『容疑者Xの献身』東野圭吾著-論争に最後のピリオドを打つ!書評

2021年6月25日。動画リンク訂正。
記事2019年原文のママの内容です。

近年の私の強いフラストレーションのひとつに,
小説の"大作"を読破出来ないという状況があります。

昔は会社の通勤で電車のような
公共機関を利用していたため,
多い時で月に3.4冊は読破出来ていました。

本を読み出すと周りの状況が全く分らなくなる性分があり,
何度も降りる駅を乗り過ごしてしまう事も屡々ありますが,
通勤時間は私にとって"知の挑発”を受容し,
楽しめるという貴重なひとときです。

それがここ数年で,長時間の車通勤となり,
読書が殆ど出来なくなってしまいました。

近年開く書籍はノンフィクションや実用書ばかりです。

プライベートな時間は自分の書いた文章の校正ばかりして,
素晴らしい日本語に触れる機会を格段に失いつつあります。

車の運転での信号待ちや,渋滞の時は
思いついた事をノートにメモ書きしています。

そのメモは"自分"の内部から吐露した言葉でしかありません。

これでは"自分を磨いている"とは云えない状況です。

"眼の健康”を既に失っているという理由も私にはあります。
健常者に比べて眼を休める時間というものが私には必要不可欠です。
この書を通じ,作品の中盤から得た経験です。
私の"利き目"である右眼はもはや"光"を失いつつあります。
"愛する女性"の表情はおろか,他人と見間違えてしまう程に私の視力は弱まってきています。
優秀な眼科医とディスカッションは常にありますが,数値上では急激な変化はないものの,
利き目である右眼のダメージは自分自身が1番感じています。

医学的に証明出来るのかも知れませんが,本書に触れ,中盤を過ぎた時,突然,
ダメージを受けている右眼から涙がぼろぼろとこぼれ始めました。
その時,本書を読んでいる最中に決して肉眼で見えている筈のない"光"が自分には見えたのです。
その光は,盲目の方が観る"真実"の"光"なのでしょうか?外界からの照射とは思えませんでした。
けれど,"気付き"を与えて下さった本書に書評とは違う側面でも感謝しています。

そんな過程を経て,
久しぶりの小説の"大作"を読破する"決意"をしました。

病院の診察の待合時間などに読めたらいいのにと,
ずっとカバンに入れて持ち歩いていた書籍のひとつです。

今回紹介する小説は
何百回もそんな事を繰り返しているだけで1頁も読めずにいた書です。
本の外装はいつの間に酷く傷んでしまいました。

連休があったので
つい部屋で立ち読みを初めた処!!!。

面白くなってしまい,ベットの中で読み始めたら,
寝転がっている場合ではなくなり,立ったまま読んだり,
ベットの脇に座りながら読み進めてゆくうちに
気がつくと明星になっていました。

丁度,この本の中盤ほどになっていました。

近いうちに"会社の健康診断"があるので
検査の合間に"大事な残り"を取り置きしておこうと一旦
読むのを止めたものの,どうしても我慢出来ずにその
日のうちに読破してしまいました。

いやぁ・・
くたくたに
疲れた!

最近の私は"精神的なスタミナ"不足の様です。

しかし圧倒されました!
何故何年も読まずにいたのだろう。
物凄く感動しました!久しぶりに小説を通じて
躰が熱くなるのを感じました。

読書というのは面白いもので,
私の場合はたくさん書に触れ,読めば読む程,
読むスピードが速くなってゆきます。

流し読みしている訳ではありません。
"速読"に近い状態になってゆくのです。

10代の学生時代,
20代は少なくとも一月に
数十冊は小説を読破していました。

最近,
日本人作家の"大作"に触れていなかったせいか,
読み終える迄にまる10時間かかりました。
今の私にとっての精一杯の"精読"でした。

大作は読破するのに時間も掛るし,
途中で投げ出す方もおいでなのは仕方のない事です。
私にもそういう書はたくさんあります。
書籍というものはそういう存在です。

私は別の記事で"楽器のレビュー"や"音楽のレビュー"を書いていますが,
どれも皆同じようなものだと想います。

ひとそれぞれ相性もあるでしょうし,途中で投げ出すか,読み切るか,
但し,小説の場合は先に述べた様にそれなりに"時間"が掛るという点,
一曲の音楽を聴いてどう感じるかというよりは遙かに受け手(読者)の
"精神的なスタミナ"=コンディションが要求されるという事です。

そんな最近の私ですから,
久しぶりに本書のような大作に触れ,
体調共にくたくたになってしまいました。

今回の書籍は多くの方に読まれている
東野圭吾氏,著作の
「"容疑者xの献身"」ですが,
WEB上でも非常に多くのレビューがある中,
私は少し違った角度で書評が出来たらと思います。

この書は,
優れた"推理小説"でありながら,
男女の"恋愛小説"です。
この小説のテーマは純文学的です。

この書で描写されている
無償の"愛"は半端でない程に巨大で深い。

読者勢を揺さぶる確固たる
"芯"を感じました。

これからは老後の?楽しみの一つとして,
氏(東野圭吾)の作品をつぶさに読破してゆく事になりそうです。

読み終えて,
なんて"凄い作家"なんだろうって思いました。

↑東野圭吾氏(mr.Keigo Higashino)

お恥ずかしながら,
別記事にて紹介した
"手紙"(累計240万部突破)の
次にこの作品を読んだ者の感想です。

映画"秘密"や
"さまよう刃"は観ています。

上記映画作品化された2作に関しても
東野圭吾氏の
肝心の原著に触れていない。
恥ずかしい限りです。

先に述べた様に表象的な面では
推理小説の体裁のある書です。
それだけでも充分な傑作といえそうです。

ここで小説の"あらすじ"を述べる事は
これから読んでみたいと思う方にとって
失礼に当たります。

また他の方の記事を読めば
ある程度どんな物語かは予測出来るでしょう。

この記事内は物語の詳細は控えます。

私がお伝えしたいのは,
主人公である容疑者"x"という男の"実像"です。

そして本書に登場する
多くの男性に愛されてもおかしくないと
感じさせてくれる女性"美しいヒロイン"の事です。

彼="x"は"美しいヒロイン"=靖子(Yasuko)とその"まな娘"=美里(Misato)を,
文字通り命を賭けて"全身全霊"で守り抜こうとします。

途方もない努力から生んだ彼の英知の全てと己の授かった
全肉体の総てをそのふたりに捧げるのです。

"完全犯罪"を企て,
構築してゆきます。

もし,あなたが女性読者で既に既読者ならば,
"x"(この男)をどう思われたでしょうか?
どう思われたかではなく,どう感じられたでしょうか?

正直言って外見的にはいかにも"醜男"です。

けれど躰が大きくて柔道部の顧問をやっている面などは
女性から観たら良い側面(イメージ)が残像となって余韻として残るかも知れません。

どうせ小説なんてフィクションにしか過ぎない・・・

ところが最後まで読破した女性読者でそんな風に
単純に処理してはいけないと直感的に感じた方は少なからず
おられるかも知れません。

実際,WEB上では何度も読み直して
いる女性読者達が見受けられます。

そんな読者の方は"x"の本質を見抜いてしまったからかも知れません。

それ程までに"x"(この男)の女性への"無償の愛"は
"献身"的で張り裂けそうに切実で深く,大きい。

そう"X"を一言で表現するならば"無償の愛"です。
つまりこの小説には"x"を通じて読者であるあなたに向かって"無償の愛"がずっと流れているのです。

断言しますが,
この男はこの国=日本に"実在"します。

いや,
私の人生で出会えた数少ない親友のなかに"存在"していました。

だから,他の誰かにもその"存在"が
"実在"すると私は信じているのです。
だから,希望を,棄てずに未熟ながらも紡いで生きているのです。

無骨で実直で巨大な惑星のように
海のように深い"その男"の愛は,
偏愛で狂ったものであったのかも知れません。
しかし,それは,それが真実だったら,あまりに哀しすぎる。
だから,"湯川"が動き出したのでしょう。

男の女への"真剣の愛"に
"狂っていない愛"なんて存在するのでしょうか?
そう"無償の愛"は時に狂っている様に見えるのです。

この作品は"その問い"をあなたへ向かって投げかけてきます。その"課題"は
古今東西昔から様々な表現によって成されてきました。

中盤からは"x"にとって,
強力な"恋仇"も登場します。

"x"とは水と油の様な存在です。その相手と
ヒロインとは"x"よりも遙かに縁が深く,つきあいも長く,
理性的で紳士的で所謂,一般的女性から観て"理想的"な男性です。

その者の"ひたむきな愛"もある意味,現代的であり,この国日本では本物の男の愛でしょう。

折角の記事ですので,
2箇所,文面の画像を添付させて下さい。
ひとつは"湯川"という男性の言葉,
もうひとつは私の本(単行本)の帯に記載されている"言葉"です。この言葉は"靖子"のものです。
この書が推理小説なのかどうか,評価に値するか否かは,一体読者にとって何になるでしょう?
私なりに"ピリオド"を打たせて下さい。この書は"愛"それも"無償の愛"を如実に描いています。
推理ものとして評価に値するしないは,私にとって完全なる愚問です。
では例えば音楽のクロスオーバーは?この書は"クロスオーバー"しています。
ジャズとロックの定義は?影響力のある存在はいつも論争が起きるものです。
小説は読者が感動(心が揺れ動くかどうか)するかしか"ものさし"など一切ありません。

その他数えきれぬ程の
印象的な場面があります。
現実的な強いリアリティがありました。

実際,私の未熟な人生においても"x"と同じ
経験・場面が少なからずありました。

何故,ふたりを守り抜く"信念"があるのかという"事実"=その理由です。

後半部は,激しく強烈な展開が待っています。

これは東野圭吾氏の小説ならではの独創性=特性なのでしょうか。

二作しかまだ知らぬ私にとっては分かり兼ねます。

"美しきヒロイン"である女性は,
"燃え上がる炎"の"本質"を見抜けなかった。

それがどれだけ熱いもので誠実であったか,
懸命に生きていた,彼女にとって強く責める事は酷と感じます。
けれども・・ずっと"自分"のことで精一杯だったのでしょうか。

"愛"と"恋"の根源的な違いを登場する人物達は
読者に伝えてきます。感じ方は自由でしょう。

"x"の極限のストイシズムと砦のような"石神"のような"無償"の
絶対愛,激しく揺れ動きだすヒロインの魂,
大きな,激しい波のようなクライマックスは
流れ星のように,
あまりに激しく,
燃え尽きる前に
まばゆく燃えるかのように,
凄いスピードで急展開し作者はこの
"作品自体"を燃え尽くそうとします。
燃え尽くさなかったのは,作者からの読者へのエールと私は受け止めています。

小説自体の体裁,つまり其の筆致は常に客観的と私は判断しています。
"x"の極限のストイシズムと"無償愛"は著者の筆致によって
極めて鋭く研ぎ澄まされ,凄味のあるものにしています。
これは好都合です。非常に好印象です。

そして小説はフェイドアウトする事なく,
急停止したかのように"書の幕を閉じ","終止符を打つ"のです。

読者に文字通り"目眩"の様な余韻を残します。

残りの頁はないのか?と私は実際手探りする程でした。
"X"や"彼女"の深い"彼等の事をもっともっと知りたい"と思う。
その余韻の果てに感じるものは我々ひとりひとりの"読者"自身となります。
この人生を歩むのは"私達"だから,です。

多数の登場人物達と愛の真実の
"鍵"を握っていた"キー・マン"は実は
"x"ではありませんでした。
"美しいヒロインの靖子でもなかった"。
東野圭吾が生んだ英雄である"湯川"でも
なく一課の刑事でも被害者でもありませんでした。

ヒロインである"X"が生涯の人生を賭けた
靖子(yasuko)のたったひとりの娘である,
美しきうら若き"美里"(misato)だったのです。

そんな自明の"真実"を熟知している筈の自分が,
激しい強い衝撃を受けたのです。

この書を傑作と呼ばずして,
他のどんな作品を傑作と呼ぶのでしょうか。

未熟ながら私の人生,数万冊の小説を読破した者の
この書の正直な"感想文"となります。

【後述】
作品の中盤から後半にかけて。
登場人物のひとりである"湯川"自身が自力で行動に移し始めた辺りです。
単行本では233頁の終わりくらいだったと記憶しています。

あるシーンがありました。"湯川"が直接"ヒロイン"に
直接逢いに行った時の事です。自転車で通勤していた"ヒロイン"の自転車を湯川が
押しながら2人で歩きながら短い間,話しをするシーンです。

突然"日本の崇高なバラード"が私の
脳裏に響き渡り去来しました。私はずっと音楽を愛していて,
若い頃素晴らしい作品に出逢うと突然"作曲"出来たり
したものですが,今回は私の敬愛する崇高な日本人のアーティストのバラードが
頭の中で響き続けました。

表現力としても極めて難易度の高いこの曲は,
その楽曲は作品を読破し終えた後もずっと私の脳裏を激しく反芻=リフレイン
し続けていました。

こんな記事を書く人間は稀かも知れませんが,
私が尊敬するアーティストの1人,
山下達郎氏の「FOREVER MINE」という曲でした。

この曲の中の人物像,秘められた歌詞の内容,揺るぎない"不動"の女性への思い,
楽曲の"崇高"さは私にとって"X"に"ふさわしい"歌曲"だと思いました。
"X"という文字にふさわしく,私の脳裏で楽曲と小説がほぼ完全に"クロス"しました。
"X"の愛は"僕"という人称がふさわしい。 それほどにストレートで純粋であったから。
山下達郎氏の弁でもこの曲を" 死の暗喩についての歌 "であると
極めて印象深い抽象的なコメントを寄せる日本の傑作のバラードです。

興味ある方は是非ご視聴頂けると幸いです。

それでは。

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