イップ・マンとは?!-“葉問”(ようもん派、イェー・ウェン=葉継問-1893年10月1日-1972年12月1日)香港中国武術家。詠春拳葉問派宗師。

2021年6月。本サイトの別記事である
"ブルースリー伝"の投稿の追加編集を行っていた。
上記のこの画像(今から58年前の1963年の夏に撮影されたとされる)は

その書籍から(書籍の67頁に該当)この私自身がデジタルカメラで近接撮影したものである。
撮影で使用した""光源""はカメラのフラッシュを
一切使用せず白熱灯タイプのLEDである。
LED色は暖色系の橙色。
世界的に有名な"イップ・マン"師傅と
ブルースリーの画像の1枚だが、
この"チーサオ"の練習風景と見られる画像の右上に

是非とも着目してほしい。モバイルユーザーの方にとっては、
はっきりとは見え難いかもしれないが・・
いったいこの"渦を巻いた"ような""模様""は何だ!?
"李小龍"の目の前にあたかも
"水面のさざ波の様な模様"が克明に浮き彫りされた!!
私は初めてこの写真の""渦""をみた!
自分の撮影したこの画像をプロジェクターにて巨大投影してみた!
信じられない!!身の毛が総毛立つにいられなかった!
"葉門"師傅とブルースリーの上半身をほとんどすべて
覆うようにあたかも"Yin-Yang"=陰陽
(森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物の流れの如し)
がふたりを巻き込んでしまっている!!
写真の専門家であったら科学的に明白な原因が分かることかもしれないが、

少なくとも私は世界的に著名なこの1枚の画像を過去何千回と見てきたが、
この"渦"に初めて遭遇している。
少なくとも私は"誓って"この画像を"加工"してはいない。
そもそもこんな高度な"写真加工技術"を私は有していない。
"リアリスト"である私は、誰かによる(書籍の著者ではおそらくない)
細工=加工によるものと考慮した。
では誰が?!いったいどのタイミングで?!。
書籍をある意味"神格化"するために編集過程で
"誰"かが何か手を加えたとでもいうのだろうか。
しかし・・書籍(ブルースリー伝:マシュー・ポリー(Matthew Polly)著)の

67頁目の画像をどんなに拡大鏡で肉眼で見たところで
この写真に"渦"など何処にも見当たらなかった。
理由はともあれ私は非常に強い感慨を受けずにはいられなかった。

↑"香港航空"はきわめて高い"ブランディング"力を獲得する
(搭乗機内における乗客にたいする安全性と信頼そして安心感を獲得する)
ことを目指し、機内での反社会的勢力間"取引"(例えば"人身売買"の兆候見極め)に対抗する意向を含め
"詠春拳"の"所作挙動"を全てのCA(キャビンアテンダント=Cabin Attendant)
に必須(必修)課目とした。香港航空は"詠春拳は近接攻撃に適し、
すべての客室乗務員は詠春拳を学なければならない"とした
(中華圏最大級のソーシャルメディアであるweibo=微博”ウェイボー”にて表明したのは記憶に新しい)
しかしながら、そこに見られる投資家および利用客へのアピール=企業努力としての
"詠春拳"とこれからお伝えする"葉門"はあらゆる面(スピードや破壊力)において明らかに異なるであろう。↓

【ご挨拶】
この記事は投稿して
かなり時間が経過しました。
その間に本当に多くの読者の方々に何度もなんども
訪問して頂いてきたこと心から感謝しております。

2021年になってあくまで"私なり"にですが、もう少し
掘り下げた"葉門"師傅(シフ)並びに詠春拳の
ご説明ができたらと思っています。
かなり永い冒頭文となりますが追記いたします。

【継承とは】
"ドニー・イェン"主演の香港映画である
"イップ・マン"映画が完結し、
世界的なヒットと話題性に依存された一過性のものと思われますが

一部の"達人"!?と称されるひと達が咏春拳(詠春拳)の技
(詠春拳を実際に修行していない門外漢(もんがいかん)である私でさえ
一見して"套路"や接触型拳法である筈の咏春拳が"ボクシング"風や"空手"風な
詠春拳の"式"とも呼べない全く不可解で混沌とした、ただの喧嘩のような?個人技)を
披露=見せている?YouTubeビデオが最近いろいろとアップされていますが、
その殆どには"詠春拳"はおよそ存在していない風に私には見受けられます。
ヒット&アウェー的な格闘技に見えます。

さらには詠春拳そのものを
実践ではまるで役に立たぬ武術とみなし、
1972年12月1日(享年79歳)に他界した
詠春拳の葉門派の宗師である
葉継問(イップ・マン)という
実在の人物にたいして誠実"心"のない
ただおもしろおかしく誹謗中傷している
とさえ感じさせる動画さえ散見され、
個人的にも強い遺憾を感じざるを得ません。

そうした動画の影響から特定した武術を簡単に
良し悪しの判断するのは個人の勝手で自由かも知れませんが、
既に故人であり卓越した武術家ならびに
思想家でもあったイップ・マンの
"魂"の尊厳を毀損するような者の行為は
不遜(思い上がった生き方や態度)以外の何ものでもないと
私には伺えます。

さも"御意見番"(豊富な経験と知識とを持ち、
偉人に対しても遠慮なく意見を述べ忠告する者)として?!
あたかもそれが真と虚を巧みに交えながら
断定的な"判断"を誘導するような言動は
破廉恥(恥を恥とも思わぬ者)であり視聴者にとっては
何ひとつとして夢も希望も得がたいものの無き
死んだ形骸(内容が皆無で外形だけのもの)で或ると
私は判断します。

武術だけでなくあらゆる武道を含め
史実のあるその"永き道"はいずれも尊いものであって、
何が世界一最強であるかという問いは一切として""愚問""です。

つまり積年の史実上のとある様々な武派に
一切として"一流も二流もありはしない"と
私は"言い切れ"ます。

何かを真剣に目指している方、
賢明な素養の持ち主の方であれば
既に"自明のことである"と私は思っています。

日本の空手界においても然り、
格闘武術・武道だけでなく
書道や茶道を含め
ありとあらゆる道をきわめてゆく"流派"において何が一番秀でて
近道で王道で最強であるかということ"だけ"に囚われている者は
生涯ほんとうの強さや美しさに
ほんの少しも近づくことはあり得ないでしょう。

↑実息子と

つまり"志"
がすべてであり
"真善美"であり、
即ち"誰"が"志す"かが
"総て"であると私は思います。

"詠春拳"もまたおそらくは
或る者が一生賭けてその道を究め(極め)たるに値する
きわめて洗練された"実践武術"であり、史実上
数多くの師傅達の切磋によって伝承されたきわめて
尊い武術であると私は個人的には感じています。
(詠春拳を"誹謗"や中傷する者達の多くはせいぜい
2.3ヶ月~2.3年くらいで辞め本人にとっては充分(十分)に?!"学んだ"つもりです。
ほんとうは"期間"の問題でなく
(なかにはずば抜けた素養の人物=李振藩のように・・時として出没する)、
気分や好き嫌いですぐに辞めてしまう人間にはそもそも忍耐力が零です。
そもそも武術やあらゆる武道(武芸)を含め総てにおける内包する事実ですが、
そういう方は何一つとして生涯、
ほんとうの美しさや強さに近づくことは困難であるといえます。すこしだけ
ペン習字を習っていた!という者がいつも心が乱れた汚い字をいつまでも描いているのと一緒です。
西洋式格闘技(ヒット&アウェー)である例えばボクシングと詠春拳を比較するような
そうした"御意見番"や"発言者"の多くは"目で見えたモノ"しか判断してはいないのです。
おそらく門外漢の私でさえ、詠春拳もまた、10年以上、20年30年と切磋して
果たして"何"を得られたと感じられたか"否か”であることでしょう)

上記内容に帰結した主たる理由としては
"葉門師傅ご自身"並びに"葉門派の門下達"が
きわめて優れた武道家であるゆえんです。
 一例:門下生の弟子(画像とは順不同)
・鄒子傳
・梁相
・駱耀
・徐尚田
・黄淳樑
・ブルース・リー (李小龍)
・梁紹鴻

【"詠春拳葉門派"迄の主な伝承(連綿)経路について】

・詠春拳の源流においては中国本土でも諸説があり
その起源については美しい伝説や歴史本が多数存在している。
ここでは私の個人的な調査にて有力と思える一例を掲載する。

佛山(仏山)詠春拳は
少林寺尼僧であった("少林拳"の俗家弟子と呼ぶ≒出家しない弟子のこと)
"嚴詠春"が創設した武術である。
"嚴詠春"⇒彼女の夫であった"梁博儔"に伝承⇒
"梁博儔"から商人の"梁蘭桂"に伝承⇒
"梁蘭桂"から武術家であり劇役者の"華寶&梁二"に伝承⇒
"華寶&梁二"から⇒薬局と診療所を開業していた≒贊生堂の
"梁贊"(1826~1901)に教授⇒
"梁贊"から"陳華順"に伝授。
"陳華順"(1849~1913)は"梁贊"の贊生堂の真向いの両替商を経営していた"找錢華"⇒
そして世界的に最も有名な⇒
"葉問"(陳華順の最期の弟子)へと"連綿"された。
以下↓私の説明が下手で恐縮と感じ、有志の方のサイトから大変わかり易い画像を掲載します。

【詠春拳葉門派とは?】
短文で説明するとすれば"梁贊"の整理した
咏春拳"套路"をさらに合理的に人間工学的に
分析し套路の中の"式"の数を異常なまでに
減らしていった門派といえる。

先述の通り、
古伝である詠春拳を
あえて意図的に整理し近代化したものであり、
詠春拳の全体から見れば奇特な"スタイル"と判断できる。

つまり現代の世界最大流派になっている葉問式咏春拳とは
詠春拳の中で最も簡略化された"套路"を持つ流派ということになる。
コンセプトはおそらく"一切として無駄を省いた"実践武術"である。

つまり換言すれば"葉門"が"すべての詠春拳であるわけではない"。

葉問派詠春拳は實用(実戦という意味)である
(これは"黄淳梁"系"詠春拳"に依る世界的な影響力が大きい)
つまりは詠春拳(Ving Tsun)と
伝統詠春拳(Wing Chun)に大別=2分類される。

門外漢の私でさえ
葉門(ようもん)において
個人的に驚く点では数多くの
中国武術のスキーマ(構造概念)が
"粉砕"されていることにある!

伝統武術において極めて異質であり
画期的であると言わざるを得ない。

またこれは葉門に限ったことではないが詠春拳は視力(目視)に依存しない。
(李小龍=BRUCE LEEが葉門の弟子であったことは有名であるが"彼"が短期間に
急成長出来たのはこの視覚に依存せずに触覚を重要視する部分が見逃せない)

↑"超"高画質版です。

そして葉門は
中国伝統武術には
必ずや外国人にとっての
難解極まりない"陰陽""五行""八卦"など様々な
東洋哲学からの脱却に着目している。

(たとえば葉門派は呼吸法はなんと!"自然呼吸"であるという点である。
それは厳しい鍛錬(套路の小念頭における厳しい鍛錬)の末には
自然と"立禅"を備えるという観点から考察すれば、
あえて体系化せずに自然と修練者が自覚してゆくものという発想は
21世紀においても"葉門"が西洋人にとっても
きわめて中国武術に入門しやすい体裁が整備されている。

しかしながら戦闘理論における
実践においては""非常に厳密な理解と体現が要求""され、
実際の習得体現はきわめて高度な武術であると謂われている。

【人物・葉継門の概要】

葉問(イップ・マン※)とは
葉問派詠春拳の創立者であり香港の武術家である。
本名は"葉継問"。

※葉門を
"イエ・ウェン"と発音することがあるが
中国語での"通常"発音である。

"イップ・マン"は広東語発音となる。
日本人は葉門="ようもん"と発音することがある。

・葉の師匠に至るまでに関しての記述

1893年10月1日に葉継問は
広東省"仙山"(フォーシャン)で桑畑や綿花畑並びに
製糸工場などを経営する裕福な家の次男として生まれた。

1904年の11歳に先述した
""陳華順""という武術家が
"葉"家の土地を借り武館を開いた。

つまりその"縁"があって葉門は詠春拳に入門する。
葉門は直接、武館には通わずに個人教授を受ける。
21世紀現代でも驚異なのはまずその個人授業代つまり"月謝"である。
当時米60キロ(一俵=1斗)が銀1両半で売買された時代に
その5倍にも相当する銀8両という金額であった。

現代の物価指標に照らし
米の価値(60キロの米×5倍の金額)で換算しても
大変な高額な"月謝"であったことが理解できる。

このイップ・マンの師匠であった
「"陳華順"の師匠」は"詠春拳王"と称される達人であった。
つまり"梁賛"(iang zan=リョンザン)と呼ばれる人物である。
実践に非常に強いことで名を馳せた人物である。
(現代に継承される詠春拳の套路="型"となる
小念頭. 尋橋. 標指を制定したのは"梁贊"とされる)

"梁賛"は清代晩期"咏春拳王"と呼ばれた武術家。
佛山で"生堂"(zan sheng tang)名の薬局・病院の後を継ぎ
経営していた人物である。

つまり"梁賛"は"咏春拳"を学びその武術の効率性に強い感銘を受けて
"套路"を整理し理論化し実践した。

稼業の傍らにほんの僅かな一部の弟子と実子に教えたとされる。
(実子である"梁壁"や"梁春"など)

葉門が弟子入りした頃はすでに"陳華順"は54歳、
数年後に脳卒中で他界する(1849~1913没)。

陳の他界後は葉の兄弟子で最たる実力のあった
"呉仲素"(Ng Chun-so)のもと(武館通い)で修業を続ける。

・葉門の香港での修行について・

1909年。
16歳の葉問は香港へ留学した。
赤柱に現在もある"聖士提反書院"にて、
科学も踏まえ外国語や数学など勉学に勤しんだとされる。

すなわち、上述した史実を踏まえれば留学の間は
詠春拳の修行を中断せざるを得ない状況であった。

しかし"梁賛"の実子である"梁壁"(Leung Bik)と出会うことで、
留学期間中も彼のもとで詠春拳の稽古する機会を得た。
つまり途切れない修行と経験を積み重ねることが
できた葉門は最終的に"葉問派詠春拳"を確立するに至った。

1918年に故郷の仙山に帰郷した。

・日本人の考える葉問に関する誤解

葉は仙山でも有名な大富豪家の出生で
何不自由のない生活を送っていた上に、
近郊では兄弟弟子や同門他派の武術家たちは詠春拳を既に教授していたため
葉門は自分の武館を持つつもりはなかったとされる。

映画イップ・マンにおいてその"表現"箇所においては
第2次世界大戦で日本軍に家や家具を没収されて
全財産を失ってしまったように"イップ・マン序章"では
脚色(事実とは異なりあくまで芝居である)されて描写されている。

この点においては映画と史実には明白な相違があり、
彼の豪邸は日本軍の司令部として使用はされたものの
実際には彼の"財産"は"戦後の中国共産党"によって奪われ、
共産党を嫌った彼は故郷を追わた形で当時は
まだイギリスの植民地下にあった香港に亡命したのが事実である。

そうして1949年に香港に移り住み、
そこで本格的に生徒(弟子)を集め教授するようになる。
あらゆる縁を頼って友人知人を尋ね歩いたとされている。
1950年に葉門は弟子獲得に奮闘したが、当初、難を極めた。しかし
革新的な葉門派詠春拳を楯看板とし、門下はやがて
瞬く間に香港の拳法家勢の評判になったことは紛れもなき事実である。

独自調査では、
やはり日本人(イギリス人を含む?!)のような"外人"に
詠春拳を決して教えてはならないという
"強い意志"=遺言があった様子である。
しかしながら、"直接的"な"日本"人(軍人)との"軋轢"は葉門にはなかったと推察される。
その事実は以下↓主な香港の当時の出来事(史実)からも推察できる。

1941年:太平洋戦争勃発。日本軍がイギリス軍を"放逐し占領"した。酒井隆陸軍中将が香港軍政庁長官に就任。
1942年:磯谷廉介陸軍中将が香港総督に就任。
1945年:日本連合国軍の敗戦(日本の無条件降伏および終戦の詔書および降伏文書=ポツダム宣言の受諾=無条件降伏決定により香港がイギリスの植民地に復帰)
1950年:イギリスが中華人民共和国を承認。中華民国との国交も継続する。
1967年:文化大革命の影響を受けた中国共産党系住民による暴動が発生。
1971年:台風により被害。死者125人。
1972年:6月の集中豪雨(六一八天災)により土砂災害が多数発生。大勢が生き埋めとなった(李小龍=ブルースリーとも関与-多額の"寄付"をした被害)

1972年:12月1日 葉門派詠春拳宗師、イップ・マン(葉継門)死去(享年79歳)。
1973年:7月20日 弟子であった本名”李振藩"=ブルースリー死去(享年32歳)。

従って、識者で賢明な葉門師傅は直接的には映画の芝居で表現されているような、
"赦されぬ怨恨"は"日本人"にはなくとも、
様々なフィードバック(弟子達や香港生活を踏まえて)日本人しいては"外人"を""区別""していたと判断する。

・少年(小僧)との出会い

1953年に還暦となった葉門にとって
孫の世代でもおかしくない
とある少年を弟子に入れた。

彼のことを葉門は"小僧"と呼んだ。
("小僧"が入門した年齢は1953年の13歳説と1955年の15歳説がある)

↑上の写真は"有志"の編集者によって同時に三枚の写真が掲載されているが、いずれも合成写真ではない。
この写真は"新事実"を語る大きな可能性を秘めている。
中央の若い頃の"小僧”(右)の左の少年は、少し年上であった"ウィリアム・チャン"だ!

"ウィリアム・チャン" を調査してゆくと""小僧の葉門入門時期""に明らかな食い違いが生じてくる!
1956年9月10日。母校であったラ・サール学院を"小僧"は同校の体育教師にナイフを振り回し退学処分となり、
"聖芳清書院"(SFX)に入学した。"ウィリアム・チャン"(警察官のせがれで喧嘩がもの凄く強かった)に出会ったのは
"SFX"に入学してからの後のことなのである。
なんと!ウィリアムは既に"詠春拳の門下生"であった。

だから当時の問題児同士での喧嘩争い(ストリート・ファイティング)において"彼"="チャン"は無敵であった。
"彼"を通じてあくまで自発的に(強くなりがたいために!)"小僧"が葉門に入門したこと(事実)を踏まえるならば、
21世紀の多くの研究家によっ"てブルースリーは13歳に葉門に学ぶ"、とされてきた事実は完全に覆される可能性がある!

博識で教養に溢れ賢明でかつ温厚で
人当たりも良い葉門師傅(シフ)とは真反対な
"小僧"はあまりにも"幼く"向こう見ずで
気が短く身勝手で自己顕示欲が強いつまり
オトナからみても"どうしようもない香港界隈で
名うての"不良"(ストリート・ギャング)であった。

さらに詠春拳を駆使して
"ストリート・ファイティング"で
相手を打倒することばかり考え
他流派の技も勝手に吟味し平気で使う"小僧"に
葉門さえ高弟や末端の弟子からの"話"で多少なりとも手を焼いたのは事実であろう。

しかし"彼"="小僧"は他の誰よりも
武術向学心(武術鍛錬)においては
他のどんな弟子達よりも上達の速度を早めることに
専念した。さらなる高みに到達しようとする凄まじい熱意は
他のベテラン弟子勢を完全に圧倒するほどであったという。

それはどんな狡猾な手段をよういても、であった。
ある意味"その部分"だけが奇妙なほどに"品行方正"であった。

元来、中国武術のみならず、
師弟関係というものは師傅(グランド・マスター)
が直接入門したての若弟子に教授することはなきに等しい。

実際"小僧"を育てたのは高弟である
黄淳梁(Wong Shun Leung=ウォン・シュンリャン)をメインとする
葉門の愛弟子陣営であった。(若かりし頃の
黄淳梁と師傅=葉門においては映画イップ・マン2
"2010年"において描写されている)

"小僧"とはすなわち映画のみならず、
国境や信教や民族さえ超越し、
現代の21世紀においても今なお
"人類変革の希望と可能性"を示唆=
"サイン"し続け巨大なアイコンとなった
"李小龍"="BRUCE LEE"という人物である。

【余談その1-"葉門"師傅と"李小龍"=ブルースリーとの関係】

私の研究では巷で一部述べられている誤った解釈のひとつである
つまり"師傅と弟子との確執"は一切皆無(なし)であると断言できる。

"葉門は"小憎"を愛し
"李振藩"=ブルースリーは生涯
師傅を唯一リスペクトし続けた"
それが完璧な"解答"である。

イップ・マンは個人的には弟子との写真を拒んだ。
しかし李小龍と葉門との写真は数多くはないものの、
"特別"に残存している。(破門したいほどに
評価の低い弟子とは常識的に考えても
いかなる師傅であっても写真を"撮りすぎる"ことはあり得ない)

また、ブルースの実息子であるブランドンが誕生して間もない
1965年後(李小龍は家庭もあり当時まだまだ貧しかった頃)に
"泰山写真館"に依頼し1weak(一週間前後)で
200枚ほどの葉門師傅の写真が撮影された。

その写真はおそらく葉門師匠をメインに撮影したものであり、
詠春拳葉門派の指導書の出版計画制作の
為であったとされる。
それに関しては李小龍の急遽によって未完に終わっている。
しかし、その写真の全てはいずこに?!

横道に逸れてしまうが、
葉門師傅と李小龍とは妙にウマが合いそうである。
私個人的に見てもつまり"運命的"である。
そもそも、葉門は詠春拳を独自の理論で簡略化し実践的に新しい派を打ち立てた。
弟子であるブルースもまた"新”武道の開拓者となった。
両者とも実はかなりの"坊ちゃん"育ち、である。
さらに重要=肝心な点は貧困生活がどんなものかをよく体験を通じてよく知っている。
大事な点は、機会さえあれば教養はいくらでもあとから身につく生粋の裕福な幼少時代を過ごしている"。

このあたりは大事な要点であるが、
優れた独創性やアイディア生むほどの教養の吸収力は
生涯にいたって幼い頃の"環境要因"で決定付けられることが多い。

あまりにも貧困で劣悪な環境下で幼少時代を過ごした者にとって、
知性や教養や品格を後年になって磨くのは並大抵の努力では達成しない。
そうした元来優雅でゆとりのある生粋の裕福育ちであった葉門との出会いは李小龍にとって
武術指導者以上に生涯においての決定的な出会いとなった。
それは李小龍にとって葉門が思想・哲学に極めて重要な"キーマン”であったというのは
世界的に周知されていることである。

"小僧"はやがて
"振藩功夫"(ジュンファン)武術をアメリカで創始。
(ここでも一般的に誤解されやすい部分では、事実は
この独自武術は詠春拳を踏襲した型として根底を支えているということにある。
"李振藩"は""詠春拳を捨てた"訳では決してない""、ということである)

後に李小龍は"截拳道"=J.K.D.(ジークンドー)を創始。
"Jeet Kune Do"は武道のみではなく人としての生き方を
現す思想として直弟子達においても
フランチャイズ化や組織・体系化されることはなかった。
李小龍は映画俳優としても全世界が周知の通りであり本記事では
割愛させていただきたい。

【余談その2-詠春拳葉門派と李小龍との関係】

史実上、誤解による確執=軋轢があったのは
葉門師傅と"小僧"=李小龍"先生"とではなく
葉門派の弟子達と李小龍=ブルースリーとの
"確執"があったのは紛れもなく、
様々な事実として散見される。

もっとも最たる史実は、
1972年12月1日のイップ・マン死去の際に翌日2日、
"ブルースリーは葬儀に出なかったという事実"である。
この事実は葉門派の弟子達のある意味"陰謀"であり、つまり
葉門師傅の死を葉門派の弟子陣営はだれひとりとしてブルースに
連絡しなかったことによるものであった。

強い門下生内部の確執を端的に物語っている。
ブルースリーが師傅の訃報を知ったのは3日後。
当時の偉大な武術家の死は一部の中国紙の新聞の
片隅にしか報じられることはなかった。

日本の初七日に相当する10日の夜8時の通夜に
7時にブルースは到着し、葬儀に出れなかったことを
詫びている。

↑世界的に有名な画像

葉門のイップ・チュン(葉準)も後年になり近年、
その事実を認めた。ある者にブルースには連絡
するなと"遮られた"と。

さらに、李小龍が香港を発ち渡米したのが1959年。
二十歳にも満たない青年がなぜ再び生まれ故郷である
アメリカに戻ったのか?!

この判断はあくまで私の独自見解であるが、
おそらく李小龍は詠春拳葉門派の必殺技というよりも
真骨頂であり真伝の"チーソウ"=黐手(チイサウ)を葉門から
一切=つまり"全く"教授(直伝授)されることはなかったのではないか?

何故か!?
李小龍は所謂
"異端"=完全に"外人扱い"されたからである。

ユーラシアン(混血児)であったブルースリーは弟子達による
"あいつはドイツ人"そして"あいつは外人の血が混ざってる"などと
始終言われ、そうした強い排他的な弟子たちの"訴求"によって
葉門師傅もついに秘儀=奥義を伝授することがおそらく
出来なかったのではないか?!
(もの凄い速度で"急成長"していった"小僧"であったが "高弟"達は"快く"思っても、配下の
高弟以下の弟子達からみると、僅か数年足らずの経験しか持たぬ

年数というキャリア不足な"未熟"な門下生にたいする辛辣な軋轢が生じたものと察する。
つまり、李振藩=李小龍は"葉門"派から
直伝=秘儀"体得"伝授できたとは言い難いという結論に達する)

つまり・・"18"となった
李小龍=BRUCE LEEは"香港"を
"絶望した"のではないだろうか・・
親との確執以上に、
辛辣だったのは最も真剣に学んでいた"詠春拳門下"にあったのではないか?!


もし、私の邪推がほんとうだったら・・
その、青年の悔しさと哀しみの喪失感とはどれだけのものであったろう・・

さらに邪推になるが、のちに
黐手はブルース自らの自己鍛錬に
よって"模索"し続けていたのではないか?

葉門師傅の晩年のブルースと"組み手"をしている
"それなり"の残存する写真群は、どうみても
師傅が"小僧"をただかわいがっている風にみてとれる写真ばかりである。

しかしながら、
葉門師傅は"小僧"が
異端の武術のマスターになろうとも、
銀幕のスーパースターになろうとも、
最期まで"小僧"を深く愛していたのは紛れもない事実であることに辿り着く・・。

【余談その3-木人椿(もくじんとう)="Woody dummy"について】

映画イップ・マン4(完結編)では
その存在そのものが大変印象深く描写されました。

現在では詠春拳だけでなく"剛柔流"空手の
鍛錬行為にても使用される
格闘技鍛錬用設備である"ウッディ・ダミー"については
私よりも詠春拳武術の見識者の
方からの引用が多いですが記させてください。

前述したように広東省"仙山"(フォーシャン)においても
"木人"が伝わった初期の頃は
手足がない"丸太立ち木"であった様子です。

後年多くの武術家の改良を経て
現在の"正面に3本の手と1つの足がついている形"
になったのは"葉門"からとされているようです。

↑詠春拳をしっかりと踏襲とした李小龍の振藩功夫の頃と思われる。

写真で散見される葉門師傅のものは、
壁に設置された本格的なものおおい。
現在ではそのほかに2種類以上あるような気がする。

葉門が仙山で修練した頃は
木人へのアプローチは
"140"の所作=動作があり
目的別になんと""10組””!!の木人に
分かれていたとされる。

先述したように
後年に葉門は香港で教授を開始しますが、
重複動作を削除し詠春拳の複雑な箇所部分を合理化し"108"式に改変した。

さらに長年にわたり教授活動を続けてゆく中で
不足技を補い補正した形を模索し
最終的に"116"式に再構成"し直された。

世界に伝わり=流布している?!
木人套路の型は俄然"葉門"式でありそうですが、
ユーチューブなどでは技のコンビネーションの順序がいろいろ異なったり、
その型の頻度が違っていたりはしているものの、
手技においては実はかなり同じであることがよく観ていると判断できる。
門外漢の私からみると、ついつい足の型に
注意がいってしまいますが、その他においては
私には全く理解できないことが多すぎます。

以上、余談を踏まえ、
葉門師傅の話と武術面の補足とさせて頂きます。
以下の記事内容は昔のママ、とさせて頂きます。

あなたはイップ・マン(葉継問)という
人物をご存じでしょうか?
現代の世界中の武道家がリスペクトする,
詠春拳・葉問派宗師者であるイップマンのフィルムを
機会あればご試聴下さいませ。

1972年12月1日没,
享年79歳。

日中戦争,
英国領土の時代,
中国人として
大変な時代を生き抜いた方です。

ラストはYOUTUBE上,死去する前の1ヶ月前の,
極めて貴重なフィルムとなります。

【2020年編集後記】残念なことに長年YouTubeにuploaded
されていた鮮明なフィルムは”非公開"となってしまっています。
その代わりに日本人有志の方のuploadedして下さっているものが
ありました。唯一,web上で観れるものは現在この動画だけです。

【 Editor's note in 2020】
To our regret, a clear film that uploaded was being done
by YouTube for years becomes "Closed-door".
Uploaded in a Japanese volunteer, it did and there was something that was.Only, the one that it is possible to see on web is only this animation now.

つまり,
このフィルムは中国武術家である,
詠春拳・葉問派宗師者の開祖の人生において
最初で最後の貴重な動作となります。

これだけボリュームがあり,鮮明な
映像に私は驚きと鳥肌を覚える程の
感動を覚えました!!
今まで観た中で最高の画質です。

日本に住んでいると世界の動きに疎くなりがちですが,
近年香港映画でもドニー・イェン演じる
(甄 子丹、Donnie Yen、1963年7月27日-)
イップマンの3部作の映画は,
実在本人の生涯を題材として取り上げ,
全世界で高い評価を得ました。

【ドニー・イェンとは?・・】

映画"イップマン"の主人公である役者,ドニ-・イエンについてお話します。映画の1作目の"葉門"はドニ-がなんと45歳以上!の時の作品です!現在56歳!!演技力,格闘シーンの凄みは,実年齢を超越しており,"宇宙最強"と言われる所以しょうか。

3部作の映画"イップマン"が世界的に高い評価を得ているのは何故でしょうか?それは演技を越えて"ほんもの"だからです。日本映画は顕著ですが,人気あるアイドルや若手俳優を起用した殆どの
アクション映画のように”CG"や"ワイヤー・ロープ"ばかり使用した
"未経験者"でもなんとかなる程度の映画ではない事を映画を観た方ならばすぐに感じる事です。
ドニー・イエン(甄子丹=Donnie Yen 1963年7月27日-)は
現在,アジア人男性俳優の中でもトップクラスのスターですが,
その前に武術家として著名です。

家系としては実母親の中国武道の直伝を受けてもいます。
母親の麦宝嬋=Bow Sim Mark(マク・ボウシム)は有名な北方五虎の一人です。傅式太極拳の創始者である"傅振嵩"(1881~1953)

の息子"傅永輝"(1914~1993)

の"真伝"を唯一受けた人物である言わば宗家の直系にあたる"とんでもない人物"です。

傅式太極拳には太極拳・八卦掌・形意拳の三つの武術の総合した武術でドニーは小さい頃(確か11歳頃)から教え込まれてます。
私の知る限りの知識としては"旋風掌"=打旋風=転旋風と言われる片足で身体をアイス・スケート選手のスピン旋回の様な動作=掌法を中心に構成された武術に思えます。他の武術より優れた点では動体視力と驚異的な身体のバランス感覚。そして瞬時に相手の後ろに回り込み"旋回"しながら打ち込む招法と用法を兼ね備えている技法は,私にとっては台湾の国技でもある世界最強と思える"ムエタイ”にかなり近いと思われます。※ムエタイには回し蹴りなどはあっても"身体そのものの極端な旋回"はない。しかし相手に対して瞬時に後部や左右に回り込む面がムエタイの特徴に似ていると思えます。傅式太極拳においては回転する際の上盤の形と回転方向は討たれる相手にとって相当判読し難く、瞬間移動を含めた周り込みを考慮するといつの間に複数の相手と格闘している様な錯覚に陥り,相当手強い相手となるのではないでしょうか?
そんな凄い母親の"武術”でもドニーは気功を最重視する"内家拳"(単純に述べると形意・八卦・太極拳を一つのカテゴリーに当てはめた総称で
3種共に内面の意識と気の運行を重視した拳法)であった為,"やんちゃな"?当時の少年の彼にとって物足りなかった様子です。
ブルース・リー先生の大ファンとしては高速で相手との格闘="外向的な"?武術を好んでいたそうで世界中の様々な格闘技を研究し精通するきっかけになった様子です。
毎日路上でケンカばかりして実戦的に豊富なのは,まるでBRUCE LEE先生と同じ様な生き様です。
あまりにも悪ガキすぎて目に余ったのか?
中国の北京市業余体育学校に留学させられ武術と規律を学ばせられました。この点は,BRUCE LEE先生のつまり"イップマン"=詠春拳の"決定的"な出会いと似ています。
あ,確か,BRUCE LEE先生も一度学校は"転校"したかもしれません。
今うろ覚えで恐縮です。
後日,間違いありましたら加筆修正いたします。
ドニ-に関しては1995年世界武術選手権大会でも優勝しております。
今もアメリカで有名な武術家の一人として有名な人物です。

↑↑最も"日本人"にとって"アイロニック"で"私"にとってもとても辛辣で印象に残るシーンです。
私は"あえて"翻訳のない動画をリンクします。(終盤での言葉のやりとりは映画イップ・マンを象徴するものです。日中の通訳者と葉門の言葉は全く異にします。シリーズ化された葉門を完璧に象徴した場面でしょう。)
既に映画を観た方であれば"この状況"はよく理解できる事でしょう。
空手10人vs詠春拳,イップ・マン,只一人。初めてこの場面を観た時,
私はこれは映画でありながら"襟を正す思い"を感じました。
時代背景的に見れば間違いなく"日本側の空手"は"松濤館流"でしょう。
私も空手家の"端くれ"として,複雑な思いでこのシーンを見終え,
そしてとても"疲れ"を感じました。
本来"詠春拳"は"先手"を行う中国武術では決してありません。
これ程までにイップマン自身が攻撃的になったシーンはあったでしょうか?!こんなにもイップマンが強い"怒り"を見せたシーンはあったでしょうか?!其れは映画ならではのワン・シーンだからでしょうか?
香港映画界で未曾有の圧倒的な支持を受けました。アジアン諸国で大ヒットしました。
世界中で観られ,21世紀の今,極めて高い評価を得ている映画です。
ここで我々,日本人にとってとても悲しい事実=真実があります。
イップマンの遺言のひとつに"決して"日本人"にだけは"詠春拳"を教えてはならない"・・というあまりにも辛辣な"遺言"がある事です。
"この事実"=つまり"真実"は本当なのか・・どうかは,21世紀の今,
私はそんなには興味はありません。というよりも,
それはおそらく"事実"であろうと私にとって思えるからです。
この場面で映画が伝えたいのは,
単純に日本を"誹謗中傷する"という事ではないと思っています。
ただ,ひとつ言えるのは日本の空手だけでなく,
多くの武道や日本人の精神性は中国から伝承されているという"真実"です。
私達日本人は他のアジアン諸国に対しての"リスペクト"の精神が不足してきたのではないでしょうか?
そんな人間="日本人"は成長することができるのでしょうか。
尚,この映画シーンの拳の連打や攻撃に転じた際の破壊力は現代の
"詠春拳"は全く同じスピードと打力を備えていると私個人的には考えております。

↑何故,日本の"空手"が"詠春拳"の前に敗れ去るのか?!
日本人である私にとってこの場面もまた重要な意味を持っています。
中国から伝承された沖縄琉球武術であった"唐手"は
船越義珍先生に依り日本の本州で"松濤館"流として"空手"となり,
戦時中の兵士にとっても"心の支え"となっていた筈。
それがいつしか"軍国主義"の元、中国に対する"リスペクトの精神”を忘れ,
"空手に先手なし"すら忘れ去ってしまったのです。
強烈な"アンチテーゼ"となる場面です。

詠春拳葉問派"の前に"日本軍"の空手"松濤館流"が敗れ去るとても印象的なシーンです。
↑ Why is "Karate" of Japan defeated ahead of "Wing Chun" and do it leave?!
This scene also leads to much for me who is Japanese.
"Tang Dynasty hand" that was the Okinawa Ryukyu military arts handed down by China depended on Gichin Funakoshi teacher, became "Karate" as "Shotokan" style on Japan's main island, and must have been "Support of the mind. " for the soldier during the war
It some day forgets "Spirit of the respect" to China in the origin of "Militarism", and has forgotten even "It is the first move none in Karate".
It is a scene that becomes a strong "Antithesis" for the Japanese.
It is a scene that defeats the Karate "Shotokan style" of "Japanese army" ahead of the Wing Chun yhomon sect and leaves.

↑It's a scene that remains cutting it very much for "I" in the impression for "Japanese" in "Ironic".
I link animation without "Dress it" translation.
It is to see the movie, "This situation" will be already able to be understood well.
The vs Wing Chun of ten Karate people and Yip men : only by one person.
When I saw this scene for the first time, I felt "Desire that corrected the collar" though this was a movie.
It is correct and "Karate of Japan" "Shotokan style. " if it sees in the historical background might I finish also seeing this scene with mixed feelings as Karate person's "Fag end" and "Become tired. "
"Wing Chun" is not originally decided in Chinese military arts that does "Hand ahead".
Was there a scene where Yip man becomes aggressive like this?!
Did this also have the scene where Yip man had shown strong "Ire"?!
Is it because it is an one scene only of the movie?
Overwhelming unprecedented support was received by the Hong Kong movies field.
It's a movie that is seen all over the world, and receives high acclaim extremely now of the 21st century.
Very sad fact = truth we for Japanese is here.
It is a thing that there is too cutting "Will" "Never" Japanese only "Do not teach" the Wing Chun"" in one of the wills of Yip man.
Is "This fact" = in a word, "Truth" true ‥ Please I am not interested so much now of the 21st century.
Depend..perhaps..fact..think..
As for wanting tell the movie by this scene, it simply thinks Japan to be no thing "The slander slander is done".
We Japanese' spirits of "Respect" to other Asian nations might be insufficient.
Such "Race" doesn't grow up.
However, not only the Karate of Japan but also a lot of martial arts and Japanese spirits are "Truth" that it is being handed down by China one can be said the destructive force when changing to hitting repeatedly and the attack of the fist of this movie scene is thought that modern "Wing Chun" has quite the same speed and the stickwork in piece humanity of me↓↓..

↓そして,最後の作品・・
And, the final story that becomes the last work. ..↓
日本ではコロナの影響で大幅に劇場上映が延期されてしまっています。
日本国内で翻訳されたDVDのリリースやレンタル開始も相当遅れるのではないでしょうか?早くても9月前後ではと予測されます。
さぞや"我慢の限界”にきている方もおられるのではないでしょうか?

The theater screening is greatly postponed in Japan because of the Coronavirus. Release and the rental beginning DVD translated in Japan correspond and might be delayed, too.
Even if it is early, it can be forecast about September.
There might be coming to "Limit of endurance" surely, too.

↑非常に"アメリカ"らしい"扇情的"な© 2019 - Well Go USAの"劇場予告編"
↑ "Theater preview" of stirred "©2019 Well Go USA"
that seems to be "United States" very

21世紀の現在においては,
師の影響を受けた武術は
全世界に流布しています。

まずは,
截拳道(ジークンドー=J.K.D)。
ブルース・リーの哲学や生き方の基本体型は
BRUCE LEEの唯一の恩師である
イップ・マン(葉継問)そのものです。
映画においても然り。特に映画の中での格闘シーンでの
一対一での下段蹴りは,どう見ても,詠春拳そのものです。
批判的な意見もありますが,
私はそう見解します。

JKDにおいては,英語ではJeet Kune Doと書きます。
私が幼少だった頃の日本では
かつては「せっけんどう」と呼ばれていましたが、
その創始までの流れが明らかになった21世紀の現在は
ジークンドーと統一されました。

初めて世界的にヒットした
グンフースターにして截拳道(ジークンドー)の
始祖者であるブルース・リーが初めて門を叩いた道場は
詠春拳の道場だったことはあまりに世界的に有名です。

↑1993-10-"THE BRUCE LEE STORYからの抜粋

他では
イスラエルで考案された近接的格闘術である
クラヴ・マガ(英語: Krav Maga)。

他では
EBMAS(エブマス、Emin Boztepe Martial Arts System)
は欧米諸国では,これは軍の訓練でも採用されたりしており,
極めて著名です。

中国武術で言う,
套路(touro)を果たして英語でどう表現したら良いか,
日本人である私はとても非常に悩みます。

表面的な意味は、
武術の一連の動作、
手順のことだとは思います。

日本武術のいわゆる「型」に近いとは思いますが,
概念上、あるいは運用方法の点でかなりの差異があると私は思うのです。

まずは若輩者の私でさせ気付く点では,例えば
日本の武道の空手と比べ,根底では共通するも,
見た目では「作用点の集中していると思われる箇所」がまず違います。

多分ですが,イップ・マン(葉継問)は
所謂,発勁(はっけい)と呼ばれる中国武術の
演武をフィルムの前半部分で行って下さっているのではと推察します。

中国武術を修したこと無き者は
「勁」=KEIは"気の力"=超能力?と感じるしかありませんが,
”気”とは、体の”伸筋”及び”張る力”
”重心移動の力”であり,
超常現象でもなんでもなく誰もが会得出来る事実であると
中国人の多くの方々が知っている事かと存じます。

↓私のつたない説明なんかよりも実際観た方が早いですよね!!
このリソース映像は"アニメ"や"映画"ではありません!!
イップマンの最後の映画である
"完結編"でもこの様子は出てくることでしょう。
"詠春拳葉問派宗師"イップマンの直弟子である李小龍先生(BRUCE LEE)
の演武模様です。今からなんと!50年以上前の貴重なリソース映像です!
ただYouTube動画の場合,貴重なフィルムも"非公開"になってしまったり,何らかの理由で"削除"されてしまうケースも屡々ありますので,
今後私も出来るだけ対応してゆく所存です!
※誤解の可能性の高い映像なので加筆しますが,この時点でBRUCE LEE先生は独自の"総合格闘技"である"J.K.D"にシフトしています。しかし大事なのは"J.K.D"もイップマン宗師の"詠春拳"が土台に構築されているという点です。最も顕著なのは,"Oneインチパンチ"のパワーの凄さではありません。"アイマスク"をした状態で"先生"は演出なさっておられます。
先生は"詠春拳"で培った"ノウハウ"を"応用分解"なさっています。
これはきちんと肝心で"大事"な要素として述べる必要があるでしょう。
↓ It is earlier to see actually than my poor explanation.
This resource image is "Animated cartoon" and not "Movie"!!
This appearance is that "Chapter of the conclusion" that is the last movie of Yip man comes out.
It is a pattern of the martial arts production of the
"李小龍"=BRUCE LEE teacher who is the apprentice of straight of Yip man.
It's a valuable resource very image 50 previous in year or more from now.
However, I will become "Closed-door" for the YouTube animation a valuable film, and correspond as much as possible in the future because there is often a case where "Deletion" is done by some reasons, too.
※ The BRUCE LEE teacher has already shifted to original "Integrated combative sports" it and "J.K.D" though it retouches because it is an image with high possibility of the misunderstanding.
However, the important one is a point that "Wing Chun" of the Yip man Buddhist priest is constructed in the bedsill as for "J.K.D".It's not terrible of the power of one-inch punch. "Teacher" includes "Application resolution" with the eye mask worn ..most remarkably.. .."Knowhow" to cultivate production "Teacher" by "Wing Chun"…
It's necessary to describe this neatly essentially as .."Importance".. element.

物理的な体当たりから作用点の集中,
それに伴う随処に見受けられる加速,
そのヒントを短い映像の中で未来に向けて
イップ・マン(葉継問)は遺して下さったのかなと推察します。

後半は極めて著名な,
木人椿(woody dummy)の開発者における
"Yip Man”(葉門派)の究極的な模範演武。

ほぼ防御において"完璧"であり,
芸術的,私はいつも感動し涙ぐみます。
お暇があればご試聴頂けると幸いです。

Do you know the person named "Yip man" ?
Please a all over the world a present age true martial artist must do the respect,
and audition the film of Yip man who Hal fist
and is leaf To sect denomination master ..
writing.. person in case of being at the chance.

Death on the second
and age at death 79 years old in December, 1972.

War in daytime
As Chinese in the age of a British territory
A serious age is lived through.
Ago of one month before it dies
It becomes an extremely valuable film.

In a word
This film becomes the last valuable operation by the beginning in the life
of the founder of Wing Chun and Yip Man' authority who's a Chinese martial artist.

There was a volume,
and I felt impression
as the surprise and gooseflesh were remembered
for a clear blip in the so much.

The highest image quality in seeing.
Hong Kong movies took up real existence person in question's life as a theme,
and obtained the high appraisal all over the world by the movie of
three work of Yip man who performed
Donnie Yen (July 27, Co, Donnie Yen, and 1963-)
in recent years though tended to become ignorant
of the movement of the world when living in Japan it.
The military arts that the master influences is
circulated all over the world now the 21st century.

First of all,
Jeet Kune Do = G.K.D.
B. Lee's philosophy and a basic figure of the way of life are
Yip man who are the only teachers of BRUCE LEE.

Exactly so in the movie.
Especially, the lower by the one to one in the grapple scene
in the movie is in every respect Wing Chun.

I look so and understand though am also a critical opinion.
In GKD, it's written Jeet Kune Do in English.

In Japan when I was infancy
It .... was united with "Jeet Kune Do" now the 21st century at the time
of clarified of the flow until the founding before though
it was called, soap" very.
It became a hit for the first time worldwide.

It's famous too worldwide that the gym where
B. Lee who was the founder person of
Jeet Kune Do beat the gate for the first time was a gym of Wing Chun.

In another
"Krav Maga" is adjacent martial art designed in Israel.

As for EBMAS (Ebmas and Emin Boztepe Martial Arts System),
this can adopt even by the training of the army,
and in America and European countries, is extremely famous.
It says by Chinese military arts.
I who is Japanese worry very very much really ..
""touro"".. about good when expressing it in English very.

I think that a superficial meaning
is a series of operation,
and a procedure of military arts.
Though it's thought near so-called
"Type" of Japanese military arts.

I think that there's a considerable difference
in the point of the operation method in the concept.

First of all,
"Part where the action point seems to concentrate"
is different in externals though
it's for instance common in the basis first of all in greenhorn person's point
of me to notice compared with the Karate of martial arts in Japan.

Yip man though a multi amount.
It's guessed whether to go in military exercises of
the Chinese martial arts so-called
that's called """Fa jin"""
in the part of the first half of the film and to exist.

The person who not is Chinese military arts.
"KEI" to be what Chinese's many people know to be
"Extensor muscle" of the body, "Power to put",
"Power of the center of gravity movement" "Nature",
and a fact that everyone can learn even with paranormal phenomena nothing though
there's only feeling that there is only "Power of the nature" = ESP.!!

Yip man guesses whether he did the acceleration seen from
a physical hurling by the concentration of the action point
and Sho according to it and the hint in a short image aiming at the future.

Ultimate example military exercises of "Yip man" in developer of "Woody dummy.
It is "Perfection almost" in the defense, I artistic am impressed, and tears overflow.
It would be greatly appreciated when
it's possible to audition if there's a leave.

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