“あなた”にとって”特別な日”とはいつですか?-日付という名の”記号”-愛聴し続けた森友嵐士(T-BOLAN)-“BOY”の楽曲の真実-“生誕日”=”誕生日”という名の記号!

毎日このサイトに訪れてくださっている
"あなた"へ本文の総てを捧げます。
この記事は日本語のみで掲載させて頂きます。

巻末で詳細は後述しますが,この記事は
ある楽曲に完全に"支配"されている内容です。
私が個人的にとても大事にしている楽曲です↓

このWEBサイトの内容はときに,
腹の立つ様な記事もあるかもしれませんが,
"あなた"は私の"記事"を常に容認してくださっている。

心からとても感謝しています。
私は・・あなたの事は分からないです。
でも・・それで良いと思っています。

文章はある特定の人物の人格というものが
露呈してしまいます。

長文になればなる程,相手の人格が
表出されます。一方,
ショートメールであったりツイッターの様な
呟きのような短文であればその人格は見破られ難い。

それは例えば,
どんなに男女がお互い憎みあっている位に
怒っていて,いがみあっていたとしても,
文章というものは本人さえ知らない相手への気遣いや
愛情や本心というものが露呈してしまうのです。

口語と文章はどの言語でも異質でその役割は異なります。
口語は人間にとって一番楽な表現手段です。
歌を唄うより遙かに楽です。
身体の弱った方でも言葉での伝達は最終手段として用いられます。

文章というものは手書きの手紙はもちろん,
デジタル入力のこうした0と1の2バイトの文字
の羅列であってもいつまでも"残存"します。

誤字・脱字・言い回しが適切でない場合,
誤植というものはプロのライターでさえ時に生じます。

現在のウェブマスターのホームページやブログでは
そうした細かい事ばかり気になるひとにとっては
なかなか"更新"し続ける事は厳しい"作業"ともいえます。

だから"送信者"は恥を承知で自分を棚に上げてあえて表現します。
誹謗や中傷を覚悟した上で表現というものは存在するからです。

私は自分自身の過去を振り返り,確かにできなかったことが
あまりにもたくさんあって"悔しい"と思う事の多い人間です。

だから多くのマイナスの経験が多すぎて,
他のサイトの記事とはかなり違った考え方や実践方法は
マイノリティ=少数派に属するであろうと思っています。

だからこのサイトは
特別な"人生感覚"のWebマスターの
個人的なサイトとして楽しんで頂けたら嬉しいです。

そんなマイナスの経験から得たTipsやナレッジやエピデンスは
特に若い世代の方が"有効活用"して頂けるならば発信者である
私にとってそれ程嬉しい事はありません。

このサイトを簡単に換言すれば
2020年現在の日本人の"ステレオタイプ"で誰もが
言えそうな"つぶやき"や"常識人"の発言では決してありません。

まず本音の言葉であり,
決して嘘が一切ない事。

このサイトの主旨,
設立からの一貫した
"ポリシー"はこれだけに尽きます。

扱う商品でも駄目なものは本当に駄目だったとお伝えしたい。

良い商品でも駄目な部分を述べたい。
一方,駄目なものでも良い箇所を
出来るだけ探し出してお伝えしたい。

その理由は誤解のない様に出来る限り,
その詳細を記述しお伝えしたい。

特殊な作業工程などでも何度も失敗した部分を特にお伝えしたい。

記事を投稿する上での現在の環境はおおむねweb上での
束縛や他者からの攻撃は少ないのでおおむね満足しています。

食料品や料理,
食材だけでも吟味し,
不味いものは実は
不味かったと正直にお伝えしたい。

あくまでも個人的な判断と感じ方なので誤った解釈はあるでしょう。
そんな私の"もがいている投稿"が,いつの日にか
"あなた"のジャッジにおいて何かの一助になれば光栄です。

私は現在,強い組織権力の崇拝者ではなく,
無神論者でもあり,どの宗派にも属さぬ人間です。

組織団体の圧力を全く受けてはいないひとりの日本人男性です。

またどのかのサイトの様に販売促進の厳しいノルマに束縛されて
WEB上でも顧客獲得に奔走している営業マンでもありません。

また不毛で根拠のまるでないマルチ商法に幻想や空想と妄想を抱いて,
カルト的な実態のまるで無い商売や宗教を勧誘する者でもありません。

本来全ての課題や問題点の厳しい評価分析とは,
数多くの"標本"を有して結果を算出するものであって,
例えば食料品では不味い,美味いだけでも
数多くの類似品と比較して食べ比べて,不特定多数のモニターから
相対的に結果を出すのが妥当です。その答えに"絶対性"などありません。
従って,そうしたジャッジメントは元来たった一人の個人が遂行出来るものでは決してありません。

ウェブ上で個人的意見や物事の評価は大いに活発に表現された方が良いと私は個人的には思っています。
しかしそれはあくまで個人的な"感想文"にしか過ぎず,
真・偽の区別は難しいでしょう。

私は過去,
裁判員制度にて法廷で裁判員として暫く身を置いていたので,
貴重な経験は深く今でも刻んでいます。

死刑や無期懲役など人間を裁き処罰する日本の刑事事件の裁判所の裁判は潔白です。

WEB上の情報は"裁判所"の法廷では一切として通用しません。

私は"多数決の原理"は不当であると幼少時代から感じていました。
大多数の人間の考え方が正しいとは現在も思えません。

大多数の意見には常に懐疑的になる必要があります。
何故かというと"何か"に依って情報の伝達をコントロールされている可能性が時として強いからです。

時折,シリアスな問題を真剣に調査=検索すれば,
声や言葉にならないような小さい叫び=悲鳴が
ウェブには数多く散見されます。

これがウェブ・クラウドの希少さと貴重さの
真骨頂であると断言出来ます。

私の意見もかなり少数派の意見となるケースが多発するかと思います。
どんなに少数であろうと常に真実は何か?
私はその本当の真実にしか興味がありません。

書籍の書評に関してはとくに非常に激しくなります。
私の書評は実際,かなり目立ち"異端視"されている筈です。
誰もが想像出来る予定通りの評価など,何の意味があるのでしょう。
吐き気の覚える様な"ステレオ"な意見など,私には一切無用です。

このサイトは私の人生の"全て"ではありませんが,
今後も出来る限り,時間の赦す限り"私"が感じた事を詳細に述べてゆきたい。

不本意ながら,
私の人生は決して誰かの
"ロールモデル"になれるような華々しい人生ではありませんでした。

遠回りしすぎたあの時,
あの瞬間あれをやっておけば良かったという後悔が多々あります。
異性との恋愛は・・特にそうでした。

ただ"重度の障害の起きた時期"を越えて
"この人生は不幸である"とは今この記事を
書いている"この瞬間"も今の私は全く感じてはいません。

この記事で述べる日付という記号(英語: Sign)とは、
情報の伝達や思考・感情・芸術などの人間の
精神行為の働きを援助する全ての媒体のことを指します。

狭義では文字やマークや絵などの
"意味"が付加された図形などを指し示し、広義には全ての表現、
ファッションやメイクや様々な行為(その結果)を内包するとされています。

1年間という"記号”の中では西暦では365日間。
閏年があってもたった1日の違いしかありません。

"あなた"にとって最も印象的で忘れない
"その日"や"あの日"は一体,何月何日なのでしょうか?!

毎年訪れるとっておきの大事な日は"あなた"にとってそれは"いつ"ですか!?

世界中ではいろいろな"祝い事"と"祝日"がたくさんあります。
日本という国に関して述べるならば,
何事も商売に結びつけようとする嫌いがありますよね。

日本独特な"正月"もあれば,
"クリスマス・イブ"もある。
ホテルの料金や料理の値段も信じられない程にとても高い金額になります。

正月やクリスマスを知らない日本人はいないけれど,
もっとあなたにとってもかけがえのない"日"があると思います。

それは・・
あなたのお生まれになった
"誕生日"ではないですか?

その日は本当にかけがえのない日です。

どんな華やかな祝日よりも勝る,崇高な日。神聖な日。

そして私にとっても自分の生まれた7/19という"日付"の記号。

日本人だけでなく世界中の人類の誰もが,
自分自身の"生誕日"を忘れる事は生涯ない事でしょう。

認知症がかなり進行した老人でも,
ご自身の実年齢は分からなくても,
誕生日は最後まで忘れないのです。

しかし,ほんとうの出生日の分からない方も世界中にはたくさんいる筈です。

そうした環境下でも,
いつ自分がこの世に生まれ墜ちたのか,
いつの日に生まれたのか,関心のない人間はいないでしょう。

私は7月19日に日本の鎌倉市という場所で生まれ墜ちました。
正確に言うと鎌倉の"長谷"という地区です。

クーラー設備もない扇風機しかない時代の非常に暑い夏の年だったとの事です。
遠い記憶の母子手帳で見た私の生まれた時間は午前4時38分とありました。

人間は母から生まれ,いつか死にます。

どんなにウェブクラウドが進化しても私達は
母親から生まれ墜ちた生物でしかない。
それは何百年前と全く変わらないのです。

だから"生きている"
"あなたと私"は当然月日を重ね,
歳を取れば細胞はどんどん老けてゆく。
しかし,心=ハートが老けてゆく訳では決してありません。

人間はその者の人格は死ぬまで研ぎ澄まされ,
80歳を越えても尚も成長してゆくと言われています。

私にとって過去の"地獄の四季"を超越出来たのは,
決して私の努力=自力ではありませんでした。

私を愛してくれていた人達(私を見限りったり,
決して私を見捨てることのなかった)ひとのおかげでした。

だから7/19日は私にとって特殊で特別な"日"です。

楽しくて辛い日でもあります。
始まりと終わりの日でもある。
嬉しいけれど哀しくも感じる。

親友達=故人との出会いと彼等の
"尊厳"を噛み締める日でもある。

7/19日に向かって私は常に目標を掲げて生きてきた。

短期間で結実出来る課題もあれば,数年単位で結実出来るかどうかという課題もあります。
自分自身の問題点が明らかに誤魔化すことが出来ずに"浮上"する日でもある。

今年も,多くの方からプレゼントや謝辞を頂きました。

こんな人間でも,
私の生まれた日付を覚えてくださって人がいる。

正確に記憶しておられなくても,
7月という梅雨から夏に向かう月が,
私にとって大事な月であるという事を
覚えて下さっている方がいる。

未だに私を勇気付けてくれ,
奮い起こしてくれるひとがいる。

"罪と罰"を償うように人生を送ってきた人間だというのに,
"私"という人間に興味を持って接してくれているひとがいる。

自分はなんて幸せな人間なんだと感じる。

"その人"の"生まれた日"と
"その人"の"死んだ命日"ほど尊いものは,
この世には存在しない。

何故か。人種も時代も世界を超えて
人間にとって不屈の絶対性がその日付(記号)には或るからです。

ご周知の通り私は生粋の日本人男性です。
日本人には独特の"死生観"というものが
21世紀の現代でも日本には"凛然"と存在します。

現代の日本人の20代の若い女性も私の感じている
"死生観"をきちんと継承してくださっている。

話せばすぐに分かるのです。
死んだ祖父や祖母に対する強い"リスペクトの精神"が彼女達には或る。

現在の日本人の20代は
私なんかよりもずっともっと
感覚的に鋭敏に海外や世界を見据えている。

私なんかより鋭利さと俊敏さを感じる瞬間がある。日本人女性としての
"重さ"をしっかり認識している感覚を受ける。

現実的に自分に出来る事は何かを常に考えているひとも多い。
自分が彼女達に接する機会があると
つい"頭が下がる思い"になる事があります。

私はこのサイト以外にSNSも行っているけれど,
アミーゴ=友人が3000人以上になってしまえば,
毎日の友人の誕生日はいつも毎日数十人になってしまいます。

さすがにお祝いのメッセ-ジを全員に送る事は時間の制約上不可能です。

人間はいずれ誰もが必ず歳をとり・・
特に男性の場合は80歳を越えたあたりから,
妙に"我が儘"に振る舞う男性が日本人には多い。

人格者であっても子供じみた要素もたくさんあって,
ある意味,そんなひとは凄く魅力的だけれど,
ご本人の誕生日を祝うとなると,
素直に喜ばずにとても嫌がる日本人男性は少なくはないです。

80歳を越えた女性の場合は
凄くチャーミングで素直に喜んで下さる人は多い。

そこに男女の違いを感じたりもします。

以上,とてもプライベートな記事内容になってしまいました。

この文章の最後に,
あなたへ・・・・
とっておきのバラードをリンクしたい。

動画編集は仕事=Moneyの"匂い"を一切感じない。

丁寧に作り込まれ,
繊細な編集力はとても"女性的"に思える。そして大胆で凄みが或る。

この楽曲を強く深く受容="感受"した上で
作業しておりおり卓越した描写である。

さらにこの曲の歌詞=リリックの重要性を強く理解しており,
降り注ぐ"タイポグラフィ"="活字"で素晴らしい映像となっています。

強い発光と光の走査線や星座・・その他
レイヤー部においては複雑で深淵な深い河の流れを描き,凄みのある2番からの歌メロからの映像は"小さく羽ばたく鳥"を含めた繊細で大胆な"複層表現"が短時間で炸裂する見事な作品です。レイヤー部の"河の流れ"は楽曲と同期しながらも生命の躍動を彷彿させ,人が他人の胸を撫でた時の所作を彷彿させるようなアバウトな"アナログ的手法編集をあえて行っている。河川の動きと表面の映像と音楽と,その"グルーブ"=ズレの凄みを是非感じて欲しい。
レベルは非常に高度で或る。この映像は楽曲の本質を完璧に貫きながらも控え目ではあるが,訴求度の高い映像クリエーターの主張を感じる。
楽曲優位的な側面からは損得勘定を越えた突出した画像編集と断定出来る。

映像における表現力は繊細で力強く素晴らしい動画ですので
是非ご覧になって頂けると嬉しいです!

この曲は森友嵐士氏(T-BOLAN)の"BOY"というバラードになる。
日本の1990年代の音楽業界を代表する名曲を数多く輩出し,
氏が作曲し歌ったバラードは数多いが,
この"BOY"の完成度だけは,
私にとってあまりに崇高で個人的には森友嵐士氏のレパートリー
の中でも異質で,楽曲の評価の対象外としています。

私は,2020年現在迄に
間違いなく数千回は繰り返しリフレインしこの楽曲を愛している。

これほど迄に若き父親の深い愛とコーラス部の母親の肉声,間奏部
の語り,メロディ,歌詞,全てにおいての
その"表現力"は日本の音楽史上類例がない。

この楽曲の"父親と母親"の
哀しくも深き愛(バラード)は,個人的判断から観ても
世界中の数十万曲の音楽から受動した事が私は,一度も無い。

この曲は単なるハッピーソングではない。
つまり本物の深い愛が描写されています。

表面上では息子に対する深い愛と
希望や願いを歌ってはいるが"聴く者"が聞けば,
将来の親子の完全な断絶と別離を既に内包している。
楽曲全体に非常に強い"憂い"を帯びている。

愛する我が子へのバラードで,
この楽曲以上に厳しくも切実で哀愁を帯び,
狂おしくも深い歌があっただろうか?
前述した様に私は世界の歌曲の中で同レベルの表現の楽曲を知らない。

"森友嵐士"は言葉を噛み締めながらストレートにクライマックスまで歌い上げてゆく。
その"強さ"は若き"父親像"として聴く者に強い印象を残す"不屈の傑作"となっている。

歌詞は時間を追うごとに憂いを帯び"真骨頂の言葉"を発してゆく。
それも・・誰もが理解出来る平易な日本語で・・。
2番目の歌詞から極限の思いが歌われる。
ピークを迎える間際で女性の肉声の間奏部が挿入される。

この"父と母"は自分達が将来この世を去った後まで
彼の”人生の真の幸せ"を願っている。
それは・・無責任な愛では"決して"ない。

つまりこの曲に登場する"夫婦"は"只者"ではない。

この曲が世に出たのは確か1992年だった。
楽曲自体には森友嵐士氏と最愛の元妻(34歳に他界)マリアとの関連性は希薄な筈であるかもしれない。しかしどうしても私は"マリア"という"女性像"に思いが巡ってしまう。
あれから何年の月日が流れたか。
7/19日前後に必ず聴きたくなる,そんな日本の優れた
楽曲のひとつ・・。
もしや・・まさか?!あり得ない!!
この女性のコーラスや声は"マリア"さん本人なのだろうか!?・・
あってもおかしくは,なかった。ただ様々な資料では・・
いや時期的にまずあり得ない・・そんな筈はないだろう・と
楽曲を聴く度そんな思いを抱きながら,
それから・・数十年が経過した。

この楽曲の,あまりにも"嵐士"の男性ボーカルを完璧に
フォローする"脇役"を務める見事な美しい女性コーラスは
"マリア"(嵐士氏が生前深く愛した)の美しい女性のイメージ"そのもの"であったから・・。

しかし,つい先日ある日突然,気が付いたのです!
もしや,この女性の声は当時の"大黒摩季"ではないのか?!

自分にとっては驚くような単純明快で閃いた"真実"だった。
2020年7月現在,間奏部でのネイティブな英語発音,そしてコーラス部の肉声はまず間違いなく・・"大黒摩季"だった!
こんな単純な事?が何故何十年と今まで
分からなかったのだろう・・。彼女だからこそ,web上幾ら探しても答えは見つからなかったし,クレジットに詳細がなかった!役者ならば,殆ど"友情出演"に近い!つまり"損得出演"で"入って"いない。ようやく数十年気になっていた箇所が氷塊しつつある。この完璧な"母親"の声は大黒摩季!の声と個人的には断定した。もし間違っていたらなら・・
識者の方是非コメント下さると幸いです。

"BOY"という傑出した楽曲についての話や森友嵐士氏や
マリアさんの話は・・これ以上
ここ(この記事投稿)で話すのは慎みたい。

いずれ別記事でしっかりした
投稿が出来たらと思っています。

いつも最後まで読んで下さって
ありがとう!!♡

いつまでも・・今後ともどうか・・よろしく。

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