講演に関しては
男性がひとりもおらず、
全員、
女性という普段とは大分
雰囲気の違うものとなりました。

皆さんが
どうしてか
美しい女性達ばかりでした。
(失言になりますが、
現代は"マスク美人"というのも
あるものの
美しい雰囲気をもった
方々が傾聴者だった
・・戯れ言で恐縮です)

そのなかのひとりに
絶世の美女といっても
過言ではない位の方も
おいででした。

その女性は
私の真っ正面の席に座っておられて、
始終真っ直ぐにその瞳を
私に向けてくれている
ことが常に強く感じられ、

それはまるで私の
心の深部を見透かされて
しまうような気分になり、
ここちよさ、というよりは
普段とは違う緊張感を伴った
感覚というか気分を味わいました。

講演する側の
私の任務(ミッション)は、
いったい果たしてなんだっけ?と
今更ながらに感じてしまうほど、
今回は違和感のある講演でした。

2時間超の中で1時間飛ばし過ぎて
しまい自分自身がやや過呼吸気味。

中間、
休憩を挟んだので
後半は回復したが、
それなりに内心焦りというか
アクシデントはありました。

講演とは
録画でない場合、
生身と生身との
ぶつかり合いなんだと
改めてつくづく実感。

この講演は
ある事業所にて
もう一度、今一度、
社会復帰
(就労支援が主目的)する
為のカリキュラムの中の折り返し
の時点で、
私という
人間の半生を
述べるという、
誠に画期的な?!
場合によっては
とても奇妙=奇抜な_?
な講演です。

その講演での
コンセプトは常に変わりません。

ただ"私"という半生という
生涯を赤裸に暴露することを
2時間以上、
講演者(後援者)である
この私が永延と
語り続けるのです。

だから、
スタミナは
かなり要求される講演ですし、
傾聴する方々にとっても
精神的な疲労は生じるでしょう。

今回の講演での参加者の方達は
国のハローワークから
斡旋されてきた方々。

失恋にせよ、
社会人として、
仕事でなにか
あったにせよ、

一度は心が
完全に折れて(割れて)
しまって、
ブランク期間の
あったそんな方々が
傾聴者です。

もう一発、
華を咲かせて
みようじゃない?!・・
とはいささか
"ドヤ"な野暮な感じですが、
おのおのがブランク前よりもさらに
自分の高みを目指し社会復帰
の為の自立支援的なProgramの
短い時間のひとつに
この私の講演がやや異端的に?
存在しているのです。

今回の女性達と接して感じることは、
私の講演など何一つとして必要と
しないじゃないかと思える程に
有能そうな方々ばかりであったということ。

"彼女"等が凄い勢いで
細かくメモを記して
いるのが見え、俄然
スピーカー側の私も
熱が入り本気になりました。

男女関係なく、
敬虔な方には、
人格も優れた方が多い。

なにはともあれ、
無事に今回の講演も終了し、
反芻した際、
自分の反省のひとつで、
大事な処世術が
何故いつも謂えないのか?
ということ。

それは今始まったことではなく、
もう何十回と繰り返されている。

人生の困難の
克服方法は、
極めて単純で
"多忙"にあります・・

これを謂ったら終わり・・
とでも自分は心の奥底で
内心感じているのか。

今回は
講演内容の時間を
あえて割いてまで、
"幻の光"の話がどうしても
したかった。

そのこともまた
全く触れることも出来ずに
講演が終了してしまいました。

女性ばかりの
参加者であると、
知っていたので、
是非ともお伝えして、
読んで貰いたかった
著書のひとつが、
"幻の光"であった。

情熱的で美しい女性の
喪失から再生への回復を
一人称で表現した短編
小説。

それが"幻の光"です。

登場する
女性の心の動き(魂)は
この男である私にとっても
ただ只、妖艶。

"宮本輝"著書の"幻の光"は
"是枝裕和"監督によって
のちに映画化もされました。

講演のあった、
9月27日の前週に、
なんと!私はその映画の舞台となった
石川県の鵜入町の港に実際、いたのです。
↓下の動画は実際に私が撮影したもの。

以下、
有識者の方々の
"宮本輝"著書の"幻の光"の
WEB引用、抜粋させて頂きたい。

どの方の評価も
とても味わい深く、
この作品にとてもふさわしい。

今後、分かりませんが別記事にて
改めて幻の光という
作品の評価記事が書けたら光栄にも
思っています。

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人が意図せず漂わせる人生の漠たる
哀愁のようなものが心に残る至極麗筆な一冊。
文章の余白、言葉の向こう側で語る情動描写に感嘆の溜息。
なんて醜くも美しい感情をここまで表現することができるのか…毎回驚かされる。
特に表題作の「幻の光」は素晴らしかった。
生きることに執着を失くした者の傍にいて、
最期まで心を知り得なかった女性の現在と過去の“乖離する幸福”への戸惑い。
宮本輝さんだからこそ描けた情景にまた溜息。
酸いも甘いも知った女の虚無と、
何も知らない無垢な女の脆さが危うさを醸し出し、
目が離せなくなる。いい読書時間だった。

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『幻の光』は『川三部作』を書き上げた後の最初の作品。
突然前夫が鉄道自殺し、
一人残された妻のゆみ子。
舞台は奥能登。宮本輝が暮らした北陸の陰鬱な日本海の光景がすさまじく、
どうにもならない死から生を紡ぎ上げていく姿を描いている。
日々の営みのすぐ傍にある突然の人の死や失踪。
昭和の風景では不運も不幸も特別扱いされず、
市井の人々は自分が生き延びようと、その日暮らし…。
『幻の光』は、いかにして業を越えていくかをテーマに据えた作品だが、
移ろいゆく儚さを前面に押し出す一方で、
仄かな温かい光も感じられる。

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2008年9月初読。
表題作のみ何度目かの再読。
子供が生まれて間もなく、
夫が自殺する。いくら考えてもその理由がわからない。
夜の線路をとぼとぼと歩く夫の背中を心の中で何度も追いかけ、
話しかける。再婚して行った奥能登の、
荒々しい日本海の風景が、その心情と相まって恐ろしくも美しく、
そしてそれが最後には生も死も誘い込むような光へと変貌する。
たった80ページ足らずの中編なのに、
ひたすら重く苦しく、そして美しい作品。
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