“恩師”との”お別れ”-“あなた”にとって-“先生”とはどんなひとですか?!

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2021年2月6日土曜日。
私にとって大事な約束がありました。

1月の末から続いた炎症性の咳がようやく
沈静化したものの、1週間ものあいだ抗生物質を日に2回は服用
していたせいか腸の症状が悪化し腹痛が激痛になってしまっていたものの、
絶対にキャンセルする訳にはいかない"予定"がありました。

"先生"と最後のお別れの挨拶をしに行く日でした。

2月から"先生"は今までの"部屋"である
事務室から退去するために
引っ越すための準備(後片付け)をしている最中でした。

この日(2月6日)に私と約束したのは昨年末のことです。

最後のお別れというとまるで死別の様に
重い感じになってしまいますが、
ひとまわりは年上の"先生"は
至って健康体ですし、
きっと今後も私が会いたいと思えば必ず
お会いして頂ける筈です。

ただ、いままでの様にはお会いできないことは確実で、
年に数回はお会いできていたことが数年に一度、もしくは・・?!
となる可能性がとても高くなったために私にとっては一度
【.】="ピリオド"だという思いが強まりました。

後悔先に立たず(もはや完全に終わったことを
いくら後で悔やんでも一切取り返しがつかないということであり、
人生において十分注意しなさいという先人の教え)という言葉通り、
私は人生において何度か決定的な失敗を繰り返してきています。

またそうした経験を肝に命じて必死で予定をこなすことで、
私は何度もひととの縁が絶縁することなく、
連綿に果てしなく救済された、という人との繋がりも
少なからずあります。

だから、肝心な時である
2月6日はコロナ感染以外では絶対に"這って"でも私にとっては
約束の日に"先生"と会う必要がありました。

事務所に入ると、
"先生"はいつもの日より増して書類の山でした。

"書類の山"という表現をしていますが、
文字通り、書類の"山"!です。数千・・ではありません。

下手をすると数万枚の書類の山と"先生"は引っ越しの準備で
"格闘"なさっておられるご様子で大変そうでした。

私が入室し目が合っても、暫くは
私との予定などすっかり忘れているようなご様子でした。

私が来訪した理由を話すと"先生"は思い出してくださって、
笑顔で椅子から立ち上がってくださいました。

私はその日、
"言葉に詰まること"を予想していました。

だから、先日体調の悪いときに、
手紙を書いてみたものの、
思うように筆が進みません。

結局、タイピングで"先生"へのお手紙を
書き、印刷するとA4サイズで4枚になってしまいました。

一部、
画像はモザイク処理をいたしております。
ご了承ください。

出来た自分の"書いた”手紙を読めば、
"先生"への感謝の想いは言葉にならずに、
自分のお願いばかりに終始しているように感じられました。

そもそも、
"先生"にとって私は何だったのかな?と思いました。

私にとっての"先生"とは
"恩師"といっても差し支えありません。

私にとって"先生"とは、
私が"先生"と呼ぶ相手は、
私という存在(人間像)を遙かに超えています。

社会的影響力も"然り"です。

私が尊敬していることは当然で、
そもそも、私が尊敬するひとというのは、
別記事でも記述している通り、
至ってシンプルな人たちばかりです。

常に自己ベストをベターと見なし、
さらに前進し続ける、
そんな姿勢と背中であり、
ご本人の生き様です。

言葉にしてしまうと、
とても"浅い”表現になってしまうのが心苦しい。

その日、"先生"に借りていた本の代金のお支払いと、
私にとって大事な書類が4頁のお別れのお手紙のほかに
同封していました。

その書類とは、
その書類は、つまり、
私の記述した自分が行っている"講演会の資料"でした。

"先生"は私が講演を行っていることを
いつも高く評価してくださっていました。

今日のお別れに際して、
"先生"は私に最後の
"はなむけの言葉”として私の公演で口頭で話してきた"その総て"
の内容を複写=コピーでいいから渡して貰えないか?
とおっしゃっていたのです。

去年の最後にお会いするまでは躊躇していました。

しかし、去年末に今日という2月6日を約束した時、
"資料"をお渡しすることを決心しました。

辛いことや悲しいこと、
性癖や育成歴までも深く記述されている
私の講演資料の内容は便宜的に"口語"で記述しており、
未だかつて誰にもひとの目に触れたことのない
いわば個人情報の塊のような文章です。

他人がもしもどこかで
こんな内容の文章をただ読んでしまったら、
私は変人扱いされるどころか、
吐き気を催すような狂人にみえるでしょう。

資料は昨年の10月末に行った
ものに体裁を整え印字(印刷)しました。
A4サイズ白紙で30頁という膨大な量となりました。

実際行う講演ではその資料をもとに時間推移で進め、
割愛し、2時間弱で終了するように努めていました。

"先生"へ渡す資料はすべて講演で行うとなれば3時間半から
4時間という長時間に達する文字量となります。

しかし"先生"はあっという間に
全文を余すことなく読まれることでしょう。

"先生"はもの凄い"速読"の方です。

いつも拾い読みしているとしか思えないのに、
深く文章内容をあっという間に把握してしまう。

文章理解の天才です。
ひとを瞬時に読む力もずば抜けています。

そもそも私が尊敬する人たちは皆、
"強"がつくほどの読書家達です。

この日の"先生"以外の方でも
皆さんがもの凄い読書家でまた、
手記で言葉をメモ書きする
ことを面倒と思わない人達ばかりです。

著名人も考えてみると皆、然りでした。

李小龍"先生"、
音楽アーティストでは
矢沢さん(矢沢永吉)も何十年と慕っている方で、
"先生"と呼んでもさしつかえのない存在です。

例えば、革命家として記事にも掲載したことの
あるチェ・ゲバラにおいても大変な読書家であり、
手紙を書く方でした。

それにしても、
ひとに読まれることを全く無視した、
自分の内面をさらけ出し情け容赦なく
自己を抉り倒しててしまっているような文章である
自分だけが読むためだけの講演の内容文は、
余程信用のできる方でない限り今後、今回限りで
お見せすることはないでしょう。

後にも先にも、
一度もなかったことでした。

いや・・
"先生"以外にもうひとりだけ、
"本文"を知っている方がいました。

勝手ながら"本文"をどうしても
読んで貰いたくて
いっぽうてきに私から"送信"したのです。

後悔先に立たず
・・とはまさにこういうことです。
それほど大事なひとというのは、
将来出会うこともないでしょう。

"先生"いつまでもご自愛専一でいてください。

さようなら。

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