【断捨離】カテゴリ開始!!-私が手放した品々!!-連番00号!!

<断捨離>ということば。

今なら若い世代の方でも
その意味をなんとなく理解
している有名なキーワードです。

このWEBサイトを
開始する頃に、
私は"断捨離"という
カテゴリを
考えて定期的に
記事を掲載しようと
考えていましたが、
"混沌"としたサイト
になってしまうのではないかという
危惧を感じ
ずっと記すことをしませんでした。

最近、
気が変わりました。

私は断捨離の真骨頂である
本質に気がつき初めています。

結論から申し上げますが、
断捨離は手にしているモノ
だけに留まらず、
無形を含めた
あらゆる人間関係
にも謂えるといういうことです。

つまり、
大きい愛や大事なものを手に入れたければ、
大きい愛や大事にしてきた存在を失う
その覚悟が必要である、
ということです。

職場を離職する。
または従来の様々な
人間関係や社会性から離れる。
そうした
解消(離縁や離婚)は
断捨離の哲学と
深く結びついているということです。

つまり断捨離とは
人生の処世術のひとつです。

これから
あくまで私なりの、
断捨離を掲載してゆきます!

私の掲載する断捨離は
"モノ"です。

断捨離とは本来は
ヨガが生んだ哲学です。

単に不要な物を処分するだけでなくて、
物にとらわれずに生きていこうとする
考え方(思想)を指します。

断捨離は片付け論の一つであり、
ヨガの「断行」「捨行」「離行」という
3つの考え方に基づいて日本人の方が提唱されました。
「不要な物を断つ、捨てる、物から離れる(執着しない)」という
生き方を目指すことが、
断捨離の本当のあり方だと
謂われています。

具体的には断捨離の思想は
沖正弘(おきまさひろ)が
1976年の著書『ヨガの考え方と修業法 上巻』において
「断捨離」という熟語が初めて
使用されたのが言葉の起源とされます。

後に作家である
"やましたひでこ"が
断捨離に関する書籍を発行し
ベストセラーとなり
"断捨離"が広く認識されることとなった。

「断捨離」のそれぞれの文字に内包する
ヨガの行法(ぎょうほう)である
断行(だんぎょう)
捨行(しゃぎょう)
離行(りぎょう)は

即ち、

断: 新たに手に入りそうな不要なものを断る
捨:家にずっとある不要な物を捨てる
離:物への執着から離れる

という意味があります。

すなわち「断捨離」とは、
不要な物を断ち捨て、
物への執着から離れることにより、
私物にたいする固定観念に凝り固まってしまった
心を開放し、
身軽で快適な生活
すなわち快適な実人生を
手に入れようとする
哲学思想といえそうです。

ヨーガの行法が元になっているために、
単なる片付け(掃除)とは
異なるものとされています。

断捨離に近い発想を持つ人を指す言葉として
"ミニマリスト"という表現は有名です。

ミニマリストは、
既に持っている物を捨てたり、
物から離れたりするのではなく、
"そもそも自分が不要だと感じている物は持たない"
という価値観がその根底となっています。

しかしながら、本当に
大事にしている物まで捨ててしまったり、
充実した生活ができなくなるほどに
物を棄てたりするわけではありません。

断捨離とミニマリストとの共通点は、
"必要十分な物だけを残した快適な暮らし"
を追求するために行う意識、
それはつまり"モノの執着しない生き方"
であると私は思います。

しかしながら、
断捨離を意識しすぎることによって、
良くないことも起こり得ます。

誰もが理解し易い単純な例では
同居の家族の所有物を勝手に
捨てたり売却してしまうことで
深刻なトラブルになることもあり、
妻が夫(逆も)の本人にとって
極めて貴重なコレクションを同意なく捨てる、
または転売しまい相手にたいする信頼を完全に
失ってしまいそれが引き金となって
離婚にまで発展することはよくあることです。

親しき仲にも礼儀ありき、
でたとえ保護者であっても
我が子が大切にしていた
思い出の品々を親が勝手に捨てるなどで、
親子関係が将来完全に
壊れてしまうことだってあるのです。

実は、
そうした
安易に
流行語に感じられる言葉にも、
実に深い重み(意味)があって、
本サイトで私は
断捨離の記事を控えてきた
ともいえます。

私は定期的に
自分にとっての
断捨離を行います。

とはいっても、
これは断捨離といってよいものなのか、
私の行いは不要なものを処分(転売)してゆくと
いう手段を用いた行為です。

動機はいささか不純で、
自分にとってレベルの低く
なったもの=有形物、
もしくは現在の自分にとって
オーバースペックと感じるようになったりする場合、
私以外の誰かにとってその存在価値が見いだされる
可能性のあるものを棄てる=手放すという行いです。

私にとっての断捨離はずばり、
オークション出品や入札を示します。

つまりはさきに述べたような、
哲学的な高尚な断捨離業とは
異なることでしょう。

さらに動機不純なのは、
私は所有するものを手放す変わりに
次に所有するものが既に
決まっていることが多いです。

それは
同じ類いの別商品を
買う目的で所有しているものを
手放す場合、
または
全く別の
ものを所有する計画のために
ものを売ることもあります。

そうしてゆくうちに、
自分の身の丈に見合ったものを
集めてゆくことが少しずつですが、
出来るようになります。

例えば
フィギアがあったとして、
私がその人形を自分なりに
大事にしてきたとしても、
もっともっと愛して大事にして
くれる方がいるのではないかと
感じた場合など、
相場に見合った
金額で手放す等の
ケースもあります。

また凄く大事にしてきたけれど、
手放すことも、
自分はあります。
そうしたジャッジに狂いが
生じることも、あります。
(私にとって
たとえば書籍は特に慎重に扱わなければ
なりません)

おもしろいもので
断捨離(私の場合は所有していた
有形のもの)を色々観てみると、
断捨離を通じて、
他人の"人柄"がどんなタイプの
人物なのかさせ垣間見えてくることさえ
あるものです。

お互いが好きなタイプの色や性能、
趣味、どんなものに興味があり、
何を大事にして
何を必要としないのか・・。

大袈裟ですが、ひとの
人間性が見え隠れするのが
断捨離のユニークな側面だと
感じています。

私はそうしたお互いの
求めている感覚が似ている
方々を"有志"の方々と呼んでいます。

そんな訳で
時系列には
なりませんが、
大変お恥ずかしながら
私が手放してきた品々の
数々を記事として展示する
機会を頂戴します。

乞うご期待とは
言い難いですが、
断捨離カテゴリもまた、

どうぞ宜しくの程を。

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