“その時 抱きとめてくれるひとがいますか”?!-あなたは”青(Blue)が好きですか?- 北野武監督-“HANA-BI”(Fireworks)-“KITANO BLUE”!!-“雪の絵画”-“226事件”の暗喩!!-24年目の真実!!-“承”(development)
-生と死が錯綜する言葉の連綿が
織物のようなその絵となるとき、その
意味はどこまで回避されるのだろうか。
暴力的に烙印されたような赤い文字は、
果たして意味そのものの死であったか-2022年8月記
(73×103㎝イラストレーションボードにポスターカラーによる
"雪・光・自決"という文字のみの北野武絵画作品)
2022年。
私はまるで
"生き急ぐ"かのように
多くの映画を"見据えて"いた。
読書には乱読という
類いがあるが、
映画作品にもやはり
"乱"はあった。
2022年に入り、
新しきドキュメンタリーの
映像作品を含めればその作品数は
数百を超えていた。
私は"北野武"監督の作品を
再び"総て"観た。
それは
Violent Cop (1989)の処女作を
始めOutrage Coda (2017)
そして"dolls"に至るあらゆる
北野武監督の軌跡を追いかけて
全作品を"観"直した。
しかし1本だけ、
本作品である
"HANA-BI"だけを除いた。
あの日、
1998年の渋谷の映画館での
衝撃的な体験から
24年目の2022年7月、
通算一年間に2度3回と
観続けてきたのだから、
どうやら50回は超えるであろう・・
"HANA-BI"を
北野監督作品最後の
締めくくりとして、
視聴を開始した。
あきれる程に
見尽くした筈の
映画だった。
この作品は
いつも酔いつつ、
醒めつつも
少しだけ
酔っている状態が
丁度よかった。
でも、
決して"深酒"で
観てはならない。
意味など求めなくとも、
感じることが総てである、
そんな映画作品のひとつである。
その心の振動(感動)の
動きは、少し酒の力
を借りていた時のほうが
鋭敏になることで、
深みが増した。
この作品は異端であり、
映画という枠を超えた
崇高なひとつの芸術=美の
"結晶"といっても
過言ではなかった。
主役は、
"絵画"と
"音楽"にあった。
そもそも"武"監督は
視聴者という"観客"に
"意味を押しつける"ことを
意図的には仕向けなかった。
HANA-BIに関して述べれば、
24年間ものあいだ、
およそ"外野"の
映画評論も
かなり読み尽くしてきた
ように思う。
いつものように冒頭に
久石譲の"Ever Love"が
フェイドインし始めると・・
わたしは、
初めてこの映画を
観たあの場所(映画館)に
誘(いざ)なわれ、
心が無心となって
溶解していった。
それなりの音響システムで再生するや否や、
1ヶ月以上は寝ても醒めても絶対音感で
鳴り止まない珠玉のサントラである。
画面に浮かんだ
"点描画"が現れ、
西洋の"天使"と観てとれる
存在が重力を超越し、
滝の中間あたの
空中に浮遊していた。
贅肉を削ぎ落とした
木彫りの"仏像"のように、
作品の"流暢"は
絶えずストイックで
進行してゆく。
一貫とした
"キタノブルー"の映像に
忽然とその姿を露わにする
原色の"絵画"群。
そして
その画を包み込み
エスコートする
"久石"の音楽が
これでもかという程に何かを
絶えず揺さ振り動かそうとしてきた。
映画に溢れる
絵画の原色の様々な
色彩はいつ観ても
"圧倒的な生の肯定"
に他ならなかった。
いつものように
西の盟友、
堀部が銃弾に倒れ、
半身不随になり、
物語は一気に
加速度を増す。
一度は自らの死を選んだ
堀は絶望と喪失の淵から
絵画をたくさん
描き出した。
その行為を
陰で後押ししたのは
主人公"西”であった。
まるで二人は血の
通じ合った双子の
兄弟のようだ。
はじめは
昆虫や動物の顔に
花(タイトルである
HANA-BIのHANA)
だけのみがあしらわれたものが
多数描かれた。
そしてついには、
和服を着た女性に
"ゆり"の顔を
描き切るまでに
表現が到達してゆく。
(この絵画は監督"北野武"自らの
重大事故の闘病からの
リカバリー=再生が
大きく影響しているとされる)
堀部はついに、
"人間"の姿(背中)を
描きはじめる。
そしてひとの笑顔さえも
描き出してゆく。
家族と観た星空。
打ち上げ花火。
楽しかった出来事。
それは作中では"説明"こそされて
はいない妻と子の3人の家族との、
"西"にもかつてあった遠い記憶では
なかったか。
そうした渦中で、
堀部(事実は監督の絵画)の描いた
たったひとつに他とは極めて
異質な絵が描かれることとなる。
西夫妻は丁度旅の途中で、
北陸地方の宿に宿泊し、
銀行"強盗"の成功を知った、
街金貸しのヤクザが
西を執拗に追いかけてくる状態に
差し掛かった時であった。
雪深い山奥にヤクザ達は
西が来るのを待った。
そして雪解けの水流の音とともに、
白色の絵がクローズアップされる。
英語圏での
HANA-BI(fireworks)では
"snow"
"light"
"suicide"
と英訳された、
他の堀の描いた絵画とは
明らかに異質な絵が
クローズアップされた。
この文章で説明するより
実際のシーンを観て頂ければ
と思い、編集動画をアップした。
ご視聴して頂けると幸いである。
私はいつものように、
何も考えないで、
このシーンを視ていた。
久石の音楽は一切
"泣いて"いなかった。
雪を覆われた丘の向こうに
木々が聳えている。その
ムコウは深い闇だった。
私は何故か初めて、
その"木々の本数"を数え始めていた。
24年間もの間、
一度もそんなことを
した憶えはなかった。
固定ではなく手動(ハンドリング)に
よる撮影だった。
絵の全貌が現れ視た瞬間!!
持っていた酒のグラスを
落としそうになった。
"そんな!!・・
まさか・・!?"
"そんな筈は!!・・”。
24年間一度も
気がつかなかった
"事実"を悟っていた!!
その絵画の"真実"を
否定するかのように、
私は驚きを
抑えながら
映画を最後まで
見終えた。
その後、
すぐに書斎に飛び込んだ。
ある書籍を探した。
しかしとうとう
その日すぐには
見つからなかった。
私はPCに電源を入れ、
猛烈な勢いで検索を始めた。
""自分には足りないもの、を絵にしたんでしょう。
あのシーンたけしの中でも非常に保守思想的なシーンですね・・"”
あるネット上での有識者の方の
"雪・光・自死"の
雪の闇夜の絵のコメントを私は急に思い出していた。
そしてWEB上での
記事は多数あった!
首謀者(首魁)
- 野中四郎(陸軍歩兵大尉・歩兵第3連隊第7中隊長)
- 香田清貞(陸軍歩兵大尉・歩兵第1旅団副官)
- 安藤輝三(陸軍歩兵大尉・歩兵第3連隊第6中隊長)
- 河野壽(陸軍航空兵大尉・所沢陸軍飛行学校操縦学生)
- 栗原安秀(陸軍歩兵中尉・歩兵第1連隊附)
- 村中孝次(元陸軍歩兵大尉)
- 磯部浅一(元陸軍一等主計)
- 北一輝(思想家)
- 西田税(思想家、元陸軍騎兵少尉)
"英霊"・・9名
私の予想は・・"的中"した。
"武"さんという人物は、
恐ろしいほどに頭のきれる人物である。
私にとっての北野武さんは、
"吉本隆明"の頭脳と"三島由紀夫"の
実行力を備えた人物だと常々思う程だ。
"雪、光、自決"・・9本の大木(人柱)。
24年目にして丘の上のそびえる
木々は24年目にして
私は初めて"軍人"に見えたのだった。
この絵画作品は紛れもなく
"226"の"暗喩"であった。
近代化の完全に進んだ
"フランス"の
ポスターにこの絵画が
全面低的に起用された
こともまた"武"さんの
本気さが窺える。
映画作品において海外での評価は
外すことは出来ない。まだまだ
世界の国々では反日や抗日感情の
強い国もある。
誤解があってはならない。
それこそ作品に登場する
絵画にいちいち意味を
添えてもおかしなこととなる。
24年目にして、
50回目の視聴において、
私が初めて到達した
ひとつの"確信"だった。
先に述べたように、
これらのシーンにおいては
有識者達の方から極めて保守思想的な
シーンであるとは指摘を受けてきた。
しかし、この絵画は
"226事件"をモチーフに
暗喩した抽象画であると
断定した者は
おそらくこの私のみであろう。
また、
226事件に関する
"英霊達"のことを
映画評価のついでに
記すことなど決して出来ない。
誠に不勉強な身分でありながら,
別の記事として私なりに
"226"に関する記事を
日を改め投稿出来たら
と思っています。
続く・・。
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【HANA-BIでのこの絵画での補足】
以下は私が大分前(おそらく10年以上以前)に記した
感想文です。ストレージに眠っていたもので
やや難解な面もありますが、有志の方々にとって
何かの一助になれば幸いです。
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堀部は"自殺未遂"から
生きることを選択し、
集中できる"生き甲斐"(絵を描くこと)を見いだし、
他者="後輩達"からもどうにか
立ち直ったかにみえたが、
その事実="現実にたいする幻滅"
というかたちで"生"が
常に崩壊する可能性を孕んでいた。
一般(通念的)には
過去の崩壊した観念と
現実との混沌の中で、
"肉体を優先した再生が
少しずつ自然に行われるべき"
である。
この映画でも
絵画を通じ"堀部の成長"=回復がある。
しかしそれは堀部という
生粋の刑事(西とともに闘った)
やり手の刑事としての
社会的地位や
制度のなかの
理想的な実像
=それは堀部の家族に
とってよき父であり、
かつ強き男であるという、また
常にそうでなくてはならないという
堀部本人がそんな生き方を
生き甲斐として気負ってきた
ひとつの観念が、
厳然として突然剥離し、
"半身不随"という状態
=そんな予測不能な現実が
明白となってしまったことで、
リカバリー=回復期においても、
いずれは必然的に一度は
描く必要となった、
いわば曰わく付きの
"通過儀礼"としての
絵画といってもよいかもしれない。
堀部は当然ながら
プロの画家ではない。
絵は自分の為(自分が生き抜くため)
に描き続けた。
擬人化されてしまうぐらいに
自らを描き続けてきた"抽象"的
絵画世界の影響(投影)が
日増しに"肥大化"
してゆくに従って、
絶望的な観念が再び
肉体を死に至らしめることの
可能性を示唆する、
そんな絵を描ききった(しまった)時点で
その作品を目の当たりにし、
"赤い塗料"を絵画に
向かって投げつけてしまう、
という極めて精神性の
高いシーンであると、
私には感じさせてくれた。
それは当然ながら、
九死に一生を得た、
"北野"監督自らの
"闘病"過程であったことは
誰もが皆周知のことであろう。