“ぼくのなかの黒い犬”との格闘-“マスク”着用!”-コロナ”渦中の”スピーカー”!!-講演を終えて!!-“9.11″が想起する?!!

【はじめに】
例えば"あなた"に将来
講演依頼があった場合や
講演会の企画を立案する場合、おそらく
初めての経験では誰もが"戸惑う"ことでしょう。
講演会と言っても
行政および自治体の啓発活動や
自他の企業の商品並びにサービスの販売促進などのプレゼンテーション,
顧客との関係強化や社内研修など多岐に及びます。

講演会の達成目標とは来場者はもちろんのこと,主催者つまり
講演に関わる全員がある程度"満足"して初めて"成功"といえます。

講演会を成功させるためには、
おそらくある一定の共通した法則性があり、
それを知ることがまず大切だと常々思っています。

私の場合においては
自分自身の人生キャリアを通じた
人生哲学や"観念"の展開を誰にでも理解出来るような
普段の生活や社会生活の説明を踏まえて行い,
ある意味"反面教師"的なアプローチで
来場者へインパクトを与えてゆきます。

かなり"自己啓発"的な側面のある講演依頼の内容です。

自立(経済的な独立)に向けての支援や就労活動に向けての
アドバイスがメインテーマとなっておりますが,
直接的には講演で触れることはあまりありませんが,
突き詰めれば,私自身が人生経験で生で感じてきた"問い"に
対する経験から出た"答え"です。

生きるとは?幸福とは?
即ち"人生"とは?と概して"荒唐無稽"と思えるようなテーマが講演の
"核"=根底に常に流れているかと思われます。

実はその講演の内容とは
その核=生命=即ち"愛"という"存在"の表面を
私の経験談という"オブラート"で"生ゆるく"
くるんでいるだけにすぎません。

講演はそんな内容ですので
やや奇特な側面はあるかとは思いますが,
"講演"の成功の鍵を握る真骨頂は他のテーマでも
揺るぎのないものと確信しています。
"相手を絶対に飽きさせてはなりません"。

私の講演活動の混沌と奮闘は,微力ながら
講演会開催に関してほんの少しでもヒントとして
お役立て下されれば本望です。

2020年9月30日・・秋。

2時間強の講演がまたようやく
無事に終わった。

いつものように
朦朧としている。

講演を終え,
"マスク"を取り払って
車で自走してなんとか今日も
無事に帰宅する事もできた!

いつものことだが
猛烈に疲れを感じる。
けれども
今回の講演の終えた際に
"サプライズ"があった。

達成感?・そんな事より
毎度の事だけれど・・
精神力というものがかなり落ちている感じがする。

もう何十回目になるのか?!

毎度の事だが
講義前には一度,
私の人生の全てを"おさらい"して,
"まな板"の上のテーブルに"乗せる"ことから開始する。

物心ついた幼少時代から現在に至るまで
自分の経験値を総て平等に一旦
良い悪い抜きに選り好みしないで冷静に客観視して
完全に自分の中で一度”ゼロ化"する。

私の講演方法の
"シラバス"=階層と分類の"計画"は独特なものかもしれない。

一般の企業での事業内容の
"プレゼン"手法とは明白に違う面があるかもしれない。
つまり数字の値や分析結果の表などは殆ど扱わない。

自分の講演内容とは
ひとの"観念"="主観"にまつわる講演。

それを人生経験で生じたあらゆる結果から
これから生きてゆくうえでの"糧"や希望を
客観的な事柄を述べ説明してゆく。

一旦自分の経験値の総てをまず
可能な限り細かく"スライス"する。
細分まで"バラバラに解体する作業をする。

そこで客観的に相手に有効(有益)と思える箇所を
スポイルし"時系列化"し並べてゆく。

苦しすぎて想い出したくもない過去の総ても文字通り
"洗いざらい"まな板=白紙の上に一旦乗せる。

この作業は始まるとある面ルーチン化され機械的な作業で
単純明快ではあるものの精神的にかなり厳しい作業となる。

作業自体は講演のキャリア=履歴がたくさんあれば
無駄と思える箇所を改めて虱潰しに見いだして
削除してゆくだけの作業である。

私は同じ焼き回しの"スピーカー"=つまり
講演者には絶対になりたくないというのがある。

同じ事の繰り返しを行えば,
間違いなく自分がまず"だれる"。

"だれれば"相手にとってきっと"身"にならない。まず"見破られる"。
初めて会う見知らぬ相手の"心"を動かす事なんか絶対できやしない。

相手にも"失礼"だし自分の"思い"とも相反する。
"金儲け"を意識しだしたら,自分の成長が止る。

その作業途中で
必ず起きるのが,
脳内で"嘔吐中枢"に"火"が付き
気分が悪くなって実際トイレで
何度も吐いたりしまったりする。

体調がおかしくなりだして朦朧としてくる。
食欲がなくなり毎晩
夢で酷くうなされるようになったりする。

身体に突然痛みや微熱が生じる。
これには全然慣れなくて,
いつもとても孤独な闘い,になる。
おとなしく眠っている筈の自分のなかの
"黒い犬"を一旦眠りから呼び覚まして再び"吠えさせる"作業となる。

しかし体調は意志の力で短期間の場合は超越出来る。

引き受けたからには
"必死"でやるしかない。
それが嫌なら最初から無理だと辞退すればいい。

自分しかいないから,自分を信じる。
一旦自己愛と相反することも
またその日を越えればほんの少しでも,自分もまた成長出来る事を信じる。
そもそも何千回と人生において"体調不良"なんか"超越"してきたではないか?。
とても大事な日にキャンセルした事ってあっただろうか?!
そうなかった。若い頃は42度高熱出したってステージで歌っていたじゃないか?

目標=講演に向かって自分を信じて
"その日"をただ全うするのみである。

一旦ゼロ化したそれら(経験値)は
時系列順に並べて"肉付け"をしてゆく。

私の持論を補佐してくれる"肉付け”は
蔵書の中の書籍に頼る事がいつも多い。

↑今回は講演を援護する"サブ・バッテーリーの書籍"はなし。
絵本の"ぼくのなかの黒い犬"="i had a black dog"原題の紹介も最後に出来た。

つまり至極
スピーカーとは,
"言葉"の産物だ。

それはハグ=抱きしめるようは表現方法はなく,
握手したりキス出来るような相手でもなく,
絵や音楽のようなすてきな表現ともまた違う。

しかしいつも思うのは
そうした講演前にあまり
賢者達=書籍の"知"の挑発に
強い興味を抱いて安易に乗ってはいけないという事。

酷く自分自身が弱っている状態の時に,
あまり"深い"ものに
触れてはならない。
至って"覗く"程度にしておかないと講演どころでは
なくなってしまう。"回復"に時間が掛かってしまう。

安直に"スポイル"してはいけない問題と課題が
ひとの観念の"世界"には歴然と存在しているから。
タイトな時間という現実を意識していないと間に合わない。

そんな時いつも感じるのは,
なにもかもに精通していたり,いたって何事も
"わかっていなくてひとはいいんだ"と。

そんなひとのほうが実はひとは"絶対"に幸せになれる。

とくに若い方が必要以上に背伸びして,
若いうちから何もかも知ろうとする
必要なんか全くといってない。

無理をすると将来性が失われかねない。
そのうち経験を通じて知る事もあるだろう。それでいい。

なにも必死に本を読んだり勉強して"真理"を追求して
果たしてそのひとは幸福になるだろうか?

答えはNo!である。

私なりの結論は
講義も講演も勉強も
実はひとの幸せとは一切無縁で
"無関係"な存在であるということ。

私の講演がその事にふと感覚的に気づいて頂く事も,
私の"講義内容"の密かな最大の"ミッション"でもある。

ただ"その意味"を
ほぼ完全に言葉で述べてしまえば,
講演そのものが"そもそも"崩壊してしまって
まるで意味のない瓦礫の屑と化してしまう。

だから直接的に"愛"をテーマに講義は出来ない。

そして"観念"だけを振りかざすような講演も何一つ
参加者にとって利も得もない。そんな講義は聞くに値しない。

辛辣な"言葉"=講演内容によって激しい言葉で打ちのめせば,
場合によってはそのひとの元気や活力さえ奪いかねない。

"観念"を述べるなら
まず必ずそのひとが"再生"出来るように
現実の生き方や生活の"配慮"もなければならない。
その配慮の出来ぬ講演者はひとの前に立つ資格などない。

"アンチテーゼ"という言葉がある。

私にとってのそうした講演依頼は
"知"とはかくそういうものだと
改めて考えさせられる機会にもふたたび出会える。

普段は実生活が忙しいと嘆きながら,
勉強不足で向上出来てはいないのだ。

だから汚物を吐きながらも
そんな"プレッシャー"=講演依頼は
私を一旦・普段の生活を越えて立ち止まらせてくれる。
だから"辞退できない"のだろうと思っている。

自分はもしかして中毒?になっているのだろうか?
そうなると人前で立っていないと落ち着かないような?
まるで"スピーカー・ジャンキー"依存症になってはいないか?

今回講演での資料の文字数は17869文字。
横書きでの行数1030。
原稿用紙(400文字)換算では45頁となった。
資料が50000万文字に膨れあがり苦労した事も過去にはあった。

2時間弱の会話での講演ではこのボリューム(文字数)は多すぎる。

せめて予備分を含めても15000文字以内にするべきである。

途中,かなり内容をアレンジしなければ完結しない。
実際今回もその手段を困じた。
私に限っては講演での"アレンジ"自体は一切のリハーサル=予習はなしである。

↑王道の"起承転結"法である。長時間の講演ではスピーカーにとってかなり有用性があると個人的には判断します。

実際,
前半は1時間,
10分休憩,
後半は30分,
残りの20分は傍聴している方々の私への
質疑応答となった。

この参加者からの質疑応答がいつも
予測不能に陥る程に凄まじいという印象がある。

即答出来ない事も屡々生じ
私はいつも内心"ひやひや"している。

今回も無事に?終える事が出来たが,
私は傾聴してくださっている人たち=来場者達に
ただ"庇護"されているだけにすぎない。

もっと厳しくあらんと
襟を正す思いを
いつも彼ら=来場者から"波動"を感じる。

達成感よりも,
むしろもっと自分を磨き,
研ぎ澄まし,
もっと相手の胸に
響く発音や会話と,
そんな講演にしたい。

今回,"コロナ"の非常事態宣言以来の初めての講演となった。

始終"マスク"着用にての講演だった。

正直,私自身,限界を感じた。

私でさえ,今までの100という能力の限界値を
下げる必要が生じた。

100を越えるという事は,
どんな勇者でも賢者でも
その者の100を超越する事は出来ない。

その場で死ぬ覚悟があれば別かもしれないが・・。

70から80割をピークにあらかじめ下げ,
残りは"保険"に回すという
手段を画策しなければならなくなる。

講演中,
少なくとも3回は"私の声が届いていますか?"と
合間に訴えた。

首をたてに振ってくださる方達に援護され
継続したものの,自分自身の表現力が確実に
守備=保険に入り,以前より表現のポテンシャルが完膚な迄に
落ちている=下がっている事を実感した。

不本意な"マスク着用"なんて
・・あり得ない。

"コロナ"は・・
そう・・ひととひととの出会いにおいて,
表現の世界においてもかなり深刻である。

我々の人間関係同士の新しい出会いも,
かつての"絆"さえをも変容させようとしている。

我々を無理矢理にでも
"個"とさせようとしてる。

世界のアスリート界,
世界の芸能,表現での
ひととひととがぶつかり合い昇華するような
感動と共感と共有を感じられるような
"リアル"な実存の機会を根底から破壊し
遮断しようとしているかのようだ。

しかも"それだけ"では決してなかった・・・・
講演の最中,装着したマスクがほんとうにうっとおしいと感じるたび,
講演でそれどころではないというのに・・不本意にも何故か妙な残像が
頭の中をよぎった・・。
それは・・あの
"ツイン・タワー"の残像だった!

・・そんな!!
・・まさか?!

↓【編集後記】
以下は講演の記事とはいささか異なる内容です。

私も仮に読者の"あなた"のように
・・気にしないように
・・いたって・・毎日
"平成"さを保って生きてはいたい。

しかし・・
これ(コロナ)もまた"人為的"な
"テロル"=テロリズムなのか・?!

優れた世界の"叡智"の記事を拝読しては
私の不穏さは確証性なきものとして,
一旦理性で総てを自分自身で完全否定した。

しかし
それは・・
"無理矢理"
自分を納得しようとしていたにすぎない。

心のどこかで払拭出来ぬ疑惑が存在して,
ふと衝動的に執拗にある課題が浮上する。

"国際戦略"・・つまり"世界戦略"である。

"ある者"はそれを我々の"世界"にとって
数年おきの"洗浄"="浄化"と呼ぶことがある。

"コロナ"は全世界の経済活動と人々の"動線"を遮断し
表面的には事実上,深刻に悪化させた。

そして類例のない速度の歴史的なあまりにもの急激な"原油安"・・

あまりに"きな臭く"て本能的に"黄色"の警告灯が
心の内部で点滅し続けていた。

全世界中の国家中で"コロナ"は
どの国が最も優位に立つのか?

"サウジアラビア"・・である。

果たして"9.11"の頃と何が変わっているのだろうか・・

・・話を途中で折ってしまい誠に恐縮だが
もうこれ以上"コロナ"に関する
話題は一旦〆=据え置きさせて頂きたいです。

私はあの"9.11"の"テロル"から一切
表象的な"この目の前"の"この世界"の
地球上の全人類に及ぶまで浸透するに値する
圧倒的な"情報操作"とある"力"を知るに至った。

↓ National Geographic提供

あれから随分と年月が経ち,
9.11はアメリカ国民でさえ"あれ"は完全な
"陰謀"であると直感で感じるようになった。

何故か?

陥落するビルを
しっかりと見れば誰もが
感覚的に"真実"が"理解"出来るからである。

18のList of Clips集↓

ビル崩落の映像をよく観れば
人為的に仕込まれた複数の爆薬が飛行機突入と
ほぼ同時にスイッチ="シンクロ"起爆されビルの全てを
完全崩落させた可能性が非常に高いと感じられるからである※

※"史実"では2001年9月11日
1 WTC(北タワー)の北側外壁の
93-99階にイスラム過激派テロリストに
ハイジャックされたアメリカン航空11便が突入した。

同年同日の17分後の午前9時03分,
同じくハイジャックされたユナイテッド航空175便が
2 WTC(南タワー)の南側外壁、77-85階に突入した。

同日午前9時59分、南タワーは約56分間炎上した後に完全崩壊した。

航空機の衝突による構造的ダメージに加えジェット燃料が引き起こした
火災による熱が構造部材の強度を著しく低下させたことが崩壊につながったとされている。

10時28分南タワーに続き、
北タワーが約102分間炎上した後に完全崩壊した。

午後5時21分,7 WTCビルが火災による構造的なダメージにより崩壊した。

3 WTCビル(マリオット・ワールドトレードセンター)はツインタワーの崩落に巻き込まれ崩壊した。

プラザ周辺の3つのビルはツインタワーからの
"デブリ"=吹き飛んだ鉄屑によって甚大な被害を受け後に解体された。

ワールドトレードセンター跡地での救出作業や回収作業
瓦礫除去が完了するまでには8カ月を要した。

私は"爆薬の国家有資格者"ではないが,
あのような崩落の仕方はどう"常識的"に考えても
高層ビルの強度が脇からの"細い物理的進入"=飛行機に依存した破損と僅かな爆発から生じた上部の
瓦礫による重量に耐え兼ねた崩落などでは決してないと考える者の一人である。

実際,私は以前,日本人である1級建築士の知り合いに尋ねた事があった。
鋼鉄製高層ビルは自由落下速度で崩壊することは100%あり得ないという事実である。

仮に例え上層部全体の2/3以上の階層が瓦礫と化し陥落しても最下部の1Fまで
完全に階下を押し潰す事は高層建築の物理的構造上絶対にあり得ないという。
(北タワー=ノースタワーは僅か12秒で陥落した)
しかしジェット燃料を搭載したジェット機がビルに刺さるという前代未聞の
想定外の災害=非常に高温度熱が生じた場合,高層ビルの"あり得ない"陥落は"あり得る"とされるのか?
この難問=解析に関しては世界的に極めて優秀だったのは日本の"鹿島建設"であった。
重量のあるジェット機のエンジンがビルを貫通し450メートル先の地面に吹き飛び落ちた箇所まで
完璧にシュミレートされる程のシュミレート精度であった。

あれだけのN.Yやマンハッタンの
シンボリック=象徴的な建造物である
貿易センタービルを完璧に崩落させるには
シンクロナイズされた爆薬を仕掛ける為に
用意周到な計画性と,計画を遂行する為の
潤沢な資金かつ優秀な人材,即ち工作員を完璧に統治する事が可能な選りすぐった
先鋭部隊,つまり特殊なエージェントが必要であったに違いない。
そして最も大事なことはこれほどの犠牲者を生む悲劇を遂行するうえでの
極めて冷酷で冷血な"非情な心"=精神である。

まだ"お生まれになっていない読者"の方もおられるでしょうから,
分かりやすい日本の動画を掲載します。

9.11だけではない。
少なくとも"マフィア"や"反社会勢力"が云々と
いった類いのレベルとは遙かに次元を越えた
異質で異様な"史実"が存在する。

私が話しているこの内容記事つまり
国際戦略的課題におけるテロリズムに関しては
これ以上深い内容は差し控えさせていただきたいというよりは
慎んだほうが良いと直感ですが感じています。
この判断は自分勝手な我が儘=つまり保身から,です。

もし・・"善と悪"という
2極の極端な選択があるとしたら"人類"にとって
その"作用"は遙か遠い将来果たしてどちらに働いているのか?!
多くのレスキュー隊員・警察官・民間人・・不明者。喪失した生命と
家族や友人や恋人にとって遠い将来"善行"であったと謂えるのか?!

18年間に及ぶ私のその真相の疑念の複雑な問題の追求は私にとって
その確証性=帰結されてゆく結論は,
あまりにも恐ろしい。
本当に親友と思える少数の友人以外には
日本国内ですら決して肉声で外で声に出すことを一切しない。

私は二カ国語(英語)で"その"=国際戦略の
記事をWEB上で書くことを本当に畏れている。

"本音"を日本語で述べただけなのに日本人でも
犠牲者もいる。

わたしはまだ他でもない
自分の命がただ惜しいからだ。

だからタイトルを伏せ,
"コロナ"のマスクの話のついでに
国際戦略のお話を少しだけかいつまんで掲載するのが
精一杯である。

私は不本意な死に方で"変死体"になって
発見されたたくは,ない。

後半は・・
完全に余談になってしまいましたね。

この記事の後半部分は講演最中での私が感じたスピーカーとしての
"コロナ"に対する不満=当てつけ(苦言)なだけです。

後半部は私の単なる妄想=空想と片付けて
頂ければ幸いです。

縁起でもありまりませんが,
"生きていたら"またお会いしましょう!w

それではまた!

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