“傷だらけのギター”-未完成”品!!-初心者の私が初めて本気で触れた46年(半世紀)前のヤマハ・ビンテージ-“YAMAHA”社製-“FG-250″(グリーンラベル)モデル-(アコースティック・ギター)のレビュー

【ご注意】
この記事はあくまで私自身の経験と"体験談"です。
誤解釈が多数ある可能性があります。
また今回この記事で扱っている"YAMAHA FG-250"というモデルは"現代"の"初心者"の方が
実際扱ったり"古物品の取り扱いの初心者"の方には不向きです。
しかし"私のこの思い"が初心者の方や音楽を愛する方にとって何かのお役に立てたらと願っています。
※大手中古楽器販売店様からの画像の引用を交えて現在の私の所有するギターの記事を作成しています。
(画像が綺麗できちんと弦が張ってあってプレイ出来る状態のものは総て中古楽器店様からの引用画像)

このノートは少年・少女のティーンを含め20代の若い方や30代or40代年齢や性別,一切関係ありません。

これから初めてギターを購入しようと思っているビギナーの方に是非読んで頂けたら嬉しい。
記事の前にギターの各部名称の図を添付させて頂きます。こういう図解での説明は,
"ギター 名称”と検索するだけで良い図がたくさんでてきます。

そしてギターだけでなく色々な楽器に触れたことはなくても
音楽をいつも愛している"あなた"に"しるし"たい事が最近の出来事でありました。

なかなか "ゴミ"として処分出来ないのが "楽器"という存在です。

最近,音楽を奏でる楽器は
本当に不思議な"宿命”をもって"生まれ堕ちて"きているんだなと改めて感じさせられています。

例えばほんとうに安物の楽器であっても その楽器が"最期を迎えるその瞬間"までに
何十人,いや何百人と所有者が変る事は"ザラ"です。

世界中見渡してもそんな家具やツールってあるでしょうか?

生き物でも犬とか猫のペットでどんどん"里親"が変るそんな"子"っているでしょうか?

何百回も所有者がかわる
電化製品やナイフってありますか?

私は"伝統工芸品"と呼ばれる品だったらどうでしょうか?
例えば"ソムリエ・ナイフ"は,簡単には"処分"棄てられませんよね。

"世界共通"の出来事は楽器という存在は本当にその物体が文字通り
"粉々”に粉砕されるまで最期の瞬間まで手にしてる者="最後のオーナー"に訴求してきます。

ギターだけでなくそれはブルース・ハーモニカであったり,
カスタネットであったり,タンバリンやマラカスであったり,
そして・・チェロやコントラバス,
バイオリン・・ピアノ・・トランペットやあらゆる管楽器であり
様々な仲介を通じて持ち主がどんどん変ってゆく事は少なくありません。

余談になりますが,ここでご紹介したい"事実"をプロットにして書かれた書籍(小説)があります。
日本の純文学小説部門1位ベストセラーとなっている作品です。
近年私が読んだ日本の小説の"傑作"のひとつです。
音楽があるかぎり俺は生きていける!・・逆説的に言えば
”No Music・・No Life?" つまりこの私のWEBサイトの
コンセプトそのもの!と感じさせてくれるそんな小説です。
是非この場を借りて紹介させて下さい。

"アヴェ・マリアのバイオリン"という
タイトルの日本語の小説です。↓

私と作者は以前SNSを通じておつあいがあり,
近頃は疎遠になってしまい恐縮している次第ですが,
日本のドクターでもあり,とても素敵な方です。

登場人物は日本人の中学生で"あすか"という
14歳の少女が主人公です。そして縁があって
彼女と出逢う"バイオリン"という楽器が登場します。

数奇な運命に翻弄された一丁のそのヴァイオリンは
この楽器と出逢った彼女="あすか"を完全に変えてしまいます。

彼女が所持したバイオリンの"霊的なオーラ"は半端なものではありませんでした。
これ以上書くと日本語で言う"ネタバレ"になってしまい割愛しますけども
主人公の彼女の"躰"の奥底の心の芯まで”射貫いてしまう"そのバイオリン"の"響き"は
最後まで読者に伝わってきて,それがリアルでとても"すがすがしい"のです。

リアルに現実的に観れば元々"素養"="才能"の或る女性(女の子)が登場しますが,
"受信"してしまうのです。時空を国境を越え"ひと"のひとが持つ感情の"揺れ"です。
目の前の現実と過去や世界の"総て"を。

レセプター=受信機である"バイオリン"を通じて,彼女は感じとってしまう。
彼女は突き動かされてゆく。
その正体は何か?世界中の私達がずっと求め続けている恒久の"真実"です。

主人公である彼女は"目覚め",そして"覚醒"してゆく。

音楽の崇高さをこれ以上ないという程に表現し,
"楽器"という存在の或り様を決定的に"しるし"た
若い世代も老人にも読みやすくて最後まで一気に読破出来る稀に観る,
日本人作家の意欲的かつ渾身の力作です。

全世界で和訳されて読まれてもおかしくない,
近年の日本の小説作品と私は断言できます。

他に例えば↓の作品。日本の漫画です。
音楽(バンド)をテーマにした金字塔的な作品である。
実写化されたり,アニメ化されたり,主人公が使用するカスタムモデルのギターまで販売されました。ここでも"数奇な運命を持ったギター"=" 黒人ブルースマンがステージ上で銃撃されたボディだけで7箇所の弾痕跡の或る伝説的なギター"が登場しました。

例えば・・どの国にも象徴的な人形(ドール)という存在。
その存在は誰かに愛される為に生まれてきたのだけれど,
"色々な境遇を経た人形"というのも多々ある訳です。
たとえば日本では最も有名な"お菊人形"。
ある意味日本で最も大事にされている" お人形"のひとつです。
髪の毛が伸び続けるという"人形"がこの寺でかなり昔から供養されています。
日本の伝統的なこの"人形"は例えば"ハワイ"諸島の昔の人形と同じ作り方で,数十年経過すると
頭の髪の毛の根本の粘着素材が劣化し"毛"が"ずり落ちる"るケースがある様ですが,
萬念寺(まんねんじ)に治められているお菊人形 (おきくにんぎょう)の場合は実際"毛髪"が伸びてしまっているようです。だから一年に一度髪を切ってあげているそうです。
北海道岩見沢市栗山町万字の萬念寺の"お菊人形" ↓

"楽器"という存在は時には部屋の片隅のオブジェになったていたり,
ずっと物置にしまわれていたりしながら
数奇な運命を辿る楽器の方が多いのかも知れません。

特に"ギター"という楽器はその傾向がとても強い。

人の目に観られずに, 暗がりの中でずっと冬眠?しているような,
そんな楽器は世界中には"何千万"台とあると私は思っています。

先日,実の父親が管理する倉庫(物置・納屋)から
妙なものが"出没"しました。

父がゴミとして処分する様子だったので"なに気"なく気になり
見に行くと私が10代の少年時代に使っていて古いアコギ(フォークギター)でした。

観た瞬間,さすがに直ぐに想い出しました。

まるで亡友(盟友)に出逢ったかのような思いとは,こんな気分なのでしょうか?

"今亡き友人"に突然ばったり出会えたら
こんな気持ちになるのでしょうか。

感情的に咄嗟に抱きつきたくなるような"衝動"っていうのでしょうか。

他にもこんなのありますか?と父に尋ねたら,
もう他にギターらしいものはもう無い様子だとおっしゃっていました。

大昔に使用していたギターは現在私の手元に
全てある筈で,どのタイプもクラッシックギターと呼ばれる
ガットギターです。
"鉄弦"を張って使用するフォークギターはもう既に全部手放したと思っていました。

すぐに駆け寄って手に取って,
本体を抱えてみたら,物凄く華奢で軽い。

まるで"スレンダーな女性"を抱きしめている様な感覚。

片手で振り回してみました。
やはり"物凄い軽さ"です。

すると色々な回想記憶と感情が込み上がってきました。

このギターは
"YAMAHA FG-250"といい,
グリーンラベル期の1970年代前半製の様子です。
私はそんな事全く今まで"知らなかった"のです。ただ,ヤマハ製という事は知っていた。

私はギターリストではありませんが,
さすがに年を取り,
余計な?知識を多少持ち合わせる様になりました。

YAMAHAのビンテージと呼ばれるアコースティックギターは
いずれも世界的に人気があります。
日本国内では中古市場で
数千円から数万円という
極端な価格幅の推移があります。

グレイトな方が"リペアクラフト"を行った場合,
"物凄い大音量"(ラウドネス)で鳴るとも言われています。

使用材木はボディ(胴体)はスプルースの合板,
サイド(胴体の側面)とバック(胴体の裏側)はインド・ローズウッド合板の
典型的なフォークギター・タイプのボディに、
マホガニーネック部(手のひらで支える箇所)&ローズウッドの指板です。

この記事のモデルではありませんが,
日本には"ゆず"というとても人気のある
ユニットのアーティストがいて,日本楽器(YAMAHA)のFGシリーズを大事にしているミュージシャンがいます。

所有していたFG-250を色々な角度から咄嗟にギターをよく眺めてみると
シリアルが窺えました。

私は目が悪いので良く観てみるとどうにか
1番左側が3で始まっているのは見えました。

これは1973年製の事を意味するのでしょうか?
(ギターに造詣の深い方で,私の判断が間違っていたらご教唆して頂けると嬉しいです)

少年の頃の私は
そんな"マニアックな事"?なんかどうでも良かったし,
なんとも思っていませんでした。

音が出てただ弾ければ良かった。

でも今私の手にしているFG-250は
どう観てもこの状態では"がらくた"です。

父がこのギターを観て"粗大ゴミ"として棄ててしまおうと考える事は"賢明"です。

弦も張られておらず,オリジナルのマシンヘッド(ペグ)="弦を巻くパーツ"が全て失われています。

↑本来はこうしたオリジナルのペグが装着されていた筈

私の所有している物体はサドル部分も紛失している。サイズの合っていない
樹脂製のブリッジピンが意味不明に?突き刺さっている。↓

部品を撤去したのは私自身なのでしょうが,
もう何十年も前の事で良く覚えていません。

そもそも自分がオーナーだった癖に
この楽器にたいしての改造や修復のアプローチの意図が全然思い出せない。

さらにボディトップの向かい合っての
右下部は"円形脱毛症"の様な?
塗装の剥離が見受けられる。↓

↑私の所有しているFG-250
↑中古販売店様からの状態の良いFG-250の引用画像

これはデカール(シール)の剥がした跡であると容易に推測出来ました。

おそらくシールの粘着力が強すぎて剥がす際にトップのクリア塗装が
"はげ落ちて"しまったのでしょう。
いつ貼付けて・・何年後に剥がしたのか・・。

何を貼っていたのか?
と考えたら"その事"はすぐに想い出しました!。

"NGK"社(自動車やバイクのエンジンの点火プラグの日本の
トップメーカー)の丸いシールを当時貼っていました。
どうせバイク屋でシールを買って貼ったか,友人に貰ったものを貼付けたのでしょう。

↓現行品ですがこんなシールです。
当時のはもっと現行品と違って"無骨"でシンプルだったかなw。

10代の"ガキ"というのは,
今の子達は分らないけれども
自分の頃はやたら壁や机に落書きをしたり,
シールを貼りたがる傾向がありました。

犬が散歩してて道ばたで"おしっこ"しながらマーキングして
歩いているのとこれは大差ない"現象"です。

私の過ごした時代は
小学生だけじゃなくて中学生も高校生も同じだったかも。
喫茶店に行くと落書きだらけの店があった。ライブハウスも。

でもまぁ。一部の学生だけだったのでしょうけれど。

自分は所謂そんな"不良"のご多分に漏れずにそいう傾向があった様です。

初めてギターを本気で触れ始めた時,
自分の場合はエレキではなくフォークギターだったわけです。

当たり前ですが最初
"全く弾けなかった"。

(今でも"違った意味"で演奏出来ているとは思っていませんが・・W)

子供の頃は自分の周りにはギターの上手い友人が大勢いました。

そうした恩恵があってか,
自分は演奏は出来なくても楽器に触れる機会がとても多かったのです。

ギターリストの持っているエレキを
練習の休憩中にめちゃめちゃに?弾いたりしていました。

で"上手い奴"の弾く真似をしても
格好悪いしつまらないから,すぐ止めてしまう。

子供なりにギターという楽器は管楽器に似ていて
"こいつ"は独特の"平野"みたいなものがあるのだなという事を感じ初めていました。

"こいつ"を操るのはセンス(感性)次第なんだな?とw。

ただ押したり叩いただけでは,
音そのものがまともに鳴らないのは知っていた。

けれど身近にそういう音楽仲間が大勢居たというのは,自分が
音楽に"挫折"しなかった大きな理由のひとつかも知れませんね。

↑WEB上の"F"を克服なさった方の画像から引用させて頂きました
↑2次元のFメジャーのバレーコードの運指

"Fメジャー"の"バレーコード"をアコギで押え初めてまる3日間
(多分その間は”カゼ"をひいたと嘘をついて平気で学校を欠席した)
ほぼ70時間近くろくに寝ずに"Fのコード”の音が自分にとって鳴る事だけ
集中してアコースティックギターで練習した事だけは今でも記憶しています。

※"バレーコード"とは
一本ので同フレット上の複数のを同時に押弦する奏法 。セーハ西: Ceja) と言う日本人もいます。
バレーコードとは"指一本"で複数の弦を押さえるため通常の押弦よりは強い力は要します。
それでも"圧倒的"に強く押すという事ではありません。それは奏者のバランスの問題であって軽く押えていても,いずれ女性でも圧倒的に強烈な音を出す事が可能になります。
コツを掴めれば必要以上に力をかけずに押さえる事ができるようになるけれど、一般的に初心者には難しいテクニックとされます。特にFコードのようなローポジション(ヘッド側)に近いほど難しく、Fコードを覚える事はギター初心者にとってまず"最初の難関"とも言われ,ここで"挫折"すれば二度と"ギターを演奏する事"はなくなるでしょうw。
その次に薬指を使ったバレーコードで例えばローポジションの"B"というコードも一般的には初心者にとって第2の"壁"となります。その前に個人的にかなりBm7が厳しいというひとが最近は多いような気がしますが,私の"経験"のようにひとつのコードに拘っていては駄目です。私の経験はスマートではなく,"反面教師"の体験として捉えて下さい。他の簡単な?コードを押えているうちに必ず"バレーコード"も良い音が鳴るようになります。

↑初心者の第二次関門であるbm及びbm7の運指のフォーミング図

左指はぼろぼろに皮が剥けて左指の第1関節と第2関節から血が流れていました。
血が滲み出そうが若かったから?そんな事はどうでも良かったのでしょう。

そもそもギターという楽器に対しての"力のいれ具合"や
右手と左手の音を出すタイミングがそもそも全く分らなかった。

↑Fの次の難関が私にとってはこのフォームでした!2本の指のバレーコードは,
何ヶ月間まともに音が出なかった。

上手な友人からさんざレクチャーして貰っていても,
いざ"先生"が傍に居ない状態で自分が実際に弾くと"全くダメ"だった。

"アンプを繋がない状態"で,
エレキギターとかでバレーコード弾いたりすると
"それなり"に音は出ていた筈。"見よう見まね"で弾いたりしていた。

で,実際フォークギターで演奏するとやっぱり全然ダメ。

そんな私の"奇行"につきあってくれる友人なんか誰もいなかったです。

自分は"歌"だけでずっとやっていたし,狭い世界だったけれども
俺の事を"楽器の弾けないリード・ボーカリスト"だと認めてくれている友人達ばかりだった。

あいつ急に楽器やろうとしてまた"頭おかしくなったんだ"って思われてたかも知れません。

今は思い出せないけれど,多分,どうしても歌いたい(演奏したい)曲があったのだと思います。

そうした思いを"モチューべーション"って言ったりする。
日本人の流行り英語だと陳腐になってしまいますけれど。

でも特に初学者が楽器を演奏する上で最も大事な要素だと思うのです。

余程の理由がないと例えば私の場合は"無理”をしない。
良い言葉だとそれを日本語だと"努力"と言ったりする。

世界一流と賞賛されているプロだって
その事(衝動)を大事にしているだろうし,
初心者も誰でも同じですよね。

その思いをずっと維持しているひとが,
"一流"と呼ばれるプレイヤーなんだと思っています。

人生誰でも不本意で不遇な事がある。

その事実は若い年寄り関係ない。

けれど年を取ると"知恵"ってものが誰でも身につきます。

そして音楽の真骨頂は実は1番聴いてほしい"存在"には一切音が
届いてはいないという事実。

届いたらこれ程"幸福"な事はないでしょう。

これはちょっと若い方には理解して貰えないかも知れない。

奏者の"響き"は決して1番伝えたい相手に伝わってはいない。

だからこそ音楽をやり続けるんです!

伝きれないその思いは・・大好きな異性かも知れない。

それは別れた彼氏かも知れない。死んだ妻かも知れない。
お袋かも知れない。可愛がって下さったおばあちゃんかも知れない。
もしかしてそれって"神"というとてつもない大きな"存在"かも知れない。

10代のあの頃・・自分は大事な事なんか全然気づいていなかった。
ただただ,音楽が凄くて自分にとって物凄く大事で"崇高"な存在
である事を感じ初めていました。

そんな初めての楽器というか,相棒というか,
自分が接したアコースティックギターが多分のこの"FG-250"です。

そしてこのギターで
後の2年間で"100曲以上"はオリジナル曲を作曲しました。
この曲は陽の目を見る事もなく,私の手元にファイリングされたままですw。

あれから何十年も経過しますが,
ギターの所在もまるで覚えていなかったけれど,
どうしてもアコギだけは他人に譲れなかったのでしょう。

他にも"鉄弦"を張る
フォークギター(アコースティックギター)を
何台か持っていた筈です。

手元に一切ないのは,
親しい友人やギターを始めたいと思っていた
女の子にあげてしまったのだと思う。

けれども当時ギターを自分で買った記憶がない。

そもそもこの記事のこんな古い1973年製のギターを新品で買う筈もないです。

では父親が購入して,
本人も私もそんな話しの全てを忘れているのか。

日本には"安保紛争"という1968年から'70年代初頭までの歴史
があります。紛争のあった時代の若者にとって
フォークギターという存在は"自由"の象徴的なアイテムのひとつであった。
安保闘争(あんぽとうそう)は、1959年昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり日本でおこなわれた日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員労働者や学生、市民および批准そのものに反対する左翼や新左翼の運動家が参加した反政府、反米運動とそれに伴う大規模デモ運動とWikiでの解説がある。

年齢の離れた実の姉はその時代より"後の世代"であったが,
日本の歌謡曲のフォークソング・ブームがあって,
ご多分に漏れずギターの弾き語りの様な事をやっていました。

けれども彼女の所有するギターは全て
ガットギター(ナイロン弦のクラッシックギター)でした。

では自分は10代の少年の頃どうやってギターを入手していたのだろう。

現在も手元にある
大昔の何台もある安物のクラッシックギターも,
一台も買った記憶がないのです。

ギターを親に買って貰った事が一度もない。

バイトして楽器屋へ行って買っていない。

バイトした金はレコードを買ったり,
録音するテープをたくさん買ったり,
バイクのガソリン代や食い物やタバコ代や
"彼女"とデートする資金?でそれどころではなかった様子です。

つまり,譲って貰ったのか,
知り合いから無理矢理に略奪?
でもしていたのだろうか?。

まさか盗品?w。
さすが"バカ"だった私もこんな
大きくて目立つギターを窃盗することはなかったと記憶していますw。

それとも何枚かのレコードとかで
知り合いと物々交換でもしていたのだろうか。

少年時代長い期間,接していた
この記事内での,YAMAHA FG-250の
グリーンラベルモデルの本当の持ち主も不明です。

誰のものかさっぱり分りませんが,世の中には"時効"という
のがありますよね。つまり今では"私のもの"でしょう。

所有するYAMAHA FG-250は外見上は複数の問題を抱えていますが,
時間があれば"楽器"としてもしや再び蘇生出来るかも知れないと感じました。

↑中古楽器点様より引用画像

外見上傷は大多数有り、
ナット部の劣化,
ボディの表面クリア塗装部の剥がれ,
ペグの紛失,サドルも無い状態ですが,
ざっと観た処,フレットは5~6割残っているかといった所。

当時の私はさらに演奏力がなかったせいなのか?
あれだけ長時間弾いていた割にはフレットの減りが少ない。

↑状態の良い中古販売店様からの引用画像
↑状態の良い中古販売店様からの引用画像

ネックは目視上,雑感ながらほぼストレートであり若干のウネリを感じた。
トラスロッドが効くかどうかは不明。
それから不自然に感じたのは,エンドピン部が加工されていた。↓

↑所有するFG-250のネック部の側面

暫く思い出せませんでした。
気になったので内部にデジタルカメラを入れてフラッシュ撮影。

するととても奇妙なアンプへの増幅器(ピエゾ素子)がbodyトップの裏側に
張り付いているのが写された。
結構強力な瞬間接着剤の様なもので固定されているのが窺える。↓

ようやく
思い出しました。

鎌倉の地元の当時は良く出入りしていた
楽器屋で"何か"を取付けて貰った事を想い出した。
多分高校生の頃。

10代の頃ライブでこのギターを肩に掛けて歌う機会があった。

学生の文化祭かなにかで,あの頃は何もなかったから,ダイナミックマイクから音を拾って
ギターの音を大きくする(いわゆる業界では"立ちマイク”と言う)のが面倒だった。

"立ちマイク"の状態だと自分の動きが封じ込められて
凄く嫌だった。フォークソングみたいで嫌だったのでしょう。
だからエレキみたいにダイレクトにアンプに繋ぎたかったのでしょうね。

でも,このピエゾ素子で音をきちんと拾うのは困難だろう。
きちんとしたライブハウスではさぞやPAさん泣かせ?の状態だったのでは。

このギターのラインから増幅すると
すまさまじいハウリングが起きていたのではと咄嗟に想像しました。

数十年ぶりに古い日本製の ギターを手にして咄嗟に感じたのは
低重心な野太い枯れた感じのサウンドが
もしかすると発生(発揮)出来るのではと
ふと思った事です。

↑中古販売店様より引用
↑ピックガード部は純正と思われる

40年~45年経過している日本楽器のアコギのボディは,
サイズのわりには音量が,修理次第では出るのでは?と。

日本製の楽器の素晴らしさは日本製の車に似ています。

環境が高温多湿な四季がある為に,他の国よりも"状況"が厳しいのです。

その環境に耐える楽器を造る必要性が(特に70年代は強かった傾向がある)あった。
所謂それらが世界でジャパニーズ・ビンテージと呼ばれている。

折角私の前に数十年ぶりに出てきてくれて,
凄く嬉しかった。
やってみて無駄に終わってしまっても,
このギターなら"諦め"がつく。
ゴメン・・ずっと忘れていた位だったので。

その辺りは別の記事で投稿している12弦ギターの
同時期の日本製のビンテージであるYAMAHA FG-260とは
私にとっては立場的に"存在感"が違う。

"YAMAHA FG-260"の12弦アコースティックギターは私の前のオーナーがはっきりしているからです。

あくまで素人の直感ですので
修正に取り組み初めてみないとなんとも云えませんが,
ゆとりが出来たらギターをきっと直そうと思いたちました。

そうなったら,この記事にてまた報告しますね。
修理の流れの順番予定としては,
1,ペグを装着する(おそらく手持ちで所有している在庫のグローバー社製を採用する)
2. サドルを加工して装着する(牛骨製もしくは加工しやすい人工象牙で作り直す)
3. ネックの調整(トラスロッドは生きているか?)
4. 材木の各パーツのリペア
今の処この予定です。

↑所有しているグローバー製のものは14.1のギヤ比と思われる

↑↓ただ,6つ手にした所,重い!。全体的にFG-250の軽くて華奢な躰と不釣り合いな程の重さです。気になってざっと測量してみました。

↑6発で300グラム以上あった。

↑演奏する上でヘッド部が重すぎて"違和感"が起きる可能性があるが,その分,ヘッドを交換する事に依って弦の振動をしっかり"伝達"出来る可能性があります。多分上記のモデルなら"無加工"でFGへ装着出来る可能性が高い。

↑未使用品の牛骨製のナット部とサドル部

↑現在はサドル部を完全に紛失した状態なので,何かしらを装着する必要性があります。ナット部は純正のものが取付けられていますが,オリジナルのものは樹脂製(中は空洞)のものであると推測しています。ナット部の変更は1番最後にします。特に演奏して問題なければ入れ替えません。

↓ここでとても気になる"心配事"が発生しました。
心配事というと大袈裟ですが,フラッシュなしの画像とフラッシュ有りのサドル部分の画像を
”ギターに詳しい見識の或る方"に是非観て頂きたいのです。
気が付きませんでしたが,記事を編集して"この画像"を観ていたら気がつきました!
いやぁ・・これ結構"まずい"んじゃないかな・・。これ,"サドル部"死んでいますかね?はっきり言って。
私そんなに知識も浅くてプロのリペアマンでもないしギターリストではないんですけれど,"サドル"下の底の材木が部分的に剥離している様な気がします。丁度,1.2弦と5.6弦の付近です。まさかFG-250はオリジナル製品のデフォルトで1.2弦と5.6弦にあえて"ホール"(空洞)を作った仕様・・そんなのなんかではないですよね?W。
決定的なのは・・ケミカル系の接着剤の様なもので"サドル"部を固定した形跡が見受けられます。サドルの溝の脇のクリアーの部分です。・・私の"スキル"だとこれ結構"難易度"高いかも知れません。直るか・死ぬか・・。
木工用のパテ埋めでは・・・なんとかなるでしょうか?それとも"抉り"倒しちゃった方がいいでしょうか?

↑そのうち,変化ありましたらまたこの記事でご報告させて下さいませ!

余談になってしまいますが,
この記事を書いていて,1970年代初頭(1973年でしょうか),
ジェイムズ・テイラーが日本に初来日した時のアコギのセットを想起しました。
Gibson J-50でしたっけ。
"あれを観て当時の誰もみんなが"圧倒されたそうですね。

James Taylorはライブにおいても"ハウリング対策の先駆者"と思われます。

これまでの記事の"私の過去の話"とは次元がまるで異なりますけれど,
大会場でのアコギの増幅で起きるハウリングを考えてサウンドホールを
段ボールなのか?コルクの様なものをガムテープで塞いだ状態の
Gibson J-50のギターを観た観客とミュージシャン達はさぞや驚いた事でしょうね。

アコースティックで胴体のサウンドホールの穴を塞いだら
人間で言うと"口を塞がれた状態"と同じで音はまるで出ませんから。

勿論私はリアルタイムの世代ではありませんが,WEB上で
私よりずっと年上の日本人のFanの方達もこの辺りの研究をとてもなさってる方が結構いらっしゃる事は私にとっても凄く嬉しいです。

さすがに凄いな!と思うのはJames Taylorの
日本初来日のギターのシステムでの考察では,Gibson社のJ-50は
アジャスタブル・ブリッジのままでピエゾは実は埋め込んではおらず(実装していない?),
ブリッジの表または裏側にコンタクト型を付けてたのではないかというのが有力な説?
らしいのですが・・それがバーカスベリー社のコンタクト型ではないかと・・その意見に
反していやいやそれは違うでしょうなどという意見もあったり・・
リアルタイムの世代でない私から観ると
"話しの内容"と"意見交換"がもの凄すぎます!!。

そういう専門的な
事な抜きにしてもブリッジ付近で振動を拾い"紐"がぶら下がってゆき,
胴体のサイドをまた養生テープの様なものでコードをあちこち
固定して演奏していたJames Taylorを初めて観たら,
これは当時の日本の音楽業界ではショッキングだったと思います。

21世紀の現在でも世界中のアーティストは
ライブにおいても"そのやり方"を"蹈襲"しているにすぎません。

私のような者も"ライブ録音"では同じ手法です。

実は非常に貴重なJames Taylorの画像があって
この記事内で掲載したいものがあったのですが,
残念ながら自分のストレージから一切発見できませんでした。

去年の夏に4TBのデータをクラッシュしてしまいその中に保存されていたのかも知れません。
WEB上ではきっとどこかにある筈と思い,世界を見渡したも,発見出来ませんでした。
見つかったら掲載したいです。
代りといっては何ですが,当時のJames Taylorの画像を添付します。

最後までつたないこの記事を読破して下さったあなたへ。
James Taylorの私にとっても大好きな2曲のリンクを貼らせて下さい。

キャロル・キングのカバー曲である
"きみの友だち"(You've Got a Friend)。

そして世界中の多くのトップミュージシャンがカバーしているバラード。
"寂しい夜" (Don't Let Me Be Lonely Tonight)
で〆させて下さい。

いつの日にか私もこの曲をカバーして動画をアップしたいと思っている世界的名曲です。
私はアイズリーブラザースのCoverでこの曲を初めて知りました。
あまりにもリアルなこの切ないバラードに強いショックを受けました。
日本語に英訳するのは非常に困難なバラードのひとつでしょう。

この曲のThe Isley Brothersやエリッククラプトンの
カバー曲は半端ない程の切ない優れた作品に仕上がっています。

James Taylor自身のオリジナル。

The Isley Brothers

エリック・クラプトン

そして近藤房之助(Fusanosuke-Kondo)氏の日本のTVでのライブ収録
(私は数千回以上は聴いているでしょうね。日本人として最強のライブテイクのリンクを貼ります)
↓外部からのリンクが許可されていないので,以下の画像を1度踏み,もう一度踏んで下さい!ジャンプします!

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