17.”不屈の名曲”-矢沢永吉-【時間よ止まれ】弾き語り-My Favorite Masterpiece-“EIKICHI YAZAWA’ Playing-【STOP THE WORLD】

今回は誰もが知る,1970年代の後半に誕生した「時間よ止まれ」のカバーです。今回の詞は英語対訳が無理と判断し,テロップは日本語のみとしました。国外でも多くのひとがカバーする不屈
の名曲ですが,今回は冒険し,ヒップ・ホップ ・ソウル調にリズムを作成しました。コンセプトは匂いたつような夏の夜の浜辺の「予感」ですw。
久しぶりに私はビートの組み立てを1から行いました。
ロックテイストを損なわない様にLoop素材も原曲の調(Eメジャー)に
周波数を極限合わせたつもりです。波の音は湘南,鎌倉市にある材木座海岸,今から20数年前の1990年代に私が収録した夏の夜の音です。当時録音されたものを編集し,今回ビートに重ね合わせました。

原曲のアレンジを大事になさっているビック・ファンの方には非難されるかもしれませんね。
Grooveが違うと思います。
違和感が初めてお聴きになる方は強いかと存じます。
ただぎりぎりまで横揺れ(hiphop)を抑え気味にロックテイストは残したつもりです。矢沢さんの圧倒的な声と,
オリジナル曲である伴奏は究極的です。
原曲のアレンジを超える事は不可能です。
編曲とキーボードは坂本龍一,ドラムは高橋幸宏,ベースは
後藤次利,レコーディングエンジニアは吉野金次氏。
日本のトップクラスの方々がこの曲をサポートしています。
1978年3月21日にこの曲のシングル盤がリリース。
この年,私はまだ10歳の少年でした。

ファンの方にはそれぞれ,思い入れは多々あると思いますが,
私にとってもこのバラードには衝撃的なエピソードがあります。

私の住まいの隣に,海の男(凄いサーファー)がいました。
今思えば,そのひとは永ちゃんと同い年だったのだと思います。
その人は私を愛してくれました。弟にしては余りに幼い少年の私を
機会ある度にドライブや,湘南地方のシーサイドに連れていってくれました。逗子市のヨットハーバーでフリスビーしたり,打ち上げ花火を海辺でして貰ったり,いつも最後までやりきれない程でした。私はそのひとの部屋へはフリーパスでした。ビールこそは呑ませて貰えませんでしたが
w,美味しいジュースや,高級なステレオ・コンポやサーフィンの道具がたくさんあって,足下には矢沢永吉さんのAlbumがいつも立てかけてありました。いつも最新の週刊誌(漫画)をたくさん読ませてくれました。

そのひとの部屋でふと見上げると写真立ての中に歳を取られた女性の白黒写真がありました。
私は子供ながらに咄嗟にその方のお母さん(お袋さん)なんだと察しました。いつか無遠慮に尋ねたら,もう亡くなったとおっしゃっていました。外見は無骨な日焼けしたガイでしたが,

きっと優しくて強い方だったのだと思います。私は友人との遊び以外で,そのひとの部屋へ上がり込むのが好きでした。
1978年の夏,彼の乗るツーシーターのアメ車のオープンカーで夜の湘南シーサイドライン(国道134号線)を爆音で掛けながらドライブしてくれました。いつもプレイされていたのは「時間よ止まれ」でした。爆音で繰り返されていました。ラジオでもこの年は「時間よ止まれ」がいつもオンエアーされていました。この曲のオリジナルのイントロの2小節は,幼い私にも衝撃的なSoundでした。もっと幼い頃か
ら矢沢永吉さんの音楽を知っていましたが,
私はその人のおかげで,音楽の持つ力強さを,体験しました。
波の音や夏夜の海,国道を歩くお姉さん達やお兄さん達,夏の夜の妖艶さと,オトナの色気というものを「時間よ止まれ」を通して体験しました。少年からシフトし,性に目覚め出したのもこの頃からです。

私にとって素晴らしい兄貴でした。
何故,あんなにも私を可愛がって下さったのかも分りません。
そして息子の様に接してくれました。お礼も言えず,
哀しい事に,私に何も言ってくれずに
アメ車も荷物もそのままの状態で,
突然蒸発してしまいました。

今もきっとご存命なら,
もう一度会って,心からお礼を言いたい,
人生の恩師のひとりです。
私にとっての「時間よ止まれ」
はこうした私自身のエピソードでもあります。

PS。。2017年7月24日,この曲の作詞家でもある
山川啓介氏が永眠なされました。「ひき潮」
「鎖を引きちぎれ」「チャイナタウン」そして「ラストソング」と永ちゃんの名曲だけでなく日本の歌謡界を引率された重要なお方でした。
深心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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